第29話 文化祭一日目。

『たすけて、』


 そんな、中途半端なメッセージが奏から送られてきたのは、中学二年の、夏休み。

 俺はすぐに隣の久遠家に向かった。 

 音葉ちゃんも、花音ちゃんも、奏はさっき買い物に行ったと言う。

 すぐに組織に連絡した。

 それからは、思い出すだけでも申し訳なくなる。

 結愛にも、無茶なことを結構要求した。

 でも結果的にすぐに奏のことを、助けることはできた。


「史郎君、助けてくれて、ありがとう」


 やめてくれ。

 俺に、そんな言葉をかけないでくれ。




 目を開けて最初に見たのは奏の顔のドアップだった。

 普通なら驚く場面だろうに、俺は安心してしまった。ちゃんと奏がいることに。


「大丈夫?」

「何が?」

「うなされたけど。それに、凄い汗」

「あぁ。大丈夫だよ。夢見が悪かったんだろうよ」


 額に奏の手が伸びた。


「……うん。熱は無いみたい。何で泣いてるの?」

「えっ?」


 慌てて目元を拭った。

 濡れていた。


「欠伸のせいだろ。シャワー、浴びてくる」

「う、うん」


 水を浴びてスッキリした意識を、さっきまで見ていた夢が飲み込んでいく。

 夢は、起きたらすぐに忘れる。そういうものの筈なのに。

 頭にちらつく。

 なんで今更。

 なんで今更、あの時の。

 俺が、人を殺した時のことを。


「史郎君、朝ご飯、食べる、よね?」

「あぁ。食べるよ。ありがとう」





 「本当に大丈夫?」

「何が?」

「顔色、悪いよ?」

「問題無いよ」

「史郎君、これ、持って行かないの?」

「……いらない」


 ゴム弾が装填された銃を持ち上げる奏。迂闊にもリビングに放置してしまった。現役時代なら絶対にやらなかったミスだ。

 奏に持たせてはいけないもの。すぐに取り上げるべきもの。

 でも俺にはできなかった。昨日までは、持てたのに。

 いや、昨日の俺は、持てたとしても、撃てただろうか。


「ごめんね」

「何で謝るんだよ」


 スマホが震える。

 普段使う方では無い。仕事用の方。


「急にどうしたんだよ。室長」

「明日のことで確認したくてね。一般来場日だろ、明日」

「あぁ」

「君からの招待を待っていたのだが」

「いや、結愛から来てるだろ」

「私じゃなくてな」

「親に伝えておいてくれ。欲しかったのなら連絡の一つでも寄こすんだったな、ってな」

「ははっ。そうかい」

「……もしや」

「あぁ。明日は私が行く予定でな」

「チッ。そろそろ」

「あぁ、悪いね」


 通話が切れる。


「電話終わった? 行こうか」

「あぁ」


 奏に聞かれていただろうが。今更だ。気にしても仕方がない。

 



 開会式は適当にボーっとしていた。

 三年生がステージ発表とかしていた。全クラス。再来年、俺達もあんなことするのか。ダンスは苦手だ。

 最初のシフト。三十分こなす。

 とは言っても、それなりに問題用紙渡したが、最終ステージのダーツは、しばらく待ったが誰も来ない。気になってちらりと様子を見に行ったら、消火器の前で悩んでいるのが結構いた。

