第一章3 『無翼のオラシオン③』

 

 ―――なんで、こうなった。おかしい、どう考えてもおかしい。


「立つんだアルカ!君はそんなものじゃないだろう!」


 仰向けに地面に寝転ぶアルカに向かって、上から声をかけるのは、年齢も身長もアルカより一回り程高い男。S3ランク冒険者、"雷剣"の名を冠する者。ルクス・フォン・ドレイラ。


 そこは冒険者ギルド、そのテスイア支部の建物の裏にある専用の訓練場。新人教習やギルド内での力比べなどの行事の際に使われる場所。


「……るせぇ!」


 ふざけんな、なんでこんな場所で自分はしごかれているのか、と自問自答。


 アルカは素早く立ち上がると、地面を力強く踏み込む。拳を握りしめ、なるべくコンパクトかつ素早い動きでルクスの懐に潜り込み、思いっきり拳を振り抜く。だがそんな拳を迎えてくれるのは虚空のみ。一度たりともルクスの身体に触れることすら出来ない。


 無論、カウンターとして相手からも攻撃される。辛うじて知覚でき得る速度ではあるが、避けることは不可能。アルカの拳を横に避けていたルクスが、握りしめた木剣を横薙ぎの軌道でアルカの腹にぶつける。


 避けることも、防御態勢を整える事も出来ず、直撃するその衝撃と吹き飛ばされた自分を迎えてくれる土の感触を甘受する他ない。


「悪くはないんだけどね。特に瞬発力は素晴らしいよ。だけど何度も言ってるけど、拳はもっとこうして……こう!」


 そんなアルカを後目に、ルクスは拳の振り方をアルカに伝える。が、あまりにも感覚的で抽象的なその指導がアルカに伝わるはずもなく、地面に背をつけたまま諦観まじりのため息で応戦。


「立つんだ!もう一回やってみよう!やればできる!」


「るせぇよ!」


 もう何度目かも分からなくなった、根拠も論理もあったもんじゃ無いルクスの根性論は、アルカの耳を右から左へと通り抜ける。


 もうアルカはその言葉を理解するのをやめた。アルカとて決して論理的だとか、そんな頭脳を持ち合わせているわけでは無いが、根性論、それはアルカの最も嫌いなものだ。


 やればできる、とは嘘もいいところである。ならばアルカはどうだろうか。努力すれども鍛錬すれども、できる様になった試しがない。

 努力が、鍛錬が足りないとか、やり方が間違っているとか言う指摘は甘んじて受け入れるだろう。


 だが、やればできる、とはどうだろうか。やっても出来ない人間もこの世には存在するのだ。アルカは『やっても出来ない』方の人間であり、『やればできる理論』が罷り通るならば、『やっていないから出来ない』と言うことになってしまう。それは許せない。


 やればできるとは、ともすれば、努力を否定する言葉にさえなるのだ。


 だがアルカは、立ち上がって再びルクスに向かって拳を振り抜く。その拳は空を切り、アルカは再び土のベッドに迎え入れられる。

 良くも悪くも、アルカは諦めが悪いのだ。


「……クソ!何が『特別研修』だ!どこが最高の指導だ!」


 遠くの青い空に向かって、アルカは叫ぶ。


「はは。最高なんて過分な評価だよ。先生に怒られてしまう。僕にはとても恐れ多い」


「その通りだ!」


 特別研修、それは今朝ギルドからアルカに告げられた指示。正確に言えば、アルカだけでなくこのテスイア支部を重点に活動している冒険者が他にも研修を受ける様に指示されている様だ。


 アルカとて普段なら喜んで研修を受けただろう。何せ通常の冒険者活動をするよりもお金が貰える。命の危険も、面倒な遠出も無く、普段よりも稼げるのだ。喜ばない理由はない。


 しかし今回に関しては、今回だけは。アルカはウジ虫でも見る様な目で、心底嫌そうな表情で、渋々受諾した。


 それも、一度断った上で、だ。だがルクスの言った通り拒否権は無かった。正確に言えば、拒否すれば今後の冒険者活動に悪影響が出るという事だった。


 簡単に言えば、ギルドからの徴集だったのだ。徴集とはつまり、強制的に人を集める事。今回に関して言えば、ギルドが指示した冒険者は強制的に『特別研修』を受けなければならないということだ。


 前日の夕方、アルカはルクスから宣告されていた。『特別研修』を受けなければならない事を。そしてルクス自身がその研修の指導官である事を。


 憂鬱だった。今朝、ギルドまでの道を普段と変え、いつもより倍の時間をかけてギルドに来る程には憂鬱だった。

 一度ルクスからの指導を断った手前、喜んで指導を受ける事はできないと言うアルカの小さな強がり。


 そして何より、出会った時から感じていた圧倒的な実力差。手合わせする程に強く感じ、どう足掻こうが触れることすらできないその実力差に、才能のない自分に嫌気がさす。


 こういう惨めな気持ちになる事は、ルクスの指導を受ければ劣等感が大きくなってしまう事は分かっていた。そもそもCランク程度の人間が万集まった所でこの男には勝てはしない。


