第99話 がむしゃらに。そして、罪の味の魔力。

 「ぐっ」

「ははは。がむしゃらに攻めたところで、お前の中にある恐怖なんか克服できるかよ。身体が覚えている動きを状況に応じて出すのと、何も考えないのは違うんだよ。アホ」


 腹が蹴り抜かれ吹っ飛ぶ。

 俺が持っている短い木刀はさっきから振る暇すらもらえない。

 未だ謹慎中の班目さんに頼み込んで、本部の道場。

 班目さんは、本部の居住スペースから出てこれないが、室長にも頭を下げた。特例を認めてもらった。

 既に、正月旅行の護衛任務は発行されている。 

 それまでに、俺はどうにかしなければならない。


「来いよ。あたしに一発入れてみろ」

「わかっています」


 身体の中身がごちゃ混ぜにされた気分だ。

 トレーニングに来た人が遠巻きに眺めているのを感じている。

 役立たずになった身体。まだ痛めつけ足りない。


「いきます」


 くそっ。見えない。今まで見えていたものが。何となく感じていた攻撃の気配、殺気。何秒か先の未来。

 全てが、怖さに塗りつぶされる。身体が硬くなる。

 受けたくないなら、生き残りたいのなら、戦え。勝て。

 奏は言った。俺はおかしくなっていないと。なら、俺は。

 俺は知っているんだ。守るためには、戦わなければならない。

 そこが地獄と知っていても、あえて突き進まなければならない時が、あるんだ。


「うぉおおおおお! ぐあっ。うぐっ」


 腹に突き刺さる一撃。続けざまに顎を打ち抜かれた。


「叫んで強くなれるなら苦労しねぇよ」


 あっ、やべー。

 景色が、暗転していく。




 「目が覚めましたか?」

「……結愛か」

「はい。あなたの相棒。そして後輩の結愛です」

「なに、してんだ」

「室長と、旅行期間中の連携の確認に来てました」


 穏やかな声。静かな目。

 気まずいまま別れてそれから業務連絡のみでやり取りして。

 毎日、班目さんに殴り飛ばされ蹴り飛ばされ。少しずつ、気持ちが整っては来ている。

 けれど、出発は明後日。

 まだ駄目だ。

 俺は、自信をもって、生きるか死ぬかの戦いに、身を投じれない。それができる確信ができるまで、結愛と会いたくなかった。

 結愛の前では、俺は、カッコいい先輩でいたいというのに。

 ここは、医務室か。

 そうか、気絶したのか。

 なら、さっさと、訓練場に戻らねぇと。


「! だ、駄目ですよ。休んでください。そうだ、水。あれ、プロテインの方が良いのかな……? 間を取ってスポーツドリンク」


 差し出されたそれを飲む。

 甘みと酸味が美味しい。染み込んでいく。

 気がついたら、綿されたペットボトルは空になっていた。


「……先輩、私、信じられませんか?」

「信じてるさ」

「私、言いましたよ。弱いところも、情けないところも、見せて欲しいと」

「あぁ、覚えているよ」


 覚えているとも。


「そして、私は言いました。私を信じてください。私の信じている先輩を、信じてくださいと」


 迷いながら言葉を、結愛は絞り出してくれる。

 ……俺って奴は……。

 奏に一回話してなかったら、散らかった話になっていたかもしれない。

 俺は、奏と話した内容を含め、全て話した。正直に。全部。


「……先輩は、どうしたいですか? 日常に、戻りたいですか?」

「戻ろうと思っていたら、こんなところにいねーよ」


 俺は立ちあがる。


「今日はお仕舞いだよ。史郎少年」

「……班目さん」


 医務室の奥。パイプ椅子に腰かけた班目さんがいた。


「何を驚いているんだい? 手加減をミスったのはあたしだ。治療する責任くらいある」

「……すいません」


「まっ、急にあたしのところに来た理由はわかったよ。そうか……少年が強くなれた理由がねぇ。でもまぁ、忘れんなよ。その身体には、ちゃんと染み込んでいるんだ。経験も、学んできたことも。

 手元に残っているものくらい、数えても良いんじゃないか?」

 

 そう言った班目さんは、手をヒラヒラと振って医務室を出て行った。


「結愛、その……」

「謝罪なら、今は聞きませんよ。今までの先輩なら、結果で示してくれました」

「……あぁ」

「だから、先輩。今日は……」

 

 

 家に帰った。 

 聞こえるのは油の弾ける音。

 キッチンに目を向けると、いつもより小さな人影が忙しく動いていた。


「ふんふんふーん」

「……護衛任務」

「今は気にしないでください。あんな件がありましたので、警備送り込んでますよ」

「……そうか」

「柿本さんが指揮しています」

「なら安心だな」


 あの人の視野の広さと判断能力なら、穴は無い。


「はい、できましたよ。天ぷらですよ。天ぷら。かき揚げにちくわ天。エビ天。サイドはうどんですよ」

「天ぷらとうどんを並べて、うどんをサイド扱いする人、初めて見たよ」

「そうですか? えへ」

「うんうん。おー。美味しそうー」

「そうですか? 奏さんに言ってもらえると、なんだか自信が。って、なんでここに居るんですか!?」

「えっ。だって、史郎君、ほっとくとろくにご飯食べないし。でも、今日は結愛さん来てるんだね」


 奏と結愛がキッチンで並んでいる光景。

 なんか贅沢な光景だなあ。


「じゃあ、私も一品作ろうかなー」

「うどん、茹で上がりますよ」

「二人分でしょ、食べてても良いよ」

「……もう一人分、あるので、自分で盛り付けてください」

「はーい」


 奏がキッチンに立つ光景は、見慣れ過ぎて逆に落ち着くって奴だが。

 うどんを啜っている。啜っている俺を、結愛は箸すら持たず、眺めている。


「伸びるぞ」

「そうですね」

「俺を見ていてもうどんは減らないぞ」

「そうですね」


 結愛はそれでも、箸を持とうとすらしない。


「美味いな」

「良かったです」


 そう言うと、ようやく結愛は箸を持って食べ始めた。 


「お口に合って、良かったです」

「実際美味い」


 かき揚げはサクサクとした食感と野菜の甘み。うどんの汁をしみ込ませると、さらに優しい味が追加される。


「うん、かき揚げ良いな、これ」

「どれどれ?」


 奏が横から箸を伸ばしてくる。

 いつの間にかおかずが一品増えていた。肉ともやしを炒めて焼き肉のたれをかけた物。そこに、恐らく奏が家で炊いて来たご飯が、俺の茶碗に盛られていた。


「か、奏にしては豪快な料理だな」

「別に、繊細で手間がかかるだけのものが、料理ってわけじゃないし」

「それは、そうだな」


 だが、奏にとって不健康で推奨できない。ギルティックテイストに傾向にある料理だと思うぞ。これ。


「一口良いですか?」

「一口と言わずにバンバン食べちゃってよ」


 躊躇いがちに、結愛が奏の作ったおかずに手を伸ばす。

 もやしと肉、焼き肉のたれが滴るそれを口に運び、結愛は目を見開いた。


「……お、美味しい」


 あぁ、結愛が、魔力に魅せられ始めている。

 ここは、引きずり込むしかない。


「結愛、白米に乗せてみろ」

「は、はい」


 その言葉に従い、茶碗に盛られたご飯。多分、俺が食べることを想定していたものだろうが、この機会、好機、逃す手は無い。

 ホカホカの、タレに染まったご飯。肉。もやし。この魔力、抗える者無し。


「どうしよう、先輩。私、駄目になってしまいます……」

「ふっ」

「史郎君。悪い笑顔出てる」

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