第一章9 『白髪の天使②』


「離せコラ!てめぇマジでぶっ殺すぞ!おい!聞けよ!"白雪姫"!」


「……はぁ」


 アルカは、エルシアの腕の中で騒いでいた。文字通り、腕の中で。要するに、アルカは、画面をつけたエルシアにお姫様抱っこをされて、街へと連れて行かれていた。


 無論、アルカにも羞恥心はある。なまじプライドの高いアルカであるから、人並み以上にその行為を嫌がっているのだが。エルシアは構うことなく、人の住む方へ歩いていく。


「違うわ、ちゃんと名乗ったでしょう?エルシアよ」


「離せクソシア!」


 "白雪姫"と呼び続けるアルカに名前の訂正を求めるエルシアだが、かえって悪化。クソ野郎と自らの名前を掛け合わせた、酷い呼ばれ方をしてしまう。


 だがエルシアとて、言われっぱなしではいられない。仮面の下では、ぴくりと頬が動き、額に青筋を浮かべ、引きつった笑み。明らかに苛立っている。


「……あら、良い度胸ね。やっぱりこのままテスイアの街を一周しようかしら」


「てめぇ……ぜってぇ殺す!つーか他にも運び方あんだろ!背負うとかよ!」


「嫌よ。あんた汗臭いし、血だらけで汚いし。なるべく触りたくないの」


「クソ……。マジでゆるさねぇ」


「はぁ……。わざわざ動けないあんたを運んであげてるんだから、感謝してほしいぐらいよ」


 目覚めたアルカの側にいた少女が"白雪姫"だと分かり、アルカが『ぶっ殺す』と啖呵をきったのが数分前のこと。


 だがしかし、そんな啖呵をきったは良いものの、アルカを襲う強烈な倦怠感により、アルカは起き上がることすらできない。あのままではアルカはエルシアと戦うどころか、街に帰ることもできず、もう一晩をあの場所で過ごす羽目になっていたのだ。


 アルカがこうなった原因が自分にあると、エルシアが多少なりとも罪悪感を抱いているのかどうかは分からない。だがエルシアは、そんなアルカを放って置くことはせず、抱き抱えて街まで運んでいるのだ。


「誰のせいで動けなくなったと思ってんだ、てめぇ……!」


「あら、あの辺りはせいぜいレートBのモンスターしか居なかったはずだけど?まさか、レートB程度のモンスターを相手にして満身創痍なんて言わないわよね?私のことを馬鹿にしたくせに、まさかそんなわけ」


「ぐ……っ!んなわけねぇだろ!楽勝すぎて傷ひとつなく勝っちまった!」


 ぷぷ、と小馬鹿にしたように嘲笑されるアルカだが、売り言葉に買い言葉、全く持って嘘であるが、強がってしまう。無論、エルシアもそんなわけない事は理解しているのだが。


「へぇ、ならどうして動けないのかしらね。ていうかあんた、さっきから殺すとか強い言葉ばかり使ってるけど、正直その体勢で言われたら逆に可愛いわよ」


「……覚悟しとけよ、お前だけは絶対ゆるさねぇ」


 アルカも今お姫様抱っこをされていることをいじられてしまっては、羞恥心から最早反論することも叶わない。


 ギャップ、とでも言うのだろうか。口ではキツく強い言葉を使いながらも、顔は真っ赤に染まり恥ずかしそうにしている。そんなアルカを見て、エルシアが別の何かに目覚めそうになっているのは秘密だ。


「つーか、マジでお前のせいだぞ、これ」


「う……。わ、私も悪かったとは思ってるわよ。前日のこともあってちょっとカッとなっちゃったというか……。ちょっと倒れさせようとしただけで、気絶させるつもりはなかったのよ」


 アルカの起死回生の一言に、エルシアは言葉を濁す。言い訳がましく言葉を紡ぐエルシアだが、実際被害者になったアルカにとっては、エルシアのせいで死にかけた、その事実だけが全てだ。理由などはどうでもいいのである。


