第4話 クリームパン

 視聴覚室での授業が終わり、教室へ戻るため純が同級生と階段を降りていくと、二年の那須がその下で純を睨みつけていた。

「・・・」

 純が目を合わせても、一切目を反らそうとしない。ずーっと執拗に、那須は純を睨みつけていた。

「・・・」

 純は那須とは口を利いたこともなかった。部活でも一切絡んだこともなかった。

「・・・」

 その細い逆三角形の目が純を執拗に睨みつけている。

「・・・」

 純はただ意味も分からず、目を反らすと理不尽な怒りと悲しみに包まれながら黙ってその場を去った。


「またここか」

 隆史が屋上に行くと日明を見つけた。日明はまた学校の屋上にいた。

「はぁ~」

「なんだよ。急にため息なんかついて」

 日明は肩を落とし、ため息をついた。

「また女だな」

「当たり前だろ。俺が女以外でため息なんかつくかよ」

「それもそうだな」

 隆史は笑った。

「今度は誰なんだよ」

「交換留学生のルーシーちゃん」

「あのモナリザみたいな奴か」

「それはキャシーだろ。俺が狙ってんのは、理系バカJ組のルーシーちゃん」

「デンマークから来たとかいう?」

「そう、おっぱいボインボインだぜ」

「好きだなぁ」

「透き通るような金色の髪に青い瞳、どこまでもきめ細やかな白い肌。うう~、もうたまんない」

 日明は両手を自分に回し、悶えるように抱き締める仕草をして、コンクリートの上に転がった。

「はははっ」

 日明の大げさなジェスチャーに隆史は笑った。

「でも、J組にそんな子いたかなぁ」

 隆史は首を傾げる。J組は、理系の進学クラスで、普通クラスの隆史と就職クラスの日明とは、あまり接点がなかった。

「彼女は絶対、俺のこと好きだぜ」

 日明が隆史を見る。

「なんで分かるんだよ」

「廊下で目が合った」

「それだけか」

「それだけで十分だ」

「長生きするよ。お前は」

 隆史は心底呆れた。

「あの光り輝く青い瞳が語ってるんだ。あなたのことが好きですって」

「はははっ、全くお前は。だったら声かければいいんじゃないか」

「俺はこう見えても繊細なんだよ」

「どこがだよ」

「あの澄んだ青い瞳を見るとさ、なんだか胸がきゅ~んとなっちゃってさ。一瞬で銅像みたいに固まって、声かけらんなくなっちゃうんだよ。あの目はホント、俺の全部を吸い尽くしちまうんだ」