 志保は黙々とダーツで遊んでいる。

 結愛はその様子を見ながら、どこかそわそわしているように見えた。


「萩野さん。コツ、教えてもらって良い?」

「えっ。あー。まずは余計な力を抜いてですね」


 その様子を眺めていると、この時間にいないはずの人が目の前に立つ。


「九重君。調子はどうだい?」

「シフトはまだだぞ。霧島」

「あと五分だ。それに、生徒の祭りといっても、結局は遊ぶには金がかかるからな。部での出し物も無い」

「要するに暇だと」

「そういうことになる。あ、二人もお疲れ」


 霧島が珍しく、志保と結愛にも声をかける。

 そうこうしている間に、五分が経ち、正式に俺達のシフトは終わる。


「あ、あの。史郎さん。少し待っていて貰っても? その、おトイレに」

「あぁ。良いよ」

「ありがとうございます」


 パタパタと結愛が出て行く。志保を何となく目で探すと、霧島と話していた。

 奏のシフトも、そういえば今からだ。クラス委員は分けた方が良いという先生からの指示だ。


「お待たせしました。史郎さん」

「おう……ん?」


 結愛は、ツインテールだった。

 眼鏡を外して。いつもの、俺が知っている結愛の雰囲気出しつつも。人は髪形でここまで変わるのか……。


「行きましょう」


 袖を引かれる。恥ずかしそうに眼を逸らしている。頬も少しだけ赤い。


「あの、ど、どこに行きますか?」

「ていっ」

「うわいったぁ!」


 その頭にチョップをかます。


「な、何するんですか!」

「いや、ガチガチだったから。脱力させようかと」

「だ、脱力って」

「俺と遊ぶだけなのに、何を緊張する要素があるんだよ。髪形まで変えて。似合ってるけどさ」

「うっ……その。先輩と遊ぶのは、というか、男の人と遊ぶのは初めてなので」

「あぁ。そういえばそうか」


 あの夏まで。俺が特務分室にいた頃も、仕事以外で結愛と関わったことが無かった。

 むしろ、今の方がちゃんと結愛と接することができている気がする。


「まずは三年生の辺りから見に行くか」

「はい」


 昇降口に足を向ける。

 うちのクラスの出し物の問題用紙を持った人が何人か昇降口のところにいた。

 ソースの香り。楽し気な声。食欲をそそる匂いが混じり合い、確かに祭りだと感じさせる。


「何が良い?」

「えっと……かき氷」

「そうだな、今日はちょっと暑いな。何味?」

「えっと……イチゴで」 


 俺はメロン。まぁ、色が違うだけだが。それを指摘するのは野暮というものだろう、例え有名な雑学でも。

 テンション高い先輩方に、後退ることを堪えながら受け取る。


「いただきます」

「いただきます」


 中庭のベンチまで移動。運良く空いていた。


「あ、あの」

「ん?」


 結愛はイチゴシロップに染まったかき氷を、ストローの先を切って作られたスプーンに載せて、こちらに差し出していた。


「あ、あーん?」

「え?」

「ふぁ、ごめんなさい」

「いや、驚いただけで。怒ってはいないけど。急にどうした?」

「あっ、その」

「……男女が一緒に出掛けたらそれはもうデート。だっけ?」


 前に結愛が言っていた。いまいち納得はいかない理屈。

 それに則るなら……。


「いや、俺、志保ともしたことないな」

「えっ、お口アーンをですか?」

「人前で堂々とそんなことできない」


 志保の家でご飯をいただく時も、雑談しながら各々、何となくペースを合わせて食べていた程度だ。


「そ、そうなんですか。た、確かに。恥ずかしい……」

差し出した姿勢のまま、顔を赤くして震える。こんな結愛、初めて見た。

「まぁ、貰うけどさ」

「あっ」


 初めてのお口アーンって奴は、まぁ、自分で食べた方が早いな、だった。

 ひとしきり冷たさを楽しんで。ぼんやりと人の流れを眺めて。


「なんつーか」

「はい」

「文化祭って、よくわからねぇな」

「と、言いますと?」

「生徒で祭りをやろう。誰が言いだしたのだろうって」

「世の中、何がきっかけで生れたのか、よくわからないもの、結構ありますよね」

「蟹とか、ウニとか、牡蠣とか。誰が食おうと言い出したのか」

「言えてます」


