第7話 突発的な会合。
「おかえりなさい。お風呂にしますか? 以下略。さて先輩。もうすぐゴールデンウィークなわけですが」
「なんだ。急に。そして当たり前のようになぜ俺の家にいる」
家に帰ると、結愛がエプロンを付けて、せっせとテーブルに料理を並べていた。
「簡単なことですよ。この前来た時先輩の合鍵を借りました」
「借りて、パクったと」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。夕飯も作っておきましたので」
「お前、料理できたっけ」
「勿論。生活力は付けておいて損はありませんから」
「お、おう」
テーブルに目を向ける。
鶏のから揚げにハンバーグ。フライドポテトに麻婆豆腐。
「お前、俺にカロリーカロリー散々言っておいて、なんだ、このラインナップは」
「先輩の好物しか作れません」
「なんだそりゃ」
「先輩。復帰していただければ、任務の度にこの食事を用意しましょう。これもまた後方支援であり、前線から帰ってきた相棒を労う。どうですか?」
「なんだ、お前は。俺を肥えた豚にでもしたいのか?」
流石に、これは野菜料理の一つでもないと、明日が大変だろうな。
冷蔵庫からキャベツを取り出して真っ二つに。半玉を素早く千切りにする。
それをボウルに盛り付け、ごま油と塩を多めにかける。韓国海苔があれば完璧なのだが。まぁ良い。あとはしっかりと混ぜるだけだ。
「即席塩キャベツだ」
「ギルティックテイストですか?」
「そんなところだ」
さて。野菜を確保した。
そして、結愛が用意してくれたものが、好物なのは間違いない。
「いただきます」
「どうぞ」
そして、一口。とりあえず唐揚げから。
「……美味いな」
「あぁ、良かった」
あと十年もすれば、胃もたれとか何とかほざくようになるのかな。
「奏は、栄養バランスには厳しいからな」
「先輩。奏さんいなかったらどうなっているのですかね?」
「さぁな。考えたことねぇや。怖くて」
「正直、私、あの人が怖いですけど」
「なんで?」
結愛は壁の方、いや、壁の向こうの久遠家を見ている。
「ねぇ、先輩。もしかしてですけど、組織のこと、バラしました?」
「さぁな」
訝し気な視線。そりゃそうだ。一応、秘密にしろということになっている。
言うべきか。
久遠奏は、俺が仕事を休むことにしたきっかけだと。
結愛には、いつか説明しなければならない気がする。そういう責任があると思う。
「あの時期、夜中に帰ることもあったからな」
あぁ、駄目だ。考えていたこととは別に、俺の口は誤魔化す方向に動いて行く。
「あぁ。お隣さんですもんね。それで、今疑われる理由は?」
「さぁ。その時期と同じ雰囲気を感じる、って言われただけだし。初対面を警戒するのは当然だろ。
高校だって入学したばかりだ。環境が変わって気が立っているだけだと思うぞ」
「ふむ……そういうことにしておきますか。では、私は帰ります。仕事放棄しているようなものですし」
「おい」
「いえ、ちゃんと対策はしてあるので」
「そうかい……なぁ、聞いて良いか?」
「何でしょう」
「この任務、何人割かれている」
「……そうですね。明かしましょう。護衛は、私一人です」
「やっぱりな。つまり、俺に声をかけたのは」
「私の独断ですよ。勿論」
わけがわからない。危険性が認識された以上、増員の判断が下りてもおかしくはないはずだ。
「校内で護衛するなら、年齢的にも不自然さをカバーする意味でも、お前一人、というのはありえるが。それにしても」
腑に落ちない。
「陰から守るのが一人いてもおかしくはない」
「えぇ。なので先輩に声をかけたのです。私一人ではキツイと判断して」
「と、言いつつ俺の家で飯を作るのな」
「これは作戦会議のためです」
「スマホは飾りか?」
「傍受される可能性があるので」
「随分口が回るようになったな」
「えぇ。まぁ」
その時だった。
