第16話 爆発する日明
純は誰よりも早く来て一人グラウンドでボールを蹴っていた。朝練は完全な自主練で、来ているのは純とあと、遅れてやって来た一年の部員二人ぐらいのものだった。先輩は誰もいなかった。いつも萎縮しながら練習している純にとって、のびのびとボールに触れられる貴重な時間だった。
そこに二年の片桐がやって来た。二年でありながらもうセンターバックとしてレギュラーに定着している先輩だった。
「おはようございます」
純はすぐに頭を下げ、あいさつする。
「おおっ、おはよう」
片桐はそんな純にやさしくあいさつを返す。片桐はいつも純にもちゃんとあいさつを返してくれる。純に対し、先輩の中で、愛想よくやさしくあいさつを返してくれるのは片桐だけだった。
「・・・」
こういう先輩もいる。それが数少ない純の救いだった。
「俺はぜってぇ、あのピッチに立つぜ」
日明はまだ昨日のトヨタカップの興奮覚めやらず、鼻息荒く隣りを歩く隆史に言う。結局、日明はそのまま隆史の家に泊まり、次の日の朝、二人で一緒に登校していた。
「だったら、練習ちゃんと出ろよ」
隆史がそんな日明に鋭く返す。
「うん・・、まあ、な」
その直球ズバリの正論返しに、日明の口が急に淀む。
「そこは、気合い入らないのかよ」
「やる時はやる。けど、今はその時じゃない」
「その時はいつくるんだ?」
隆史が笑いながら訊く。
「いつかだよ」
隆史の鋭い切り返しに、日明は渋い顔で答える。
「とにかくだな。俺はやるんだ」
「分かった。分かった」
隆史は、眠い頭で笑いながら答えた。昨日は興奮する日明に付き合って、中学以来、サッカーについて夜中まで語り明かした。
「俺はやるぜ」
日明の興奮はますます高まるばかりだった。
周囲はいつもと変わらないどこかのほほんとした、朝のけだるい登校風景が広がっている。日明たちと同じ東岡の制服を着た生徒と、東岡の近くの千野高校の制服を着た生徒が、無数に同じ駅からの上り道を歩いて行く。
「おおっ、いいねぇ」
日明は千野高校の女子生徒の超短いスカートから延びる足を見て言った。
「お前はすぐそっちに行くな」
「いやあ、いい時代になったねぇ」
最近、女子高生の間で突如、超ミニが流行りだし、みんなこぞってスカートを短くしていた。東岡の女子生徒は、頭髪検査や服装検査があるため、やっていないが、千野高校は校則が緩く、女子生徒はみな恐ろしいほどスカートを短くしていた。
「あいつらアホ高校だけど、女子はいいね」
日明が舌なめずりするように言った。千野高校は、この地域では偏差値が最低ランクに低く、いわゆるヤンキー高校として知られていた。
「うん、いい」
日明は一人うなずく。
「やっとサッカーに目覚めたのになぁ・・」
そんな日明を見て、呆れ顔で隆史が呟いた。
しかし、その週の日曜日、そこには恐ろしく気合いの入った日明がいた。
「おおぉ」
そのプレーに、相手チームの観衆からも、大きな声が漏れる。
今日の日明はいつも以上に無茶苦茶だった。トヨタカップで見た世界最高峰の選手たちに感化され、これでもかと、その天才的なテクニックを披露していく。局所的な二人三人抜きは当たり前だった。信じられない足技と動き、その独特のリズムと緩急。公立の平凡なサッカー部である相手校の選手たちは、主力が三年であるにもかかわらず、まったくついていけない。同じ高校生でありながら、大人と子供、プロとアマチュアのようなレベルの差があった。
日明は左サイドから切り込み、一人二人とかわしながら、さらに追いすがる選手と共に、立ちふさがる選手をも手玉に取って、翻弄していく。ゴール前のペナルティボックスに入った時にはたった一人で相手の陣形を完全に崩していた。いや、壊していた。相手の陣形は日明一人によって完全に崩れ、慌てふためく相手選手たちをさらに、手玉に取って、日明は翻弄していく。まるで小さな子ども相手に遊んでいるようだった。そして、相手守備陣を完全に崩し、壊し、飛び出したキーパーまでかわすと、茫然とする相手選手たちの見守る中、日明はあざ笑うかのように無人のゴールに、子どもにパスするかのように、ゆっくりと流し込んだ。
サッカーをやる者として、最大の屈辱だったが、相手選手たちもここまでやられるともう、屈辱や怒りも、何も感じることすらが出来なかった。
それは、いつものルーティーンのような、大会前の近隣校との練習試合だった。だが、相手選手たちにとっては、運が悪かった。
「今日は一段とすごいな」
同じピッチに立つ、隆史がゴールを決めた日明に声をかける。
「まあな」
いつも通りクールに答える日明だったが、しかし、どこかいつになく目の奥が熱くなっている。テレビで見た世界最高峰の選手たちにやはり相当やられたらしい。それが隆史には分かった。
「まじめに練習にも出ねぇであれかよ」
隆史はあらためて日明の能力の高さに驚愕していた。
「ほんとどうなってんだよ」
隆史は、自分のポジションに戻っていく日明を見つめながら大きく息を吐いた。
その後も日明は爆発しまくりだった。誰も、この日の日明を止められなかった。
「マジで国立いけるかもな」
そんな縦横無尽にピッチを駆けまわる日明の姿に隆史は一人呟いた。自分の夢が目の前に来ている実感に、隆史の全身にゾクゾクと震えるような感覚が走った。
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