第34話 悪い子になるね。
「あの、申し訳ありません。クラスに戻らなきゃいけないので」
そんな声が聞こえたのは、まさに階段を下りた先。
他校の制服を着た奴に、結愛と奏が絡まれていた。
周りの奴らも遠巻きに見ているだけ。
……相手は二人か。
「失礼、うちのクラスの者が何か粗相を?」
「あっ、史郎さん」
「史郎君」
「は? いででででで。離せ、離せって!」
ムカつくこと言われそうだから、先制で腕を掴んでそのまま力を込める。
「一応、招待券、確認してもよろしいですか?」
「えっ? 何? 疑うの? 客を?」
もう一人の方、流石に、脅せて無いか。
腕を掴まれただけで痛がるのは、大げさだと思うよな、普通。でも、これ以上派手なことはしたくない。
「確認させてもらえないでしょうか?」
握る力を強める。ちらりと目を向ければ、涙目だ。目線に釣られて、強気ですごんできたもう一人も、大げさではないとわかってくれたようで、ポケットから財布を取り出して、紙を一枚取り出す。
「チッ、これで良いだろ。だから離せよ」
「はい、どうぞ」
ゆっくりと離すと、パッと後ずさり距離を取り、そいつもポケットから招待券を取り出した。
誰だよ、こんな奴ら呼んだの。
そいつらはさっさと階段を上がっていく。
入れ違うように降りてきたそいつは、逃げて行く他校者の背中を見て、ニヤリと唇の端を吊り上げた。
「もう済んだんだ」
「あっ、……霧島君」
「やぁ、久遠さん。先生方呼んできたけど、杞憂だったみたいだね。流石九重君」
奏が一瞬、不安げな目をして、結愛が奏の前に出て。俺も反射的に一歩霧島に近づいた。
そんな俺達に、霧島は薄く笑うだけで答える。
彼の後ろに目を向けると、小走りで体育担当の先生と、うちの担任が来ていた。
「今すれ違った人達?」
「はい」
そう答えると、すぐに先生方は追いかけていった。
あとは、任せても良いだろう。
「それじゃ、僕も行くよ」
「あぁ。その、サンキューな」
「別に、気に入らなかっただけさ」
そのまま片手をヒラヒラ振って去って行く。
「……また守られた」
俺達の沈黙を破ったのは、そんな奏の一言だった。
「場慣れしてない、喧嘩慣れもしてない。そういう奴は、そういうのに慣れている奴が近くにいる時は、そいつに任せるのが正しいんだよ。つまり奏は正しかった」
「いない時は?」
「助けを呼んで逃げ回れ」
「それじゃあ、強くなれない」
「強くならなきゃいけない状況に、頻繁に巻き込まれる方がおかしいんだよ。どっか回ろうぜ」
「えっと、私は……」
結愛の迷う素振り。でも、もう一押しすれば着いてくると俺は知っている。
「なんだよ。結愛、用事でもあるのか?」
「えっと」
「無いなら行こうぜ」
「はい」
志保に、俺があの時志保を助けた仮面の男だと、気づかれたかもしれない。結愛に相談しておくべきだろうが、いや、でも特に何か不都合があるわけではない。もうしばらく、様子を見ても良いだろう。
そう判断したのは、志保に「ありがとね」と言われて、嬉しい。そう思ってしまった自分を隠したかったから。そんな身勝手な都合だけど。
それからは、何事も無く文化祭は終了、閉会式をやって解散。
打ち上げをしに行くというクラスメイトの横を通り抜けて、家路についた。
「じゃあ、また」
「あぁ」
駅前で、志保と結愛と、手を振って別れる。
打ち上げしようとか、そういう話題も無く。俺達はいつも通りだった。
文化祭だからとか、そういうことを理由に盛り上がるような柄じゃない。
達成感とかよりも、疲れた、という感想の方が強い。
「買い物は?」
「今日は無いかな。夕飯はあっさりにしたいね」
「同感だな。文化祭の屋台は味が濃すぎる」
自然と、二人で並んで歩く形になる。
特に何か話すことなく歩いているだけなのに、落ち着くんだ。
「ん? どうした」
チラチラと、こちらを見上げる視線を感じた。
何か、言いたそうにしているように見えたんだ。
「ねぇ、史郎君」
「んー?」
「もう平気なんだね」
「何が?」
「朝倉さんと一緒にいて」
