第28話 県立市民運動公園
「・・・」
純は黙って、県立市民運動公園の芝のピッチを見つめていた。そこは純にとって絶対的な憧れの地であり目標だった。
「・・・」
しかし、冷めている自分がいた。純の胸の中には、冷たい虚しさが広がっていた。何かが純の中で終わってしまっていた。
「・・・」
純は冷たく芝のピッチを見つめ続けた。
準決勝の当日、県立市民運動公園に選手たちは降り立つ。そこにはもう秋口の冷たい空気が流れていた。
「さみいな」
高校のマイクロバスから降りると日明が言った。
「俺、さみいの苦手なんだよな」
そう言いながらグラウンドの方へと歩き始める。
「あ~あ、俺はブラジルに生まれたかったよ」
「お前はヨーロッパに行くんじゃなかったのか」
いつものように隣りにいた隆史が返す。
「ブラジル生まれで、ヨーロッパに行くんだよ」
「そうか。はははっ」
「まったく冬とかいらねぇんだよ。春夏夏夏でいいんだよ」
「夏多すぎだろ」
「春も要らねぇくらいだよ」
その時、階段を上っていた二人の目の前に芝生のグラウンドが現れた。
「・・・」
二人はそれを見て立ち止まる。それは、あまりに大きく、広く、輝いていた。
「マジで来たな」
隆史が芝のグラウンドを見つめながら隣りの日明に声をかける。
「ああ」
日明も芝のグラウンドを見つめながら答える。そこにはリアルな二人の夢の今があった。
「俺正直言うと昨日ちょっと寝れなかったぜ」
隆史が少し恥ずかしそうに言った。
「俺はおもいっきり寝たけどな」
「はははっ、お前は図太いな」
「お前が弱いんだよ」
日明が言い返すと隆史が笑った。
「そうかもな」
そして、二人は再び、グラウンドへと歩き始めた。
東岡第三の選手たちがピッチに降りて行くと、南丘の選手たちはもうそこに来ていて、ベンチ前で準備を始めている。その姿を見ると、途端に東岡第三の選手たちに緊張感が走る。これから、運命をかけた準決勝が始まる。何とも言えない、不安と興奮が湧き上がる。
日明たちも自分たちのベンチに行き、荷物を下ろし、早速ウォーミングアップの準備を始める。
その時、誰かが日明と隆史に近づいてきた。
「よっ」
二人が見ると、中学時代チームメイトだった武井拓也だった。
「今日はお手柔らかに頼むぜ」
「・・・」
日明と隆史は複雑な表情で、お互い顔を見合わせる。中学時代、武井は先輩たちとばかりつるんで、日明たち同級とはほとんど交流らしい交流はなかった。だが、この日は急に人が変わったみたいに武井は人懐っこく話しかけてくる。それにどう対応していいのか二人は迷う。
「準々決勝の甲陽戦で、手島と山田にあったぜ」
「そうなのか・・」
二人は返事に困る。二人とも滅茶苦茶どうでもいい関係性だった。
「花岡もいるぜ」
見ると、南丘の一年生のメンバーの中にこれまた中学時代のチームメイトの花岡がいた。しかし、花岡は二人にとって手島と山田以上にどうでもいい存在だった。というかもう一生かかわりたくない相手だった。
「あ、ああ」
やはり、二人は返事に困り、適当に返事を返す。
「まっ、今日はよろしくな」
「あ、ああ」
「じゃあ」
そんな二人の空気を察したのか、武井は自分から話しかけておいて、結局、ろくろく会話も成り立たないまま、武井は去って行った。
「・・・」
二人は去っていく武井の背中を呆然と見送った。
「何しに来たんだあいつ」
日明が呟くように言った。
「さあ」
隆史も首を傾げる。
相手ベンチに帰っていく武井を見ていると、やはり、同級生たちではなく先輩たちの方の輪に入っていく。そこで、武井は、先輩たちとよろしくやっていた。
「あいつ相変わらずだな」
日明が言った。
「ああ、先輩とうまいことやってるわ」
二人は呆れる。
「あいつの先輩に取り入るあの才能はやっぱ天才的だな」
隆史が感心しながら呟くように言った。
「何やってんだよ」
隆史が試合前に、奇妙な行動をとる日明を見て怪訝な顔をする。日明は、芝を抜くとそれを風に流していた。
「風をな」
「風?」
この日は風が強かった。
「風がどうしたんだよ」
「ちょっとな」
「おいっ、というかレガースしろよ」
隆史が視線を下げ、日明のソックスを見た。日明はいつもレガースをせずソックスを足首までおろしていた。この当時、それほどルールは厳格ではなく、その辺は大らかで、レガースなしでも試合に出ることができた。が、楢井は意外とそういうところはうるさく、部内では絶対着用になっていた。
「要らねぇよあんなもん」
が、日明だけは従わない。
「でもなぁ、一応しといた方がいいぜ」
「なんか気持ち悪りいんだよ。汗かくとベタッとするしさぁ」
「まあ、それは分かるけどなぁ。でもやっぱちゃんとした方がいいぜ」
「大丈夫だよ。もう、お前はいちいちマジメなんだよ」
日明はうっとうしそうに、そこで話しを切った。
「さっ、始まるぜ」
日明がピッチを見て言った。
「ああ」
隆史が応える。
ついに今、二人の夢の先、準決勝が始まろうとしていた。
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