玄関の方で音がしたのは。そしてすぐに、リビングに繋がるドアがガチャリと開いた。奏が合鍵を使って入ってきた。
部屋着にコンタクトを外して眼鏡。オフモードの奏だ。
「史郎君。夕飯のカレーが余ったんだけど……」
「カレーなら、音葉ちゃんと花音ちゃんの明日の朝ご飯にすれば良いではないか」
「うん、それでも多いから、お裾分けにって……ふーん。やっぱりそうか。踏み込んで正解だった」
「それでは先輩。また明日」
さりげなく帰ろうとする結愛の肩を、奏はガシッと掴んだ。
「お茶淹れるから、飲んで行かない?」
「いえ、私、予定もありますので」
「良いから。座って」
「えっ、えーっと。ん?」
スマホに目を向けていた結愛の目は、再び奏の家に向く。発信機で志保の位置を確認したのだろう。
「朝倉さん。今私の家にいるから。ね? これならいいでしょ?」
「先輩、何なんですかこの人。怖いのですけど」
「従った方が身のためなのは確かだぞ」
「ふむふむ、なるほどね」
奏の反応は、思っていたよりも静かで穏やかなものだ。
「そっか。ねぇ、史郎君」
「なんだよ」
「私ってさ、そんなに信用無い?」
奏が首を傾げてにこっと笑う。
「えーっと?」
「私さ、史郎がやってた仕事知ってるよ。助けてもらったこともある。なのに、何でかなー。何で相談してくれないかなー」
「いや、正式に任務として受けているわけじゃないし。それに、奏は関係な……」
「関係無くないから」
「ヒェッ」
隣で小さく息を飲む声。
気持ちはわかる。
何だろう。奏に怒らている時って、本当に自分が悪い気がして居心地が悪いのだ。
そう、奏は怒っている。
「あー、もう。何でこう上手くいかないのかなぁ。ムカつくなぁ。私がどうにかできないところから横槍入れないでよ。本当、勘弁してよ」
ぶつぶつと奏は恨み言を思いつくままに並べて、俺を真っ直ぐに睨む。
「はい! 何でしょう!」
「ねぇ、史郎君。最初の質問の答え、まだもらってないなぁ」
かつてあった三つ編みの代わりに、後ろ髪を指先で弄りながら、ふんわりとした笑みを浮かべる。
それは、奏の、怒っているサインだった。
「信用無いわけじゃない。奏は、親よりも、この世界の誰よりも、俺のこと、知っている」
「そうだね。私もそう思ってるよ」
「その……奏を信じられないなら、他の誰を信じれば良いか、わからないくらいだ」
「ちょっと先輩! 一緒に死線を潜ってきた私を差し置いてですか!」
「い、いや。結愛も信じてるぞ。結愛の助けが無かったら危ない場面は結構あった。ある意味命の恩人のようなものだ」
キリリと頭が痛んだ。
これ以上好意を表現することを、体が拒否した。
「史郎君?」
「史郎先輩?」
「なんでもない」
気がつけば目元を押さえていた。
好意を躱される感覚を思い出して、嘔吐感が込み上げる。
「すまん、少しトイレ」
返答を聞く前に駆け込んだ。
「あぁ、くそっ」
吐きはしない。それは結愛に申し訳ない。
はぁ。駄目だ。
彼女たちは、大丈夫だ。
違う。もっと気を付けろ。大丈夫と思っていた結果、どうなった?
正しいと思い込んだ結果、どうなった?
『ねぇ、史郎、別れよ』
口元を手で抑える。
吐くな。絶対に、吐くな。
『私、史郎みたいに、できないよ』
違う。そんなことは無い。その時の俺は、言えなかった言葉。
でも、俺は、何も反論できなかった。
何を間違えたのか、わからなかったから。
「行かなきゃ」
洗面台で顔を洗って気合いを入れなおして。
「お待たせ」
ピリピリとした空気が出迎えた。
「史郎君、おかえり。えっと、続き、しても良いよね?」
「……あぁ、良いよ」
一応、気を使ってくれる奏に笑みを見せて。
気合を入れ直しても、この空気はピリピリと胃に直接くる。
「それじゃあ、私の要求。史郎君を、巻き込まないで欲しい」
要求は単純で、端的だ。
「史郎君の仕事は知っている。犯罪の証拠を盗みに行ったり、攫われた人を助け出したり。大きな犯罪を未然に防ぐための工作をする。でしょ?
