第33話 文化祭二日目

「おはよう。史郎、久遠ちゃん」


 文化祭二日目の朝。

 教室で、聞き慣れた、けれど、この状況では聞こえないはずの呼び方が聞こえた。


「おはよう。朝倉さん」


 戸惑っているのは俺だけで、奏は普段通りの様子。


「やはは。史郎、おはようは?」

「あ、あぁ。おはよう」

「史郎、朝から何で呆けてるの?」

「あぁ。いや」 


 独特の笑い方。けれど、それはこの場で聞くことは無い筈で。


「史郎さん、自分の前だけで見せていた顔を、私たちにも見せているので、驚いているのですよ。独占欲ですかね」

「なるほどね、史郎君。意外とそういうところもあるんだね」

「あれ、知らなかったんだ、久遠ちゃん」


 ……俺が知らない間に、何があったというのだ。




 「おめでとうございます。では、最終ステージのダーツに挑戦ください」


 全問正解商品があまり動かない。ギブアップ賞が足りなくなりそうだな。

 室長が今、目の前でさらっと全問正解賞を持って行った。くそっ、結愛に言ってダーツ迎撃させれば良かった。

 室長は志保とも顔を合わせている筈だから、あちらも親しげには話しかけてこない。俺はあくまで、裏の護衛。

 霧島は、いつも通りだ。


「九重君。そろそろ交代だ」

「あぁ」

「そんな怖い顔しないでくれ。と言っても無理か」

「してない」

「してるぞ」


 スマホを持ち上げて確認。


「……してるな」

「だろ」

「お前、なんか変わった?」

「取り繕うのをやめただけだ」


 学ランのボタンを二つあけ、ビシッと整えていた髪形も遊びがある仕上がりだ。


「僕は本来、適当な人間だ。テストで点数を取ってさえいれば、好きにさせてもらえていたからな」

「じゃあ、奏に勝ちたいというのは?」

「あれはマジ」

「あぁ、そう」

「ほら、そろそろ終わりだろ、行って来たらどうだ?」

「そうする」


 俺達の仲はよくわからないものになったが、今はそれで良い。答えは、これから出る。




 「やぁ、史郎。覚えてる? 約束」

「あぁ」


 都合が良い。こちらから誘う手間が省けた。

 教室を出たところで声をかけられたところを見るに、待っていたと解釈できなくもない。

 志保のシフトまで一時間か。


「なんか食うか?」

「良いね。あと二年生のブース行けばコンプリートだよ」

「あぁ、既に巡ってるのね」

「よし、そうと決まれば!」


 二人で、どこを見ても人、人、人という、そこに立っているだけで、げんなりするような廊下を歩き出した。

 二年生は、地元の企業と交渉し、商品を仕入れて売るという、俺は来年、奏に誘われない限り絶対にクラス委員にならないと誓った。


「へぇ、きゅうりか」

「夏祭りとかにある奴だよね」

「あぁ、そういえば見たことあったな」


 屋台が立ち並ぶ体育館。丁度、軽音部がライブをしているようで、結構盛り上がっている。熱気が凄い。


「こっちはシューアイスだって」

「どれを食べるんだ?」

「勿論全部」

「はいよ」

「わかってたよね?」

「勿論」

「もう」

「ほら、さっさと買うぞ」

「はーい」


 手を引こうとした。

 こんな人混みだ、はぐれないようにとか、適当な言い訳はいくらでも浮かぶ。

 でも、やめた。指先がもう少しで触れ合う、そんなタイミングで、臆病な声に、従っていた。

 俺は、まだ志保のことが好きなのだろうか。そんな疑問。

 多分、志保のことがすっぱり諦めきれて、どうでも良くなっていたとしても……どうだろう、俺は志保を助けに、あのビルに侵入していただろうか。

 結愛のことを加味すれば行っていたかもしれない。

 確かに、俺はドライかもしれない。自分に関係の無いことに対して。

 キュウリにシューアイス。鈴カステラ。ワッフルにプチケーキ。ポテト餅、タピオカドリンク。結構色々あった。


「流石仕入れた物、結構美味いな」

「やはは。だね。三年生のところ、結構味の差はあったよ」

「俺らが三年になったら、まぁ、奏とお前と結愛を、うまい具合に配置できればどうにかなりそうだな」

「私、戦力外だよ」

「えっ?」

「ん?」

「志保の家に行った時食った料理、美味かったぞ」

「あー、あれ、私作った奴じゃないし。作り置きしてもらってた、私の晩御飯をレンチンして出してた」

「……マジで?」

「マジマジ」


 冷静に考えて、気づかない方がおかしい、のか……。そうだな、恋人の家訪問で、テンションが上がって、勝手に脳内変換していたのは、否めない。

 しかし、だ。

 いや、落ち着け、九重史郎。


「やはは、なんか、がっかりさせちゃった?」


「あーいや。俺が勝手に勘違いしていただけだ。それで怒るのは間違っているからな。食べさせてもらった料理にケチ付けるのもおかしい。美味しかったのは確かだし」


「史郎、大人だね。……うん、でも、練習してみようと思ったよ」

「なんで?」

「史郎、久遠ちゃんの作ったご飯食べる時、幸せそうだったから」


 儚げな微笑み。志保が見せる、初めての表情。

 どんな意味が込められているのか、俺にはわからない。


「ちょっと、悔しかったかも。史郎のあんな顔、私、引き出せなかったから。もし、上手に作れるようになったら、食べてくれる?」

「あぁ。勿論」

「ありがと。さて、そろそろだね。それじゃ」

「あっ、送ってく」

「優しいね、史郎」

「お前が危なっかしいだけだ」

「そう……ねぇ、史郎」

「なんだ?」

「ありがとね、助け出してくれて。その、かっこよかった。嬉しかった」

「えっ……それって」

「やはは」


 悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべて、そのまま駆けていく。人混みの中へ。

 慌てて追いかけるが、結果的には杞憂で。教室に着くと、志保はちゃんと働いていた。

 クラス委員として、シフト時間外に顔を出すのは決して不自然なことではない。初めてこの地位で良かったと思った。

けれど、職場におけるリーダーのように、その都度トラブルについて相談されるわけでは無い。何ともリーダー感の無いリーダーだとも思った。

 まぁ、いざという時、状況判断、現場判断できず、いちいちリーダーに指示を仰ぐような奴は、死ぬけど。

 今はそんなこと、どうでも良いか。

 さてさて、あまり張り付いていると、怪しまれるな。と言っても、プロのオーラを感じさせる奴なんて、うちの組織の人間しかいないわけで、本当に平和だ。

 護衛だと特定されないよう、四六時中付くようなことはするなというのは、室長指示だ。

 三年のブースでも行きますかね。

 ソースの匂いを辿るように、階段を下りていく。

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