第一章6 『黒影の爪①』
「……んぁ」
地面に横たわったアルカは漸く目を覚ますと、身体を起こし周囲を確認する。太陽は既に沈み、辺りは暗闇に包まれている。空に輝く星々が、アルカを優しく見守る。
「……あの女ァ」
やりやがった、と心の中で愚痴を零す。この時間ではもう街の門は開いていない。となると、アルカの取る行動の選択肢は二つに絞られる。
一つは門の外の民家や宿に泊めてもらうと言うもの。しかし、一般人の住む民家に夜中に訪れても門前払いなのは目に見えている。かと言って門の外の宿は、今のアルカのような状況の人の足元を見ている為、宿泊費が高い。アルカとしてはこの選択肢はないに等しい。
となると、自然にアルカが取る行動が決定する。もう一つの選択肢、それは、
「野宿しかねえよな」
幸いな事に、アルカが今いるのは街からもそこまで離れておらず、対して危険な場所では無い。"白雪姫"も、モンスターが来ないと言っていた。だがしかし、だからと言って野宿とは決して安全なものではない。
夜になれば野獣の攻撃を受ける可能性もあり、暗闇から突如モンスターが飛び出す可能性だってゼロではない。
さらに最も危険なのは、盗賊の存在だ。盗賊の主な獲物は何と言っても商人で間違いないが、こんな夜中に一人で野宿する少年を見て、楽な獲物と言わんばかりに襲ってくる可能性もある。
要するに、野宿するのであれば、それなりの緊張感と危険が伴うという事だ。そんな事を気にしないのがアルカではあるのだが。
「……腹減ったな」
アルカの腹からぐーと間抜けな音が響く。思えば、昼の講習の後そのままここに来たので、やはり今日も朝から何も食べていない。折角稼ぎが多かったのに食べてこなかった事をアルカは少し後悔。
小さな麻袋の中をごそごそと探すが、中に入っているのは携帯用ナイフと、火起こしの道具、それに少しの貨幣だけ。勿論保存食などは持っておらず、水分補給もできやしない。アルカは「はぁ」と深めのため息をつく。
「探すか」
空腹のためかだるそうに立ち上がったアルカは、暗闇の中へと歩いていく。木々は近くに何本か生えており、少し歩いたところに森がある。しかし、人里近いこの場所に木の実や果実などあるはずもない。
アルカが探しに行くのは、植物ではない。動物だ。幸いなことに、火を起こす道具は持っている為、その肉を生で食べるという心配もない。
むしろアルカの心配は、果たして目的の生き物がこの辺りに生息しているか、という問題だ。
「スラムにいた頃は良く食ってたなぁ、イモガエル」
アルカの目的の動物、それはイモガエルという生き物。カエルにしては大きく、アルカの掌ほどのサイズを持つが、動きが鈍く捕まえやすい。味は若干土臭く、生臭くもあるのだが、焼いて仕舞えばほとんど芋に近いと言っても過言ではない。
「小せえ木の根本にいるはず」
そんなイモガエルが生息するのは、成長中の幼木の根本、その土の下だ。動きこそ鈍いが、土の中という見えない場所にある以上、その棲み家を見つけるのが困難。しかし、このイモガエルを良く捕獲し、食べていたアルカは、その棲み家となる木の特徴を知っている。
「根本に石が溜まってれば分かりやすいんだよな」
穴を掘って地中を棲み家とするイモガエルは、地中にあった石を木の根本に集めるという癖があるのだ。どうやっているのかはアルカには分からないが、掘った穴にイモガエルが入ると、うまく土で隠して穴は見えなくなる。そんな場所をナイフで掘るのも、アルカにとってはお手の物。
暗闇の中をどんどん歩いていくアルカ。所々に小さい木こそあれど、根本を見ても石が見当たらない。イモガエルもそう簡単には捕まってはくれないようだ。
木々が生い茂る方へと歩くこと数分、いつのまにか森の中に入っていたアルカ。ふと一本の幼木がアルカの目に留まる。しかし、その幼木の根本には石が集められてもいなければ、穴を掘ったであろう跡も見つからない。アルカが見ていたのは、木の表面につけられた引っ掻き傷のような黒い傷。月明かりに照らされ、僅かながら見えたその傷に、アルカは違和感を感じる。
「狼だとしたら傷の場所が高過ぎる……。熊だとしたら傷が浅ぇよな。ここら辺に熊はいねーはずだし」
うーん、とアルカはその気を凝視しながら考え込む。再びイモガエルを探しに行こうと、「ま、いいか」と小さく呟き、アルカがその場を去ろうとしたその瞬間―――
「―――っ!」
突如として現れた黒い影のようなもの。ウネウネと流動的な性質を持ったそれは、爪のような形を模してアルカの眼前まで迫っていた。
(クソ、が……!)
