第21話 練習前

 練習の始まる前、純が先輩たちに水を持っていく。純の姿を見とがめると、そこにいた先輩たちの空気が変わった。それと同時に、先輩たちから冷たい視線が飛んで来る。それは鋭く純を見据えた。

 その視線は、先輩というこの組織の中での絶対的な存在の無言の暴力だった。


「どうしたんだよ。お前が試合に使ってもらえないなんて」

 練習前のひと時、隆史が日明に声をかける。最近練習試合にも、ピッチに日明の姿がない。

「こないだ監督にあんな練習じゃ全国行けませんよって、言いに行ったんだ」

「マジか」

 隆史が驚く。

「ああ、それで怒っちゃってさ。楢井の野郎」

「そりゃ怒るだろ。お前、練習にもろくろく出てないのによくそんなこと言えたな」

「ほんとのことだからな。みんな思ってることだろ」

「まあ・・、な」

 確かにそれはみんな思っていることだった。基本、楢井の練習は走ってばかりで、努力根性忍耐の昭和のスポコンだった。選手たち全員、そのことに疑問を持っていた。

「それで試合使ってもらえないのか」

「ああ」

「しかし、よくもまあ、あの監督に言ったなぁ」

 あらためて日明を見つめ、隆史は呆れる。

「小さい男だよ。あいつも」

「大丈夫か。予選も近いぜ」

「大丈夫、大丈夫。俺が居なきゃ全国無理だからな、どうせ使うぜ」

「はははっ、お前は余裕だな」

 隆史は笑う。

「余裕余裕」

 早々にインターハイで負けた東岡は、秋の全国高校サッカー選手権大会までは、まだ期間が空いていた。

「だけど、実際問題あいつの昭和のサッカーじゃ、マジで全国行けるか分かんねぇぜ」

 日明は眉根を中央に寄せる。

「まあ、確かになぁ・・」

 そこは隆史も思うところではあった。

「だから、俺がわざわざ言いに行ってやったんだよ」

「確かにあいつには戦術らしい戦術ってないもんな。とりあえず、四・四・二で、後、勝手にやってくれって感じだもんなぁ。気に入らないと選手交代。で、何にも言わないから交代させられた選手も何が悪いのか全然分からないし」

「何がしたいのかどうしたいのかがまったく分かんねぇんだよ。何も言わねぇから。見て覚えろ的な昭和の職人感覚なんだよ。あいつ」

「ほんと一言も指示ないからな」

「そう、ずっとふんぞり返って座ってるだけ」

「練習中も選手に指導の一つもないからな。俺、あいつに声かけられたことすらないぜ。一回も」

「無能なんだよ。一言で言っちまえば」

「今の日本には選手以前に指導者がいないんだよな」

「そうそう、昭和のスポコンマニアみたいのばっかりなんだよ。努力してりゃ、自然とうまくなるみたいな。訳の分からん信仰みたいな世界なんだよ」

 それは、確かに当時の日本の現実だった。

「だから嫌われるの覚悟で言いに行ってやったんだよ。まったく天才は悲劇だよなぁ。こんなことまでしなきゃいけないなんて。はああ、でも、俺の苦悩を誰も分かってくれないなんだよ」

 日明はおどけた調子で大げさにため息をつく。

「お前の周りの方が悲劇なんじゃねえのか」

 隆史が、日頃の日明の数々の迷惑行為を揶揄して言い返す。

「おいっ」

「はははっ」

「でもよう、俺なりにマジで危機感持ってんだぜ。やっぱ、あの楢井のサッカーはまずいだろ」

「確かにな・・」

 選手権の予選は、まだ時間はあるとはいえ、迫って来ていた。

「あっ、それよりよぉ。西村が俺のうんこヘルメット被ったって噂聞いたか」

 日明は突然声を大きくし、話題を変えた。

「ああ、聞いた聞いた」

「ざまあみろだよな」

「う~ん、ちょっと、俺はやり過ぎな気がするがな」

 隆史は首をひねる。

「いや、そんなことはない。全然ない。天罰だ。天誅が下ったんだよ」

 日明は言い切った。

「なんの天罰だよ」

「いや~、あいつの頭にうんこ乗ったとこ見たかったなぁ」

 日明は本当に残念そうに首を傾げる。

「さぞかし似合っていただろうな。あいつはクソ野郎だからな」

 日明は一人うんうんとうなずく。

「よしっ」

「なんだよ」

 隆史が突然声を上げる日明を見る。

「今日は帰る」

「おいっ」

「こんなめでたい日に、練習なんかしてられっかよ」

「せっかく練習来たと思ったら、お前はなんだかんだ言って言い訳見つけては練習をさぼるな」

「お前も今日はさぼろうぜ」

「お前、大会も近いんだぞ。それに楢井の機嫌も損ねてるし」

「大丈夫大丈夫」

「いいのか。また先輩連中にだって目ぇつけられるぞ」

「関係ないって。あんなの」

「毎んち、毎んちアホみたいに走ってばっかじゃ、逆におかしくなるぜ。息抜きだよ。息抜き」

「お前、そう言って、息抜きばっかじゃねぇか」

「まあ、そうかもな」

「まったく」

「なあ、行こうぜ」

「俺を悪の道に誘うな」

「お前はほんとまじめだねぇ」

 日明は諦め、一人でひょこひょこ行ってしまった。

「・・・」

 いつものようにその後ろ姿を、呆れながら隆史は見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る