警察の作戦にも参加するらしいじゃん。正直、史郎君の仕事を知ってから、私は毎日不安だった。うん。とても」
「それは……」
「あなた、後方支援だっけ」
「……はい」
「良いな……私、祈ることしかできなかったもん。あなたみたいに、直接何かできるわけじゃないもん」
「……違いますよ。私も同じですよ」
「えっと、その。不安にさせていたなら、えっと、悪かった。けどほら、俺、今ちゃんとぴんぴんしてるし」
「これからもそうだと言える? 休職中だっけ? それを知った時、どれだけ安堵して、どれだけ不安になったかわかる?」
「不安? なんで不安になるんだよ」
頭一つ低い位置から、鋭い視線が突き刺さる。
「いつか復帰するかもしれない。その可能性を残しているからだよ。萩野さん、あなたは、史郎君に復帰して欲しいの?」
「うっ……はい。私は、史郎先輩に、帰って来てほしいです」
「自分の望みははっきり言わないと駄目だよ。私みたいに後悔するから」
「! はい! 私は、史郎先輩に帰って来てほしいです」
「まぁ、私のアドバイスと、私がイラつくかどうかは別なんだけど」
「ひっ。うぅ、史郎先輩が、どれだけ求められる人材か、わかっていないようですね」
「それが何よ」
「ミッション成功率百パーセント。この意味がわかりますか?」
「史郎君の事、能力でしか見てないってこと?」
「違う!」
立ち上がり、机を殴り、顔を歪ませて奏を苦み付ける
「違う! 違うもん……」
沈黙が場を支配する。
結愛の目から、ポロリ、ポロリと、涙が落ちる。
俺は、ため息を吐いた。
「あ、あぁ、ごめん。言い過ぎた。ごめんなさい。その、えっと、私も感情的になっちゃって」
奏が慌てて取り繕うように言葉を並べるが、はぁ。
「でも、本音ですよね」
「あ、あー。その」
「謝るってことは、要求を取り下げる、ってことですか?」
「えっと、その、それは違うけど」
「じゃあ、やっぱり本音ですか?」
「えっと、えっと」
ったく。この後輩は。相変わらず手段を選ばないな……。
「結愛。流石に卑怯だぞ」
「あっ、しまった……くっ、先輩がいなければ」
「議論の場で涙は卑怯だ。やめろと言っただろ」
「先輩の復帰を果たすためなら、禁じ手の一つや二つ」
「……萩野さんは、史郎君に死ぬかもしれないことをさせるつもりなの? また、あんなことさせて、あんな思い、させるの?」
「死なせません。もう、あんなことをしなくても良いようにします。そのために、先輩の隣りに立つために、私は!」
萩野の手がブレ、次の瞬間には、奏の顔面すれすれで拳が止まっていた。
「奏さん、あなたの要求はわかりました。そして、改めてはっきりと告げます。先輩に復帰して欲しい」
「私だって、もう史郎君に、あんなことをさせない。私を助けるために、史郎君は、人を、だから……」
「おい、落ち着け、お前ら」
「あっ、すいません」
「ご、ごめん。史郎君」
これ以上やっても平行線。それは二人もわかったようで、結愛は奏から背を向け、奏も結愛から目を逸らした。
「……決めるのは先輩です。それでは今日は失礼します」
そう言って、そのまま家を出て行く。
残された俺達は顔を見合わせて、そのまま目を逸らした。
「えっと、志保、いるんだよな、隣に」
「うん」
「なんて言って来たんだ」
「お隣さんの家に行くって」
「あっ、俺の家、知らないもんな」
「私の目気にして、連れてこなかったからね、史郎君」
「あぁ。まぁ」
「そういえば気になったんだけど、朝倉さんの家には行ったの?……あっ、目を逸らした。行ったんだーへー」
あぁ。行ったよ。
美味しいご飯用意してあるんだーとか言われて、ウキウキで着いて行ったよ。
「ふーん」
「うるさいぞ。ったく。志保待たせてるんだろ。行ったらどうだ」
「んー。気になることもあるけど、そうだね。そうする」
「あぁ」
「それとさぁ、一つ、相談があって」
「ん?」
「最近、なんかつけられてる感じがあってさ」
「えっ?」
「史郎君、気づいてた?」
「……いや」
ここ数日は結構気を張っていた。怪しい動きをした奴がいないか、ちゃんと見ていた。
「そう、なんだ。じゃあ、気のせいかな」
「俺も警戒しておく」
「お願い。その、ごめん」
「謝ることじゃないだろ」
「ん。ありがとう。それじゃ」
「あぁ、一応、俺も家の前まで行く」
「大げさだと思うけど」
「もう、あんな思いしたくない」
「……ごめん」
「悪い。俺も、卑怯な言い方をした」
そのまま一度も目を合わせないで、奏の家の前まで。一分もかからない距離。
奏がちゃんと家に入ったのを確認して戻る。
いつも通り一人の家。では無いな。
どれ、寝るか。
そう思っていたら、後ろに人影が下りてくる。
「さて先輩、ゴールデンウィークについて話し合いましょうか」
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