第一章8 『白髪の天使①』
「うーん、やっぱりそろそろ上がってもらわないとかなぁ……」
「マリアさん、何を見ているんですか?」
冒険者ギルド、テスイア支部。職員の休憩室で、二人の職員が会話をしている。
「あ、おつかれさま。今日来た依頼の一覧なんだけど……」
「うわ、AランクとかBランク任務ばっかりですね……」
「うん。S-ランク以上になると、そもそも依頼があんまり来ないから、普段は上級冒険者の方々にやって貰ってたんだけど……。ほとんどいないからなぁ」
はぁ、とため息をつき考え込むマリア。
「今はニクスドラゴンの件で出払っちゃってますもんね。S2ランクとは言え、大規模討伐で人数が欲しいからS-まで募集かけられましたし……」
「そうなの。通常の依頼は、依頼のランクより冒険者ランクが上じゃないと受けられないのに……。どうしよう、BランクとかAランクの任務が溜まって行っちゃう」
「……それに最近また"戦鎚"の被害者が増えてますもんね」
女性職員が、神妙な面持ちでそう言う。
「ここ一ヶ月でAランクが三人、Bランクが五人、それ以下が多数ね。その件に関しては、ルクスさんにお願いしてるから大丈夫だと思う。ただ、やっぱり人手が足りないよ……」
「うーん……。あっ、そう言えば、ランクを上げるのを断ってる冒険者、いませんでした?」
「そうなの。今日も聞いたんだけどね、断られちゃって。エルシアさんに関しては、多分実力はS-くらいあると思う」
「ランクBの"白雪姫"ですよね。なんでランク上げないのか不思議です……。でも、たしかもう一人居ましたよね。えーっと、あの乱暴な男の子……」
手を顎のところにやり、恐らくマリアの後輩であろう女性職員は、「あー」とか「うー」とか言いながら、なんとか思い出そうとする。
「アルカ君、ね。レートBモンスターの討伐実績も何度かあるのに、Bランクに昇格するには実力が無いからって断られてるの」
「討伐できるのに実力が無いって……よく分かんないです」
「本当に……。変なところで意地張っちゃうんだよね」
くすりと笑いながら、マリアはそう言った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
側から見れば、アルカの身体にほとんど動きはなかった。しかし、アルカの掌は衝撃波を生み出すほどの速度で僅かに正面に動いていた。
その衝撃は、掌に触れたウングィスの身体に直接伝わり、ウングィスの体内にまで衝撃を浸透させる。
それと同時に、掌から放たれた紅い雷の矢が、ウングィスを貫く。一瞬、ウングィスの身体の闇に呑まれるその雷光だが、その稲妻が体内に入った直後、ウングィスの身体から光が漏れ、体内から爆ぜるように消失。
貫通した稲妻は、周囲を明るく照らしながら、更に向こうの木々を、轟音と共に数本貫通した後、ふっと消えていった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。……我慢比べになんなくて悪ぃな」
勝った。
アルカは、その場に立ち尽くした。ウングィスの攻撃で吹き飛ぶことも、意識を失うことも、死ぬこともなく。ただ、微かに触れていた黒い爪は、アルカの腹部の皮を破いていた。その穴からつーと血が流れる。
「楽しかったぜ」
どさっという音と共に、アルカは背中から地面に倒れ込む。血で熱くなった身体に、ひんやりとした地面が心地よい。
「……あー、いてぇ」
ポツリと呟いたその声で、アルカは痛みを自覚する。極度の興奮状態にあった先程とは打って変わって、戦闘が終わった今、アルカは身体的にも精神的にも脱力している。
体力を消耗し尽くし、脳内麻薬が途切れたアルカに強烈な痛みが襲い掛かる。それは、腹部の出血や、左腕の骨折によるものだけでは無い。
先程の体術、回円を使用した代償。足の踏み込みで生まれたエネルギーを無駄なく伝えるために、関節は細かな動きを必要とされ、酷使される。無論、その動きは日常的に使う動作とはかけ離れているため、関節はすぐに悲鳴を上げる。