「あー」
影が長く伸びる。
何度も歩いた道。何度も隣を歩いた幼馴染。
落ち着くな。やっぱり。
「史郎君。あの、ね」
「あぁ」
「私さ、弱いじゃん。あー、ごめん。困るよね、返答」
「そりゃまぁ。強さにも色々あるとか、そういうの求めてないだろ」
「うん。ねぇ、もっと困らせて良い?」
「良いよ」
「安請け合い、しちゃって良いの?」
「奏なら良い」
「そう。また、助けてくれる?」
悪戯っ子な笑みを浮かべる奏が、妙に色っぽく見えて、心が震える。
「何度でも」
「そう……」
家の前。奏は立ち止まる。
十分程度の道のり。そのゴール。
いつもなら、「後でね」とか「また明日」って言いながら、手を振って中に入っていくところなのに。
「どうした?」
「史郎君。今から、私、悪い子になるね」
「あぁ。良いよ」
今日は妙なことを言うな。奏のわがままなら、聞いても良いって思える。いくらでも応えたいと思える。
「言ったね。もう飲み込めないから」
「たまにはそういうのも良いだろ。どんとこい」
「ありがと。私さ」
思わず息を飲んだ。
振り返った奏が。あまりにも綺麗で。見惚れた。
手が、後ろ髪に伸びて、毛先を弄んで。
「……うん。はっきり言うね。回りくどい言葉、浮かばないや」
「あぁ。どうぞ」
覚悟を決めた瞳が、真っ直ぐに俺に向けられた。
「……よし。私、史郎君のこと、好きなんだよね。……大好きなんだよね。恋人として」
奏でられた言葉に、心臓が跳ねた。
「あー、えっと。それって」
「LIKEじゃないよ。LOVEだよ」
「あ、あぁ」
聞こうとしたことが、先回りで答えられる。
真っ直ぐに好意を、ぶつけられていることは、理解できる。
けれど、今、目の前にいる奏。ずっと面倒を見てくれていた人に言われている。その状況に、理解が追いつかなかった。
好意をぶつけられる温かさに、頭がぼんやりとした。
「ずっともやもやしてた」
「う、うん」
「朝倉さんのことが気になっていると相談された時も
史郎君が振られた時も、同じ学校に朝倉さんがいた時も、
萩野さんが史郎君に接触してきた時も、朝倉さんを守らなきゃいけないってなった時も、
史郎君が二人を助けに夜中飛び出していった時も。ずっとずっと、もやもやしてた」
「理由はわからんけど。すまん」
「わからない? 史郎君の中で、一番になりたいからに決まってるじゃん」
「あっ。えっと。ごめんなさい。えっと、その」
考える。どうする。
叫びだしたい衝動をぐっと堪える。
溶け出していく脳を必死にかき集めて考える。
奏のことが好きか嫌いかと聞かれたら迷わず好きだと言える。
目の前にいる奏はとても可愛い女の子で。傍に居てくれるのが、日常で……。
「今答え出さなくて良い。これは宣戦布告だから」
俺の思考を断ち切るように、きっぱりと。ごちゃごちゃしていた頭の中が、真っ白になった。
一歩、奏は距離を詰める。二歩、視界は奏で埋まる。
茜色に照らされる。道行く人の視線を感じる。
でも今確かに、ここに俺と奏だけの世界があった。
花音ちゃんや音葉ちゃんがここに来たら、絶対にからかわれるって、ぼんやりと思った。
「史郎君。まだ朝倉さんのこと、好きでしょ」
「……わからない」
否定しきれない。でも、肯定もしきれない。
「史郎君、怖がってる。まだ、恋が怖い」
「お見通しのようで」
「だからね、史郎君。私、悪い子になる。史郎君のこと、きっと落として見せるから。朝倉さんが座りっぱなしの席、奪って見せるから。怖いとか忘れちゃうくらい、私に夢中にさせちゃうから」
どうしてだろう。
心が、温かい。
それは、結愛に「付き合ってみませんか?」と言われた時とは違う。
じんわりと、沁み渡るような温もりが、広がっていく。
パッと元の距離に戻った奏が、いつも通りの、安心できる笑顔を見せる。
「史郎君、ご飯一緒に食べるでしょ。着替えたら来てね」
「あぁ、ありがとう」
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