第7話 春季大会

 朝、七時二十五分。純はいつもの電車に乗り込もうと、開いた扉の先を見た。その入り口には、純と同じ制服を着た男女が立っていた。

 三年でキャプテンの黒田とその彼女だった。黒田は彼女と一緒にいつもこの電車に乗って登校していた。

「おはようございます」

 純はすかさずあいさつをした。

 しかし、二人は、挨拶を返すこともなく、ただにやにやと純を見つめていた。

「・・・」

 純は黙って、二人の脇を抜け、通勤通学で混雑する電車に乗り込んだ。


 ハーフウェーラインから、なんとなしにドリブルを始めた日明は、まず最初の相手選手の股を抜き、その選手をさらっと抜き去ると、その次の選手の手前に転がるボールをさっと足を出して、ボールを微妙に反らし、その小さな動きだけでこれまたさらっと抜き去った。それはあまりに無駄のない自然な流れだったため、誰の目にもそれが大した動きに思えなかった。

 しかし、日明は、その流れのまま、次々とスピードとリズムだけであれよあれよという間に相手選手を交わしながら、ゴール前まで行ってしまった。

 ペナルティエリア内に入り込んだ日明は、フェイントで立ちふさがる相手選手を揺さぶり、一瞬の隙の中からシュートコースをわずかに作り出すと、素早い動きでシュートを放った。慌ててシュートブロックに入る相手選手だったが、シュートはその股を突き抜け、更にキーパーの股もぶち抜き、そのままゴールにねじりこまれるように突き刺さった。

 大歓声が、グラウンドを全体に木霊した。その光景を見ていた敵味方全ての人間が興奮していた。

「・・・」

 しかし、相手選手たちは、ピッチ上に茫然と立ち尽くしていた。そこまでに至るまでには十分過ぎるほどの選手はいた。だが、誰一人として日明を止めることが出来なかった。たった一人、たった一人の選手を止めることが出来なかった。チームの総力を挙げて。しかも、日明はさして本気を出している様子がない。子ども相手に手加減しながら涼し気に遊んでいるかのように、かんたんにドリブルをし、ゴール前まで行き、そのままゴールを決めてしまった。

「・・・」

 相手選手たちはその場に茫然と立ち尽くした。

 今まで積み上げてきた努力が全て破壊される音を骨の髄で聞きながら、努力ではどうしようもない圧倒的差を選手たちは否応なくその身に刻まれていた。

「お前たちが悪いんじゃねぇよ。俺が天才なんだ」

 近くにいたキャプテンマークを腕に巻いた相手ディフェンダーの肩を叩くと、日明は颯爽と自陣に帰って行った。

「・・・」

 何も言い返す言葉もなく、その背中を茫然とその選手は見つめるしかなかった・・。

 ピッ、ピッ、ピー

 試合終了のホイッスルと共に、試合会場の松田商業高校のグラウンドでは歓声が上がった。

「やったぁ~」

「うおおおっ、松田に勝ったぁ」

 東岡が地元の強豪、松田商業に勝った。松田商業は、実業団選手も輩出する県内では全国常連の強豪校だった。東岡が決勝で松田に勝ったことの意味は大きかった。


「楢井の喜びようったらなかったな」

 日明が言った。

「まあ、初優勝だからな」

 隆史が答える。

「それにしてもなぁ、ちょっと喜び過ぎなんじゃねぇか。たんに県の南部大会に優勝しただけだぜ」

「まあな」

「一応あいつ監督なんだからさ。もっと、威厳と落ち着きをだな」

「松田商に勝ったのが嬉しいんだろ。この県では全国の常連だからな」

 現地解散となった試合後、二人は試合会場から、最寄りの駅までの道のりを二人で歩いていた。

「ラーメン食ってこうぜ」

 駅前まで来ると、日明が言った。

「ああ」

「ここがうまいんだ」

 駅裏の路地に入ると、紺色の暖簾を掲げた一件のラーメン屋が現れた。

「よく知ってるなこんな店」

「ああ、前に来たことあるんだ」

 日明は店の中に慣れた様子で入って行く。

「おお、きたきた」

 出て来たラーメンは、もやしがてんこ盛りのてんこ盛りにそびえ立つように盛られていた。

「すげぇな。これ」

 隆史も驚く。

「すげぇだろ。これがうまいんだ」

 日明はさっそくがっつく。

「しかし、どうやって麺まで辿り着いたらいいんだ・・、これ・・」

 しかし、隆史は食べ方に困惑していた。

「ところでなんで、お前はこの高校選んだんだ。お前のとこには全国の強豪から誘いがあったんだろ。家の前にベンツが並んでたとかって噂だぞ」

 もやしを食べに食べて、やっと麺をすすった隆史が日明を見た。

「ああ」

「松田商からも誘い、あったんだろ」

「ああ、あったな」

「だったら、なんで」

「・・・」

「絶対そっちの方が条件とかよかったんだろ」

「・・・」

 日明は黙って麺をすする。

「制服がかわいかったんだ」

「は?制服?」

 隆史が日明を見る。

「ああ、制服だ」

「?」

「妙にそそられるんだよな。東岡の制服。あれにやられちまったね」

「はははっ」

 しばしなんのことか分らず、呆けていた隆史だったが、日明の言わんとしていることを理解して、爆笑した。

「お前らしいわ」

「それによ、強い高校行って全国行くなんて当たり前だろ。そんなのつまんねえよ。やっぱ、一回も全国に行っていない弱小高校をさ、俺の力で行かせるってストーリーが一番カッコいいかなって思ってな。よくあるだろ。映画かなんかでその手の話」

「はははっ、お前はやっぱすげぇわ」

「俺が連れてくんだよ。全国へな。みんなの力じゃない。俺の力で」

「はははっ」

「おれ、めっちゃかっこいいだろ」

「めっちゃカッコいいわ。お前」

 隆史は腹を抱えて笑った。

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