更に回円を使用した代償は、これだけでは無い。回円はあくまでも体術である。にも関わらず、アルカは魔法を放出した。それも、意図せずして、だ。
アルカは決して魔法を放とうとして放った訳では無い。あくまでも、敵に衝撃を与える体術として使用しているのだが、魔法の扱い、すなわちウリルの扱いが下手なアルカは、同時にウリルも放出してしまったのだ。
要するに、回円によるエネルギーの伝達に対し、体内のウリルを留めておくことができない。身体的な動作とウリルの操作を別で考えることが出来ないのだ。
エネルギーと共に身体中から伝達されたウリルを意図せずして放出してしまう。つまり、身体から放出するウリルの量すら調節、コントロール出来ないと言うこと。
これが示すのはすなわち、アルカの生命力の減少。それによってもたらされる倦怠感。アルカは身体に力を入れることができず、身動きが取れない。
「……強くなりてぇ」
戦闘による身体的、精神的な疲労。出血により朦朧とする意識。痛みにより悲鳴を上げ続ける脳。酷使された関節の痛みに、ウリルの消費過多による倦怠感。
「……腹、減ったな……」
それら全てを忘れようと、アルカの意識は深い闇の中へと沈んでいった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「エルシアさん、特別講習おつかれさまです」
「ありがとう」
次の日、いつものようにギルドへ赴き、特別講習を終えたエルシア。仮面の隙間から汗を拭って休憩しているところを、マリアに話しかけられる。
「この後は、何かやることありますか?」
「いえ……。いつも通り訓練しようと思ってるけど。何か用事?」
「実は……」
マリアはエルシアに、現在の状況と人手が足りないこと、Aランクの依頼が溜まってきていること、そして、ランクを上げて欲しいと言うことに関する説明をする。
「……という事で、エルシアさんが良ければ、この後にでも昇格試験を受けてもらいたいんです」
昇格試験、それは任務の実績によって上のランクに昇格することを許された冒険者が受ける、昇格を賭けた最後の関門。とは言え、実戦で活躍している冒険者ならばほとんど落ちることはない。
「なるほどね、事情は分かったわ。でも、それはそっちの事情で、私には関係ないもの。まだランクは上げられないわ」
「そうですか……」
がくりと肩を落とすマリアに、エルシアは言葉を続ける。
「そんな事情は関係ないけど、ちょうどランクを上げようかなと思っていた頃なの。今日じゃないけど、近々受けることになるかもしれないわ」
「!あ、ありがとうございますっ!」
感激のあまり、エルシアに抱きつくマリア。座っているエルシアに横から抱きついたため、エルシアの頭を、ちょうどマリアの大きな胸が包み込む。
「むぐ……っ!苦しいわよ!」
「あっ、す、すみません。本当、胸が大きくて大変なんですよ……。どうにかならないんですかね……」
はぁ、とため息をつきながら悩みを暴露するマリア。そんな悩みを聞いたエルシアは、じーっとその胸を睨みつけた後、自分の胸に視線を下ろす。視線の先には、控えめな山が二つそびえ立っていた。
マリアの山の規模を小玉スイカとするならば、エルシアの山はクッキー二、三枚分と言ったところだろうか。
再びマリアの胸に視線を移すと、画面の穴から覗いているエルシアの目から光が消えた。
「あっ、それと、エルシアさんに聞きたいことがあって……」
「何かしら、乳モンスターさん」
「ち、乳モンスター!?どういうことですか!?そ、それよりアルカ君が特別講習の時間を過ぎてもやってこないんですけど、何か知りませんか?同じ宿に泊まってる方にも聞いたんですが、宿には居なかったと言われてしまって……」
「アルカ……あぁ、あいつね。知ってるわよ、多分」
「えぇ!?知ってるんですか!?」