「ほー、カッとなったら人のことを気絶させんだな。さすが育ちの良さそうなお嬢様は違ぇな」


「……わ、悪かったと思ってるわ。ごめん。素振りしてた勢いのままやっちゃったって言うか……。あそこら辺は安全地帯だから油断してたというか……」


「どーでもいいな。関係ねぇ」


「ほ、本当は起きたらすぐに謝ろうと思ってたの。けど、突然天使なんて言うからその……気分良くなっちゃって……。本当にごめんなさい」


「……」


 アルカは黙り込む。まさかエルシアがこんなに素直に謝罪してくるとは思ってもいなかった。


 そもそも、エルシアのせいで死にかけたとはこじつけもいいところである。アルカが野宿を選択せず、大人しく宿に泊まっていれば防げた事故だ。


 更に言えば、野宿を選択したにも関わらず周囲の状況の把握を怠り、イモガエルを求めて木の多い方へ向かった。それによりモンスターの多い森に入り込んでしまっていたために、アルカはウングィスに襲われたのだ。


 アルカもその点に関しては理解している。


 勿論、だからといってエルシアの行為が許されるわけではない。人を気絶させ、比較的安全な場所だったとはいえ夜アルカが目を覚ますまで放置したのだ。


 しかし、これで殺されかけたとギルドに報告しても、大した処罰は下らないだろう。この程度の喧嘩や諍いなど、冒険者の間では日常茶飯事なのだ。


 というよりそもそも、アルカが怒っているのは、死にそうな目に遭ったことに関してではない。


「……別にギルドには言わねぇよ」


「それでも、よ。悪かったって思ってるのは本当だもの。格下の冒険者相手にカッとなるなんて……」


「てめぇ……。挑発してんのか?」


 エルシアにはっきりと格下と言われ、ぴく、と顔をひきつらせるアルカ。


「違うわ。あくまでも事実として言ってるだけよ」


「実力は俺の方が上だ!クソシア!」


 お姫様抱っこされたままそう叫ぶアルカ。徐々に街に近づき、民家も点在してきた。近くにいた人が、そんなアルカの声に振り向き、アルカとエルシアの状況に驚きつつ困惑している。


「はいはい、もうそれでいいわ。それで、何かして欲しいこととかある?」


「あ?」


「罪滅ぼしと言うか、償いをしたいの。借りを作るのも好きじゃないし」


「そうか……」


 アルカは考える。エルシアに今一番して欲しいこと、というよりアルカが今一番欲しいもの。それは食事だ。


 アルカが怒っていたのも、一番の原因は死にかけた事ではなく、食事がとれなかった事だ。エルシアのせいで門の外に置き去りにされ、イモガエルも見つけられない状況に陥った。


 それに、やはり何と言ってもエルシアがお嬢様であろう事は常々思っていた。それは装飾品や立ち振る舞いからも容易に判断できる。


 それに、先ほどアルカがお嬢様と皮肉を言った際も否定しなかった。それらの情報から、アルカはエルシアに一つの命令を下す。


「メシだ。俺が満足するまで腹いっぱい奢れ」


「そんなのでいいの?男に二言はないわよ?」


「お前、罪滅ぼしする立場の奴が言う言葉じゃねぇからな、それ。てかお前のせいで昨日からメシ食ってねえんだよ!分かったら早く連れてけ!」


「はいはい」


 エルシアに抱えられたまま、アルカはテスイアの街へと向かう。途中、門に近づくに連れ増えていく人々のアルカを見る視線で、アルカは再び怒り出した。


「つーかよ!いい加減にお姫様抱っこをやめろクソシア!」


「クソシアじゃないって言ってんでしょ格下!」


「やっぱ馬鹿にしてんじゃねぇか!」


「自分が弱いのが悪いんでしょ!」


「てめぇ!やっぱり報告すんぞ!」


「あら、じゃあ食事は奢らないわよ」


「クソ!死ね!」


 仮面をつけた体の小さい少女が、自分より体の大きい、それも血だらけの少年をお姫様抱っこし、やいやいと口喧嘩をしながら歩いて行く珍妙な光景。


 それは人伝に語られ、少女と少年、両方に心当たりのある冒険者たちの酒のつまみとなるまで、そう時間を要さなかった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 テスイアの街のとある料理店。勿論、大衆食堂などではなく、貴族も利用するような高級店だ。そんな店の個室で、アルカはエルシアに料理をご馳走してもらっているのだが。


「はい、あーん」


「おい!クソシア!むぐっ……」


 仮面を外したエルシアが、アルカの横に座りながら、ニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべる。料理をアルカの口まで運び、強制的に口の中に放り込む。何か喋りかけていたアルカだが、その美味しそうな匂いに空腹が耐えられず、本能的に食事を優先してしまう。