まるで世界がスローモーションになったかのようにはっきりとそれを捉える。上から下へと鼻先を掠めていくその爪を、無理やりに躱す。
無論、いつも通りの綺麗な回避はできない。強引に腰を逸らし、そのままブリッジの様な体勢を経由して後ろに飛び退く。身体が柔軟で良かったと、心の底から日々の鍛錬に感謝。
すぐにアルカは戦闘態勢に入り、元いた位置に視線を移すが、既にそこには何もいなくなっていた。
「クソ……!ウングィスか……!」
レートBモンスター、ウングィス。神出鬼没の夜行性モンスターだ。黒い影の様な身体を自由自在に変化させ、主に爪の様な形にして攻撃を与えてくる。周囲の影と同化することもでき、カウンター以外で攻撃する事は困難なモンスター。
夜、ほとんどの場所が闇に包まれ、地面は影だらけ。どこから突然現れるかも分からなければ、その黒い身体は闇に紛れ発見することも容易では無い。戦闘には極限の集中力を必要とする。
アルカは耳を、目を研ぎ澄ませ、周囲の気配を察知することに集中する。その表情に冷静さは無いが、かと言って焦りも見えない。あくまでも、戦いに身を投じているという真剣な表情。
そんなアルカの背後から、突如として音もなく現れる黒い影。まるでアルカの影が実態をもったかの様に、地面からウネウネと出現、明確な殺意を持ってアルカに襲い掛かる。
「かは……っ!」
当然、突然背後に現れたそれに、アルカは気付くことができない。横に薙ぎ払うような軌道で、右腹部に強烈な一撃を喰らい吹き飛ばされる。受け身を取ることもできず、二、三度地面を弾み、木に背中を打つ様にしてようやく止まることができた。
「ってぇ……!」
勿論、その腹部の傷は、単なる打撃ではなく、爪の様な形状による斬撃であるため、肉は抉れ、血が滴る。思わず傷口を触った左手についた血をぶんと振り払い、地面に血が飛び散る。アルカは痛みに構わずさっと立ち上がる。
「あー!クソが!ありがとなぁ!痛みで集中力アップだぜぇ……!」
その痛みすらも、無理やりに自らの力に変えてしまおうとするアルカ。火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、人間窮地に陥った時ほど自身のポテンシャルを遺憾なく発揮できるのだ。
スラムや冒険者として培ったアルカの実力。技術や知識と言うより寧ろ、野生の勘、人間の本能と言うような部分が洗練されている。とは言え今回に関しては、アルカの単なる強がりという側面が強いのだが。
アルカは痛みを糧に意識を研ぎ澄ますと、周囲の気配を探る。
「こっちか!」
再び背後に現れたウングィスの気配に気付く。音でも、視覚情報でも、匂いでもない。それは単なる第六感とでも言うべきもの。『視線を感じる』とか『寒気がする』とか、そう言った本能に近い部分の感覚で、アルカはウングィスの気配を捉えた。
しかし、振り返ったときには既にカウンターができる様な状況ではなかった。
「ぐ……っ!」
大きく振りかぶった腕の様なものが、アルカの視界に入ったその瞬間、横薙ぎの軌道でアルカへと迫り、瞬きをした次の瞬間には、爪は既にアルカを捉えとうとしていた。
無意識的な反応からか、咄嗟に自身の左腕を曲げ、胴体への直撃を避ける。右腹部が裂けている今、左側までやられて仕舞えば最早生きて帰る道はない。無論、そんなガードなど敵にとっては無いも同然、再び吹き飛ばされてしまう。