 クスクスと、控えめに笑う。


「さて、遊ぶか」

「はい。と言っても」

「あぁ」


 パンフレットを見る。何度も見直しても、ほとんど食べ物だ。


「食べ歩きか……」


 バランスが悪いな、文化祭。

 どうしたものか……。

 スマホが震えた。霧島からだ。


「あぁ、もしもし」

「あぁ、九重君、確認したいことがあるのだが」

「なんだ?」

「問題がなんか増えているらしいのだが? どういうことだい?」

「増えている?」

「あぁ。同じ場所に、一問ずつ。久遠さんも、見回りに出てから連絡がつかないから、君にお願いするよ」

「わかった。確認してくる」


 通話を切る。


「なんか変なことが起きているらしいから、確認してきても良いか?」

「良いですよ。一緒に行きましょう」


 奏に連絡がつかないか……それも妙だな。文化祭で、クラス委員で。トラブルがあったらと、いつもよりしっかりとスマホを確認しているはず。

 一応『何かあったのか?』と、メッセージだけ送って移動する。

二階の消火器の前へ。幸い、参加者誰はいない。


「教室で渡される問題、『あらま、にかいへようこそ。ショーのはじまりです。おっと、なぞときだね。』という問題文。隣の数字は、問題文の何文字目かを示している。その通りに読めば、赤い消火器は二階。つまりここになる。

二問目は、一問目の答えともいえる消火器がヒント、つまり、『か』と『き』を消すことで、『入り口校舎の』になる」


「なら、こっちは……」

「参加者に対してこんな趣味の悪い罠は用意しない」


 すぐに取り外した。文字のフォント、レイアウトも同じだ、参加者が間違えたらどうするつもりなのやら。質の悪い悪戯だな。


問一 32 83(phone) 13 25 13 23* 42




「先輩……?」

「あ、か、さ、さ、さ、し、phoneは電話のマークと解釈して、しょうこうぐち……昇降口ってか? 同じ答えか」


 携帯電話で一つ目の数字の部分を、二つ目の数字の数だけ打てばわかるってやつか。

 電話マークは字を小さくする。アスタリスクは濁点か。

 一般客がいなくて良かった。走って移動できる。すぐに向かう。確かに、もう一枚あった。『光にかざせ』の横に。すぐに取り外す。


「これは……」


問二 9ytew@jz9




「結愛、パソコン持ってるか?」

「今は、タブレットだけです」

「キーボード出して」

「は、はい」


 結愛はスマホでもタブレットでも、文字を打つ時はキーボード配置にしている。


「……四階で待つよ。ってか」


 パソコンのキーボードの平仮名に着目すれば良いって奴か。


「何があるかわからない。結愛は志保のところに」

「了解」

「俺は確認してくる。何かあったら、頼む」


 そう言うと、結愛は人差し指を右頬に添えて、押し上げ右目を瞑る。


「ふっ。頼もしいよ」


 可愛らしいウインクで、コンディションは万全であると示してくれた相棒。ならば俺は俺の仕事をするだけだ。


「史郎、萩野さん。二人とも、良かったら一緒に回らない?」

「あ……」


 三年生のブースから、焼きそば片手の志保。

 志保の無事が確認できた。それは良い。

 だが、俺は迷ってしまった。

 このまま、志保と一緒に回っても良いのでは? と。

 誤魔化すのが大変そうだから? 振り切るのが面倒だから? 

 そうだ。何か危機があると確定したわけじゃないんだ。

 そう結論を出すのはまだ早いけど。でも。


 頭の中にちらつく気がかり。俺の指は無意識に奏の連絡先を呼び出し、電話をかけていた。

 ワンコール。ツーコール。しばらく。『おかけになった……』と。

 思い出す、あの夏。

 電話に出てくれと祈っても届かなかった。

 奏が攫われた。それをまだ受け入れきれず、薄い希望に縋ったあの日。

 今も。奏に何かあったかもしれない。その事実を受け止めきれない、甘えた逃避。


「ごめん志保。明日、一緒に回ろうぜ」

「……うん! 約束!」


 志保は、何の陰りも無い。眩しい笑顔。

 そうだ、俺はまず、この笑顔が好きになったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る