「美味しい?」


「うめぇな……。けど違ぇ!それやめろ!自分でむぐっ」


「あーん」


 喋りかけのアルカの口に、再度食事を突っ込むエルシア。アルカからしたら、わざとやっているようにしか思えない。アルカに喋らせまいと、辱めを受けさせようとしているようにしか思えない。勿論、エルシアはそのつもりなのだが。


「うお!?なんだこれ!クソうめぇ!―――じゃねぇんだよクソシア!いい加減に聞けや!」


 その食事のあまりの美味しさに、一瞬怒っていることすら忘れ感嘆の声を漏らすアルカだが、すぐに我に帰る。流石に我慢の限界か、今までよりも気迫のこもった大きな声で叫ぶ。


「ちょっと、あんまり大きい声出さないでくれる?出禁になるわよ、あんたが」


「るせぇ!こんな良い店二度とこれねぇよ!」


「あら、あんたは一生Cランクのままのつもりなのね」


「すぐに常連になってやる!」


「それは無理じゃないかしら……」


 今いる店のような高級店には、確かにアルカの今の稼ぎでは二度と来る事ができない。だがエルシアの言う通り、アルカとてランクが上がって依頼の単価が上がればこの店に来ることだって可能だ。


「おい、自分で食うからそれやめろ」


「それって?『あーん』のこと?どうして?今のあんた、赤ちゃんみたいで可愛いのに」


「ぶっ殺すぞクソシア」


 アルカがそうエルシアを蔑むが、エルシアは笑顔を崩さない。笑顔は崩さないが、明らかに目は笑っていないし、ピキッと額に青筋が浮かぶ音が聞こえたような気すらする。


「なぁに?もう一口欲しいの?はい、あーん」


「やめろ!自分で食う!」


「きゃ!」


 あーん、と言いながら再びスプーンをアルカの方に近づけるエルシア。しかし、それを拒むアルカがエルシアの腕に噛みつこうとして思わず悲鳴を上げる。


「何すんのよ……。もー、溢れちゃったじゃない……」


「……悪ぃ」


 そんなアルカの噛みつきをかわそうと、スプーンを持った手を素早く動かしたため、スプーンに乗っていた食事がエルシアの腿の上に溢れる。


 勿体無いことをしてしまった、とアルカは少し罪悪感を抱く。こういう時、何も考えず思った通りに行動するのはアルカの悪い癖だ。


 近くにあった布巾で、エルシアは溢れた食事を拭き取る。


「……はぁ、勿体無い。いいわ、そんなに言うなら自分で食べれば?食べられるなら、ね」


「……」


 そう言ってエルシアは食事の乗った皿をアルカの目の前に移動させる。

 アルカはじーっとその食事と睨めっこをするが、一向に食べようとする気配がない。否、食べられないのである。


 アルカの身体は、倦怠感から未だ石のように重く、動かすことができない。指ぐらいなら辛うじて動かせるが、腕を上げて食事をするなどまだできないのだ。


「……く、食わせてくれ……」


「ん?」


 苦虫を噛み潰したような表情で、アルカは屈辱を我慢しながらその言葉を口にする。だが、その消え入りそうなほど小さな声は、エルシアに届かなかったようで、聞き返されてしまう。


「もう一回言って。よく聞こえなかったわ」


 ニマニマと悪戯っぽい笑みを浮かべてエルシアが言う。実際には届いているのだが、アルカを辱めようとわざと聞き返したのである。


「食わせろ!クソシア!」


「あら、それじゃあダメね。ものの頼み方を知らないの?」


「……知らねぇな。俺は人に頭は下げねぇ。そうしろっていうならお断りだ」


 アルカはプライドが高いため、人に頭を下げて何かを乞うことは決してしない。頭を下げる時があるとすれば、それは謝罪の時だけだろう。プライドが高いとは言え、謝罪しないというわけではないのだ。


「へぇ……」


 エルシアはそんなアルカの言葉に、驚いたような反応を見せる。


「いいんじゃない。そういうのは嫌いじゃないわ。ほら、あーん」


「……」


 背に腹は変えられない。屈辱感を感じながらも、アルカはエルシアの『あーん』を、甘んじて受け入れた。

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