第20話 朝の緊急全校集会

 次の日の朝、突然生徒たちは体育館に呼び集められた。

「なんだよ、緊急全校集会って」

 生徒たちはみんなだるそうに体育館に向かう。

 生徒たちの集められた体育館の中は、集まった生徒たちの何事かという憶測でざわついていた。

「え~、オホン」

 そこに、校長の松永が、演壇に上がりマイクの前に立った。

「なんだよ校長の話かよ」

「なんの話だよ」

 生徒たちは口々に不満の声を上げる。

「またあの長ったらしい、くだらねぇお説教だぜ」

 生徒たちはみんな心の中で毒づいた。松永の話はいつも回りくどく、意味もなく長い。それでいて結論がまったく見えない。だから生徒たちは校長の話を心底嫌っていた。 

「え~、野球部の部室で、うんこをした者がいる」

 開口一番、松永がいきなり苦い顔で言った。すると、生徒たちの中からざわめきと笑いが漏れた。

「うんこ?」

「マジ?」

 その笑いが次第に大きくなり、一つの渦になる。

「誰だよ。うんこって・・、クスクスクスクス・・」

 生徒たちは予想しえなかった単語の突然の出現に笑う。多分、この状況で笑わない人間の方がいないだろう。

「こらっ、笑ってんじゃねぇ」

 だが、それを生徒たちの脇から、今年入ったばかりの若い体育教師の和田が怒鳴りつける。それで、生徒たちは一瞬黙った。

「うんこて・・」

 だが、すぐにまたクスクスと笑いが起こり始める。

「本当にけしからん行為であります」

 松永は、そんな中、話を続ける。

「え~、品位あるですね。当学校にですね、あるまじき、破廉恥極まりないですね、行為であります。健全なですね、学生生活をですね、送っていただくためにですね・・、え~」

 またあの回りくどい言い回しで松永の長い話が始まる。それを黙って耐えながら、生徒たちは体育館の固い床に直に座り、うつむき加減に仕方なく聞く。

 しかし、その話の大元の犯人である当の日明は、この日も遅刻で全校集会のこの場にはいなかった。

「うんこというのはですね。トイレでするものでありまして・・」

 うんこという単語に再び笑いが起こる。それにそんなことは子どもでも誰でも知っている当たり前の話だ。 

「え~、でぇ~ありますから、でぇ~ありますから」

 松永は、生徒の反応など気づいているのかいないのか、その腹の出た巨体を反らすようにして、偉そうにそのまま話を続ける。

 校長の松永俊夫は、東岡大学グループの創始者の松永重幸の孫だった。今も私学の東岡グループは、松永一族が牛耳っていて、各学校の校長や理事、役員は全員松永一族の者かその縁戚の者だった。この松永俊夫もまさにその中の一人だった。その松永一族の総資産は二百億以上とも言われている。

 そして、その東岡グループの創始者の松永重幸は、戦後A級戦犯になった岸信介の直属の部下をしていた男だった。戦中岸と共に中国でかなりヤバい仕事をしていたともっぱらの噂で、そのことを指摘する歴史学者も多い。本来なら、やはり戦争責任者としてそれなりの処分を受けるべきはずの人間であったが、それが、戦後岸と共になぜか許され、一方は首相になり、一方は日本を代表する巨大大学グループの総帥になった。そのことが、様々な憶測を戦後生んできたが、権力の影でそれはついに表に出て議論されることはなかった。

 長い校長のお説教のような、お経のような話が終わると、やっと解放された生徒たちは、体育館を出てまたぞろぞろとだるそうに、もとの教室へと帰ってゆく。

 すると、そこに、教室に向かう生徒たちとは反対方向から、ひょっこりと、日明が現れた。

「おいっ」

 そんな遅れてやって来た日明を、隆史が見つけ呼び止める。

「おっ、みんなどうしたんだよ。教室行ったら誰もいなかったからびっくりしたぜ」

 日明も隆史に気付き、片手を上げながら笑顔で近寄っていく。

「校長の話があったんだ」

「なんだ。またあのくだらねぇお説教か。遅刻してよかった」

 何も知らない日明はまったくの他人事だった。

「お前なぁ」

 そんな日明に隆史が渋い顔をする。

「なんだよ」

「お前全校集会で言われたんだぞ」

「何を」

「昨日のうんこだよ」

「ん?ああ、あれか」

「ああ、あれかじゃねぇよ」

「大げさなんだよ。うんこぐらいで」

 しかし、日明はやはりまったく悪びれる様子もない。

「うんこぐれぇで全校生徒集めるたぁ、ほんと、暇な学校だな」

 全校生徒全員の朝の貴重な時間を奪う原因を作った帳本人だったが、日明は罪悪感を感じるどころか、まったくそのことに気づいてすらいない。

「でも、さすがにヘルメットの中はまずかったんじゃねぇか」

「いいんだよ。大体ヘルメット被らなきゃ出来ねぇような、危険なスポーツなんてそんなのスポーツじゃねぇよ」

 日明はうんこと関係ない無茶苦茶な理屈をこね始める。

「ヘルメット被って一々木の棒振り回すって、現場仕事か」

「何の話だよ」

 隆史でさえその理屈について行けなかった。

「俺はそれに抗議したんだ。立派な行いだ」

 日明は訳の分からない理屈をこねるだけこねると、そのまま日明は隆史に背を向け、みんなとは違う方に行ってしまう。

「おいっ、どこ行くんだよ。授業始まるぞ」

「うんこって聞いたらなんかうんこしたくなってきた」

 日明はそう言い残し、そのままトイレへと行ってしまった。

「まったく・・」

 隆史はそんな日明の背中に呆れた。


「あのさ、あのうんこの入ったヘルメット、西村かぶったらしいぜ」

「マジ」

「ああ、朝練の時、なんか他の一年が見ていたらしい」

「マジかよ」

「一つだけひっくり返っててさ、それをそのまま被ったらしい。あいついつも素振りする時、なんかヘルメット一々被ってやるんだよ」

「マジかよ。うわっ」

「なんか変だなって、ヘルメットとったらさ、頭にうんこが乗ってたって。クスクスクスクス」

「マジかよ、はははっ」

「でも、誰も何も言えなくてさ。クスクスクス」

「はははっ」

「その後さ、めっちゃ洗ったんだけどさ。それでもあいつの頭なんかしばらく臭かったらしいぜ」

「マジかよ。クスクス」

 その日、そんな噂が学校中に流れた。

 それからしばらく、西村が廊下を歩いていると、その顔と頭を見て、みんな笑いをこらえて、通り過ぎて行った。

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