先程吹き飛ばされた時と違う点があるとすれば、意識内からの攻撃だった為か、なんとか受け身が取れたということ。立ち上がりすぐに攻撃態勢に入るアルカだが、やはりもうウングィスの姿は見えない。
「クソが……!」
左腕を動かそうとして、気付く。アルカは左腕を最早動かすこともできない。骨が砕け、肘があり得ない方向に曲がっている。皮はめくれ、肉がその痛々しさを視覚情報としてアルカの脳に訴えかける。
ウングィスにとってはたった一度の攻撃だが、アルカにとってはあたりどころによっては致命傷にすらなり得るのだ。
ランクCの冒険者は、レートBのモンスターには、理論上勝つことが出来ない。
ギルドの定めた冒険者ランクとは、同レートのモンスターに一人で勝つことが出来る事を示すもの。レートBのモンスターを、辛勝だとしても討伐できること、これが冒険者ランクBになる最低条件。
言い換えれば、レートBのモンスターに辛勝すらできない。ボロボロになっても、どれだけ戦っても討伐できない、それがランクCの冒険者なのだ。
ランクとレートが一つでも違えば、一瞬で命を落とす事もある。わざと上げなかったり、老いやその他の事情で実力が落ちる者もいるが、真面目にやっている冒険者にとってランクと言うのは、それほどまでに絶対なのだ。
勿論、逃げるという選択肢がないわけでは無い。他の冒険者ならとうに逃げているであろう。しかし残念ながら、恐怖を感じない以上、アルカに逃亡の二文字はない。
「考えろ!あいつは二回背後から現れた、なら次も後ろから来るかもしれねぇ」
今までの攻撃から、ウングィスの次の出現場所を予測しようとするアルカ。最初の出現を除けば、残りの二回は背後から襲いかかってきた。だが唐突に、アルカの脳裏に一つの可能性が過る。
「……いや、待てよ。あいつの核はどこにあんだ?」
核、それはモンスターの最も重要な器官。赤く輝くその石の様なものが無ければ、モンスターとは呼ばない。というより、モンスターは生まれない。当然だがアルカはウングィスがモンスターであるということは知っている。
「他の影と同化してる時も、どっかに核があるはず……!ってこたぁよぉ!そいつをぶっ壊せば俺の勝ちだなぁ!クソモンスター!」
アルカはそう叫ぶと周りを見渡し、出来る限り高速で周囲を駆け回りウングィスの赤い核を捜索。一体核はどこにあるのか。地面の上か、空中か、木に張り付いているのか、それとも―――
「地中……!あり得る!―――くっ!」
その瞬間、再び背後から現れたウングィスに狙われるアルカ。核の捜索に意識を割いていたため気配の察知には失敗したが、首を回し辺りをキョロキョロと見回していたことが幸いし、攻撃される前に捉えることができた。
しかし反撃する余裕がなく、迫りくる爪を既の所で前転しながら回避して攻撃をかわす。やはり今までのように、振り向いた時には既にウングィスは影と同化、その場から消えていた。
ヒットアンドアウェイ。そんな男らしくないウングィスの戦い方に、アルカの苛立ちも限界を超える。
「チッ、いい加減にしろよ……。地中ならよぉ、この辺り全部掘っちまえばいいんだろ?こちとら穴掘りは得意なんだぜ、クソモンスターよぉ!つーか腹減った!あのクソ女ァ!マジで許さねぇ!」
ウングィスとの戦闘の中、募りに募ったその苛立ちを、アルカは大きな声で、この最大の原因である"白雪姫"にぶつけた。
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