ダメ元で聞いたのだろうか、まさか本当に知っているとは思わなかったマリアが、驚きのあまり大声で聞き返す。その声は建物の中に響き渡り、他の冒険者から白い目で見られる結果になる。
「声でかいわよ」
「す、すみません」
「あいつなら多分、今頃門の外で気持ちよく寝てるんじゃないかしら」
昨日のことを思い出して、アルカの現在の状況を予想する。今、この場にいないことに加え、宿にもいなかったという情報。それらから導かれるのは、門の外で一夜を明かしたという可能性。
「門の外?アルカ君、依頼とか受けてませんけど……。門の外に行くのを見たんですか?」
「違うわ。私の予想が合ってるなら、昨日からずっとよ。野宿でもしてるんじゃない?」
「そうですか……。何事もなければ良いんですが……。ちなみに、場所とか、なんて分からないですよね」
マリアは控えめにエルシアに尋ねる。
「野宿してるんだとしたら、大体の場所は分かるかもしれないわ。ただ、昨日のうちに大きく移動してたりしたらお手上げね」
「あの……こういうのは頼みづらいのですが……」
下を向きながらも、目線だけでチラチラとエルシアの方を見ながら、マリアはぼそぼそと話す。それを見たエルシアも、これからマリアが言う事を察する。
「……まぁ、それくらいなら良いわ。というか、原因は私だし」
「え?」
「なんでもないわ。とにかく、見つけてくれば良いんでしょ」
「は、はい!よろしくお願いします!」
エルシアはがたっと椅子から立ち上がると、大きく頭を下げるマリアの横を通り、ギルドの外へ歩き出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「んぁ」
ペチペチと頬を叩かれるのを感じ、アルカは意識の底から帰還する。仰向けになって、大の字で寝ていたアルカの視界いっぱいに、白い髪の少女の顔が映る。
光に慣れず、ぼんやりと霞みがかった視界に映るその少女が、アルカの目にはまるで人形のように見えた。
「……なんだ、天使かよ」
血を流しすぎた。自分は死んだのか。
その少女の顔を見て、アルカの脳は状況をそういう風に整理する。アルカは神なんて信じてはいないが、あの状況で生きていたと考える方が不自然。
ならば、目の前に現れた少女は、死んだアルカを迎えに来た天使。そう考えると納得がいく。
「―――は、はぁ!?」
しかし、アルカが天使だと思ったその少女は、アルカの予想に反して、目を大きく見開き驚く。
ぼっ、という音がなるくらい勢いよく顔が真っ赤に染まり、まるで作り物のようだった美しい顔が、人間味溢れる表情を映し出す。
「ん?」
「て、天使じゃないわよ……。びっくりした」
「……生きてんのか、俺」
だんだんと視界が開けてくる。目に飛び込んだ風景を見て、意識を失う前のそれと同じことを確認。アルカは、自分が死んでいないことを確信する。
「何を言ってんの?あんた、傷ひとつないじゃない。服はボロボロだし、周りは血だらけだけど……」
「は?いや、んなわけ……」
そう言われたアルカは、視線だけ下にやり、自分の体の状態を確認。確かに、腹部の傷も、左腕の骨折も、まるで何事もなかったのかのように元通りになっている。
痛みはない。酷使された関節も、滑らかに動くだろう。だが、倦怠感だけは、意識を失った時よりも強く感じる。身体が重く、起き上がろうとするが動かない。
「……つーかお前、誰だよ」
と、その少女の存在を不思議に思い、アルカはようやく尋ねる。視線だけを少女の方にやり、見つめる。
二つに束ねた白く美しい髪が、風に揺られる。
蝶の形を模した髪飾りが、ひらひらと舞う。
少女の赤い双眸が真っ直ぐアルカの視線とぶつかる。
少女は、答える。
「エルシア・フェアリス。"白雪姫"と言ったら、どうする?」
その挑発ともとれる言葉にアルカは、にぃと笑ってこう答えた。
「―――ぶっ殺す」
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