「お前にもそんな人間としての機能があったんだな」

「おいっ、怒るぞ」

 日明が隆史を睨みつける。

「はははっ、悪い悪い」

「でも、お前未希ちゃんはどうすんだよ」

「まあ、それはそれ、これはこれだよ」

「お前、いつか絶対刺されるぞ」

「大丈夫だよ。女なんて適当に褒めときゃすぐ忘れるんだから」

「お前ほんと、いつか殺されるわ」

「ところで、なんか食いもんねぇか」

「また弁当食っちまったのか」

「当たり前だろ。昼まで持つかよ」

「ほんとよく食うな。お前は」

「一日三食なんて誰が決めたんだよ。全く」

 日明は一人キレる。

「一日最低五食は必要だよな」

「それはお前だけだろ。普通は三食で足りるんだ」

「よし、あいつを呼ぼう」

 日明は携帯電話を取り出した。

「どうすんだよ」

「山田を呼ぶ」

「どうやって」

「ポケベル持たせてんだ」

 そういって、例の携帯電話を制服のポケットから取り出した。

「ポケベル?またあの携帯くれた女からか」

「そう、その通り」

 日明はそう言って隆史にウィンクした。

「っていうか自分で購買部に行けばいいだろ。階段降りてすぐだ」

「う~ん、まあな」

 そう答えながらも日明は携帯のボタンを押した。しばらくすると、慌てた様子で山田が屋上にやって来た。

「おいっ、山田」

「はい」

「パン買ってこい」

「はい」

「クリームパンな」

「はい」

「急げよ」

「・・・」

「なんだよ」

 しかし、山田は何か言いたげに立ち尽くしている。

「あの・・、お金・・」

「あっ?」

「お金・・」

「今ない」

「・・・」

「立て替えとけ」

「でも・・」

「なんだよ」

 日明は思いっきり睨みつけた。山田は日明たちに背を向け、慌ててパンを買いに走った。

「おい、いいのか」

「いいんだよ。あいつは俺が好きなんだ」

「そんな風には見えなかったがな・・」

「いや、あいつは俺のことが大好きなんだ。好きで好きでたまらないんだ。だから、喜んでいるに違いない」

「お前のその自信はどこから来るんだよ」

 隆史は、呆れた。

「ところで明日の試合だけど」

「あ、俺、明日の試合パス」

「はっ?」

「行かねぇよ」

「なんでだよ」

「明日西高だろ」

「ああ」

「あいつらすぐキレるから、うざいんだもん。むかつくんだよ。無駄にキレまくるだろ。弱ぇくせにあいつら」

「確かに」

「弱ぇくせにムキになりやがって、むかつくんだよ。あいつら」

「でもなぁ、やっぱ、そんな好き勝手は・・」

「そういえば、まだいんのか。あの坊ちゃん刈りの監督」

「いるいる。前の試合の時、審判やってたわ」

「あいつが教えてんだろうなそういうの」

「だろうな」

「西高ごときだったら、俺無しでも勝てるだろ。それにその日デートなんだ。日曜しか休みねぇんだ。その子」

「前言ってた、あのOLの子か」

「そうそう。顔はいまいちなんだけどな。やっぱ大人の魅力っつうの。いい体してんだ。これが。社会人だよ。社会人」

「どこで知り合うんだよ。そんな子と」

「ちょっとね」

 その時、山田が戻ってきた。

「おせぇぞ」

「ごめん」

「気合が足りん。気合が。ほれ」

 日明が右手を差し出す。

「はい」

 そこに山田が買ってきたパンをおずおずと乗せる。

「おいっ、俺はクリームパンって言っただろ」

 日明が山田を睨む。日明の手にはジャムパンが乗っていた。日明は山田の買ってきたジャムパンを、ぶつけるように思いっきり山田に投げ返した。

「あの、でも・・、クリームパンは人気で売り切れで・・」

「知らねぇよ。だったら、コンビニまで行って買ってこいよ」

 学校から近くのコンビニまでゆうに片道二キロはあった。

「いいじゃねぇか。ジャムパンもクリームパンも大して違わねぇよ。クリームパンは明日食えばいいじゃねぇか」

 見かねて隆史が間に入る。

「だめだ。俺は今クリームパンが食いたいんだ。買ってこい」

「あの・・、お金・・」

「あっ」

 日明が怒気を込めて言うと、山田は慌てて背を向けた。

「おいっ」

 その背中に日明が怒鳴る。

「えっ」

「ジャムパン」

「えっ?」

 山田はキョトンとして日明を見つめる。

「ジャムパン」

 日明がゆっくりと強調するように言った。山田は、それで日明の言っている意味を察し、慌ててジャムパンを日明に渡した。

「早くいけ」

「はい」

「いいのかよ」

「いいんだよ。あいつはああいうキャラなんだよ」

「あいつ、チャリ持ってねぇぞ」

「だったら、走っていくだろ」

「お前なぁ」

「まったく、お使いもまともに出来ねぇんだからなあいつ。だからいじめられんだよ」

 日明はそう言って山田の買ってきたジャムパンの袋を開け、かぶりついた。

「結局ジャムパンも食うのか」

「ああ、見てたら食いたくなった」

 日明はジャムパンをものすごい勢いで食べる。

「だったらクリームパンはいいじゃねぇか」

「それはだめだ。クリームパンはクリームパンで食べたい。それに甘やかすとあいつのためにならん」

「どういう理屈だよ」

「いいんだよ。世の中にはどうしようもない。何やってもダメな、パシリになるしか能ない奴もいるんだ。俺のパシリになれてあいつも幸せだよ」

「まったく・・、あっ、俺は授業あるから帰るぞ」

「まだいいじゃねぇか。授業なんかさぼっちまえよ」

「はははっ、そうはいかねぇよ。じゃあな」

「ああ」

 隆史は手を上げて去って行った。

「買ってきたよ」

 三十分ほどして、汗だくの山田が戻ってきて、日明にクリームパンを渡した。山田はさすがにこれで満足だろうと、ほっとした表情をする。

「タバコは?」

 そこに日明が厳しい視線を向ける。

「えっ?」

「タバコだよ。マイルドセブン」

「え、でも・・、それは頼まれてないよ・・」

 山田がおずおずと答える。

「クリームパン買いにコンビニ行ったら、タバコも切れてないかなって考えて買っとくもんだろ。何年俺のパシリやってんだよ」

「まだ、半年も経ってないけど・・」

「あっ」

 日明は山田を睨みつける。

「ごめんなさい」

「ほんと気が利かねぇな。だからダメなんだよお前は」

「ごめん・・」

「ごめんなさいだろ」

「ごめんなさい」

 山田は日明に怒られ、ただオドオドモジモジしている。

「ああ、もういいよ、お前の陰気な顔見てると、気分が悪くなる」

 山田は、おずおずと帰って行った。

「まったく、ほんとあいつは使えねぇな」

 日明は一人怒りを込め呟き、クリームパンにかぶりついた。

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