 分かっていたからこそ、自分を少しでも強く見せようとしていた。そんなメッキなど、指導を受けて仕舞えば一瞬で剥がれ落ちてしまうというのに。


「身体能力や身のこなしは申し分ないんだけどね。それが戦闘に生きてないみたいだ。よし、もう一度やってみよう!」


「クソが!」


 惨めな劣等感が、腹立たしい気持ちが、不甲斐ない自分への怒りが、腹の底から湧き出てくる。その気持ちを言葉に乗せて吐き出し、目の前の男にぶつけるが、あくまでも余裕そうな微笑みを崩さない。それがアルカをより惨めにさせる。


「後が嫌だからあんま使いたくねぇんだけどな……」


 だからアルカは、ルクスに認めさせてやろうと、一矢報いようと、再び立ち上がる。次の一撃で、少しでも爪痕を残そうと、アルカに気迫が篭る。


「見てろよ、スカし野郎」


 右足を前、左足を後ろに。右手は正面に突き出し、掌をルクスに向ける。左手でその右手を支え、アルカは真っ直ぐ、ルクスの方を見つめる。


「何をする気だい?」


「スゥゥゥゥゥ…………」


 アルカは息を吐き出し、身体から余計な力を排除。全身の筋肉を弛緩させ、関節を柔らかい常態に保つ。その気迫がびりびりと空気を震わせ、ルクスに伝わる。


「すごいね……。南方……いや、東方の技術かな?」


 そんなルクスの考察を無視し、アルカが力強く踏み込みを入れ、その体術を使おうとしたその時。


「残念だけど、そろそろ終了だよ。ルクスさんは次の方の指導をお願いします。アルカ君は二階のテーブルで座ってて」


 その様子を訓練場の入り口付近で、何かを書き留めながら静かに見物していたギルドの職員が、アルカへの指導の終了を指示する。


「はぁ。やっと終わりかよ……」


 その言葉を聞き、アルカは構えを解く。終わりならば、わざわざこの講習を引き延ばす必要もない。一矢報いたかったところだが、それ以上に早くこの講習を終わりたいのだ。


「そうですか……。分かりました、マリアさん。そんな顔をするな、アルカ。この訓練はまだ何日もある。急がなくても強くなれるから心配しなくていい」


 その職員、マリアに了承の旨を伝えると、ルクスはアルカの顔をチラッと見て、なだめる様に声をかける。


「こんなんで強くなれるか!」


 やっと終わった、と肩の力を抜いたアルカを見て、ルクスは肩を落として残念がったのだと勘違い。見当違いも甚だしい。

 なんでこんなことになったんだ。と、アルカは心の中で再度呟いた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「今日はいつもよりイライラしてたね」


 指導が終わり、酒場の二階でテーブルに突っ伏す様に座っていたアルカに、マリアが「ふふ」と笑いながら声を掛ける。


 マリアはギルドの職員であり、アルカのアドバイザーでもある。アドバイザーとは正式なギルドの制度では無いが、最早慣習となりつつある制度だ。


 悩んでいる冒険者がいればその冒険者にふさわしい依頼かどうか、新人ならばまずどういう事をすべきかなどの助言を行う事もその業務に含まれる。

 そしてギルドの職員はアドバイザーとして、その冒険者の成績や実力を把握することが必要になる。


 勿論、アドバイザーに頼らない冒険者や、複数名での活動、即ちパーティを組んで活動する冒険者など、助言が必要無い者も存在する。その為アドバイザーは、通常申請があった冒険者にのみ付く事になっている。


 だがアルカはアドバイザー制度に申請した事など一度もない。通常は申請した冒険者にのみ付くものだが、正式な制度でない以上例外も存在する。


 職員の方から逆にアドバイザーをつけさせられる事もあるのだ。それがアルカにアドバイザーとしてマリアがついた理由である。


 なぜマリアがアドバイザーとして付いたのかは明白であろう。14歳という年齢、乱暴な口調、そして感情的になりやすい事。全てが問題を起こす原因に繋がりうる。


「……してねぇよ」


「あんまり迷惑かけちゃダメだよ?私はアルカ君のために言ってるんだからね。男の子だから意地とかあるのは分かるし、意地を張っちゃダメなんて言いたくないけど、現実から目を逸らしちゃダメだよ」


 それは子供を諭す母親の様な、懺悔を赦すシスターの様な、そんな語り掛け。マリアがアルカをしっかりと見ている事が良く伝わってくる。


「残酷かもしれないけど、アルカ君はまだ弱いんだから、ルクスさんの指導はしっかり受けた方がいいと思うな。確かにあの指導を理解するのは難しそうだけど……。意地よりも大切なことがあるって忘れちゃダメだよ。アルカ君は強くなりたいんでしょ」


