第34話 快楽と死

 はっとした。カイトを握る巨人の手に力がこもる。少しずつ、少しずつ。握力は次第に強くなり、胴体が締めあげられていく。


「んんんん!」


 最悪の未来を直感した。唇を塞がれたまま必死にもがいても、巨人の拳はびくともしない。

 骨が軋んでいる。胸腔を圧迫され呼吸ができず、やがて声も出せなくなる。筋肉が硬直して動くことすら叶わなかった。


 こんな状況でも、ソーニャの舌は容赦なく口腔内を這い回る。歯の一本一本をなぞられ、頬の裏をくすぐられ、舌には優しく吸い付かれる。

 そんな淫靡な快楽までも、迫る死の苦痛に塗り潰されていく。


 そして、時は訪れた。 

 骨が砕ける音。内臓が潰れる音。肉が破れる音。自身の中から聞こえた凄惨な響き。遅れて訪れた想像を絶する激痛に、カイトは白目を剥き出した。否、それはもう痛みなどという次元の感覚ではない。自分という存在が圧縮され、すり潰され、バラバラに引き千切られ、何が別のものになってしまったような。裂けた肉から鮮血が溢れ出し、カイトの直下に血だまりを作り出す。絶叫は声にならない。


 この期に及んでもソーニャは唇を離さなかった。重なった口元から血が滴り、美貌を赤く染めてなお、情熱的な口づけは続く。

 もはや快楽はない。あるのはただ死の苦痛のみ。


「はい。おしまい」


 カイトの口から溢れた血をきれいに舐めとって、ソーニャは品のある微笑を湛えた。

 巨人の握力が緩むと、カイトが地に落ちる。ぐしゃぐしゃにひしゃげた身体は、本人の意思とは無関係に痙攣していた。首から下は、もはや人としての原型を留めていない。ところどころ骨を剥き出しにした肉塊でしかなかった。


「どう? 気持ちよかったでしょー? そりゃそーよね。そーに決まってる。こーんなにかわいいあたしと、あーんなにえっちなキスできたんだもん。ほんと幸せ者なんだからー」


 胸元から取り出したハンカチで口元を拭ったソーニャは、呼吸もままならないカイトを見下ろしてくすりと笑いを漏らした。


「あら残念。もう聞こえてないみたい」


 彼女の手から離れたハンカチがひらひらと舞い落ち、カイトの顔面を覆った。面布のつもりだろうか。頼りない呼吸が、血で汚れたハンカチをわずかに動かしている。


「頭を潰して、楽にしてあげなさい」


 無慈悲な死の宣告。

 巨人が拳を振り上げる。狙いは定まり、あとはただ振り下ろすだけ。カイトはそれを見ることすらできない。


「それじゃ、さよーなら」


 無邪気なご挨拶。

 それが、カイトの聞いた最後の声だった。

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