「……分かってんよ」


「そっか、ならもうお説教はおしまいにしなきゃね」


 マリアは満面の笑みで手を叩いてそう告げると、テーブルに置いた書類をパラパラとめくり始める。


「……なぁ、なんでこんな研修、俺が受けなきゃいけねぇんだよ」


 それはアルカが指導を受ける前から抱えていた疑問。ギルドに来るなり嫌がるアルカは訓練場に連れて行かれた。それがギルドによる強制力を持つものだという事以外知らされていない。


「私はただの職員であんまり知らされてなくて……。まぁでも、勘のいいアルカ君なら予想はついてるんじゃない?」


 アルカに向かって「ふふ」と笑い掛けるマリアだが、見当違いもいい所である。確かに、貧民街や冒険者として生きてきたアルカには、本能や野生に近い勘が働く事も多く、事実それに救われてきた事も多い。


 だが今この状況を、勘だけで理解することなど不可能だろう。突然、S3ランク冒険者からの『特別講習』を受ける事になった。言葉にすればこれだけのこと、あまりにも簡潔すぎて理由を考える要素がない。


 強いて言えばギルドの行事に向けた準備だろうか。しかしそれならば職員に知らさない理由など無いはず。


「ならこんな聞き方しねぇ。心当たりが無いからあんたに聞いてんだろ」


 遠回りな話し合いは嫌いだ。

 だから単刀直入に、最も聞きたいことだけを問う。


「そっか。んー……。ギルドとして私の口から言える事は本当に少しだけだよ?」


「もったいぶらなくていいって」


 マリアはキョロキョロと、酒場を見渡し近くに誰もいないか、聞き耳を立てている人がいないかを確認。昼前、まさに冒険者が最も活動している時間帯。そんな時間にこの酒場に居る人などほとんどいないわけで、確認を終えたマリアは顔をアルカの方に近づけ、耳打ちする様な小さな声で話す。


「……対象モンスターのレートとか、場所は教えられないんだけど。近々、大規模討伐任務が発せられるみたいなの」


「……あ?関係ねぇだろ、んな事。この『特別講習』を受けなきゃいけねぇ理由が知りてえんだよ」


「関係大アリなの。そこら辺も順を追って説明するね。最近、強い冒険者がみんなこの辺りから居なくなるのは知ってた?」


「そういやそうだな」


 マリアは書類の束の中から、一枚の紙を取り出しアルカの前に差し出す。


「これは王国の最北、エヌ地方のゾロフィレン山脈に棲息する、ニクスドラゴンについての報告書なんだけど、ここ読める?」


 その一枚の紙には、ニクスドラゴンと呼ばれるモンスターと思しき絵、そして恐らくその大まかな生態が書かれているのだろう。と言ってもアルカは難しい文字や単語は読むことが出来ない為、その大半はアルカにとってはただの記号に過ぎないのだが。


 マリアもそのことは重々承知であったのだろう。アルカが読めるであろう、数字ととある文字が書いてある欄を指差し、尋ねる。


 それは冒険者ならば読めなくては困る最低限の文字であり、見慣れた文字。だからこそ、その隣に書かれた数字が普段とあまりにかけ離れていることに、瞬間的にに気が付いた。


「な……!なんだこの討伐報酬……!?」


「そう、普段は指定討伐禁止モンスターだからね。しかもニクスドラゴンから取れる素材はもっと高値で売れるの」


「もっとって……んだよそれ……」


 その莫大な金額に愕然とするアルカ。決して大きな声では無いが、驚きと興奮が混じった様な声で反応。


 アルカが手にしたことのある最高金額を桁ごと軽々と超えていく。アルカが何年冒険者をすればこの金額を稼げるのか想像もできないような大金。


「5年に一回、ギルドからこのニクスドラゴンの大規模討伐任務が出されるの。それがちょうど今、この時期」


「……クソ」


 何故こんな大事な事を知らなかったのか。

 悔しさを感じるアルカだが、知っていようが無駄だったのだから仕方がない。


「ごめんね、アルカ君は参加出来ないから知らせて無かったの。ニクスドラゴンのレートはS2。それを複数体討伐しないといけないから、参加出来るのは最低でも冒険者ランクS-なんだ。ギルドとしても冒険者のみんなを死なせたく無いからね。そういう事で、今はこの辺りから上級以上の冒険者はみんな北に移動しちゃってるの」


 という訳である。何しろとてつも無い金額だ。もし独り占めできるなら浪費しすぎなければ一生安泰だろう、それ程の金額。


 命を懸ける価値はある。参加出来るなら是非したい。そう考えるのは単純に冒険者の性だろう。冒険者という不安定な道を選んだのだ。人生の逆転を狙っている者がその大半を占めるのも当然だろう。


 自分にもし今、ニクスドラゴンの大規模討伐に参加出来る権利があったら。それぐらいの強さと地位を築けていたら。人生は全く違ったものになっていたのに。そんなあり得ない妄想に惨めさを感じたアルカは、再び唇を噛んだ。

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