聖夜に淫魔を狩る

# 01


「あの、すみません……道を、教えてはいただけませんか……」

 暗い印象の女だった。肩のあたりで切り揃えられた黒の髪。シルバーのフレームのメガネ。豊満なバスト。そして病的に白い肌。

 見るからに不健康そうで、声をかけられた少年は一目見た瞬間にもう、その女を放ってはおけなくなった。

「…………えっと、どこに行きたいんですか」

 気恥ずかしく思いながらも、少年は訊く。

 ――ごめん、佳奈。

 約束の時間に遅れることを少年は心の中で詫びつつ、女の言う目的地へと案内する。

 「淫魔出没注意」ののぼり旗が、少年の視界の端で虚しく風に揺らいでいた。


# 02


 眠らぬ街の闇の中を降る白い雪を見つめ、雛木ひなき香織かおりは湯気の立つコーヒーをすする。目を細めて、窓を凝視した雛木はううんと少し唸ってから、言う。


「……この『雛木魔狩事務所』ってシール、邪魔だな。なあ各務かがみくん。これ、剥がしてもいいか?」

「そんなことしたら、ウチがなんなんだか分からなくなっちゃいますよ」

「いいじゃないか。この稼ぎ時の性夜にだって客が一人も来ないんだから」

「……剥がすの大変ですよ。外寒いし」

「じゃあやめだ。温いところでくつろぐに越したことはない」


 こともなげに雛木の思い付きに対処した青年、各務は事務作業に一区切りつけて、冷たくなったカフェラテを飲む。それから一つ伸びをして、


「まあでも、実際、この状況はなんとかしたいですね」

「シールのことか?」

「閑古鳥が鳴いてることの方です。これが平和の証拠ならいいのですが、国の発表する淫魔事件の発生件数は年々右肩上がり。残念ながら、何もないなんてことはありえないワケですし」

「……まぁ、な。各務くんは何が悪いんだと思う?」

「まず、立地じゃないですかね」

「あ~うん。それ以外で頼む」

「実績がない」

「警察へのコネがあればドラマみたいにバシっと解決してやれるんだがな」

「所長」

「それはどうしようもないから諦めてくれ」

「宣伝不足」

「各務くんの領分だな」

「…………なんかもう、実力以外の全てがだめに思えてきました」

「そうだな。稼ぎ時にこんなこと話してる時点でもうだめだな」


 二人の間に沈黙が訪れる。

 雛木は変わらず窓の外の雪を見ていて、各務は軽くストレッチをしつつ壁にかけられたカレンダーを見る。カレンダーに書き込まれた依頼の数は一週間前にこなした分の一つだけで、ほかは全て空欄だ。


「ちょっとコンビニにでも行くか」

 雛木が言った。

「出かけるんですか?」

「キミもな。どうせ暇なんだ、一緒に酒でも飲もうじゃないか。奢るから好きなの買うといい」

「……まあ、そうですね。緊急の依頼だってどうせもう来ないでしょうし――」

 と各務が立ち上がった、その時だった。


 プルルルルルルルルル――――。


 電話が鳴った。即座に各務が受ける。


「はい! こちら雛木魔狩事務所! ……えっ佳奈ちゃん?」

「各務くん」

「ああ、うん。それじゃあ所長に代わるね」

 雛木に電話の受話器を渡してどく。

「……ああ、佳奈ちゃん? こんな時に珍しいね。なんかあったの? …………なるほど。ふうん、それで私のところに。オーケー、分かった。まだ高校生だし、親族割引ってことでタダで受けてあげるよ。あーそんな謝んないで。申し訳ないと思うならウチのこと学校で宣伝してよ。ん。じゃそういうことで。ラインは交換してたよね? そっちに詳しい情報送っといて。うん。佳奈ちゃんのカレシは私が見つけるから。不安だろうけど、佳奈ちゃんは待ってて。それじゃ」


 電話を切ると、雛木はニッと各務に笑みを向けた。


「各務くん。年明けまでに女子高生向けプラン作っといて」

「ま~た思いつきでそういうこと言う……。まあいいですけど」


 呆れを顔に出しつつ、各務は上着を羽織って壁に掛けられた刀を背に差した。


「よろしく頼むよ」


 いたずらっ子のように無邪気に笑い、雛木は錠剤入りの瓶を二つポケットに突っ込んで、壁に埋め込まれるようにして設けられた金庫を開けた。中から出てきたのは『認可済特殊兵装第17892号』と押印されたシールの貼られた、真っ黒いトランク。


「それ、使うんですか?」

「念のためね。使わないに越したことはそりゃ、ないけど」


 雛木は各務にトランクを渡した。各務は心底嫌そうな顔でトランクを受け取る。


「じゃ、準備もできたことだし、行こうか」


 飄々とした態度、何も気負うもののない背中で、雛木は事務所を出た。


 淫魔狩りが、はじまる。


# 03


 淫魔は人の感じる快感を己の糧とする。


「あっ……ん……ふっ…………んっ」


 そこは電気も水道ももう通っていない、時代の流れから取り残されたかのような廃ビルだった。発電機から供給される電力で稼動する電熱線ヒーターは今にも壊れるのではないかという唸り声をあげて、それでも毛布一枚の少年に向けて熱を放っている。


「寒……」


 少年の嬌声をBGMに、雪原ゆきはら相良さがらはタバコに火をつけた。

 煙を一筋口から吐いて、ぽつと呟く。


「クリスマスなのに、食べられるのは高校生一人分か……」


 雪原の視線の先には、口から嬌声を垂れ流す少年がいた。一枚の薄い毛布の下で悶える少年の名を、雪原は知らない。

 分かっているのは、タイプの女だけだ。

 淫魔は対象が最も性的に興奮する容姿の者に変化することができる。

 陰気そうな、黒髪ボブカットのメガネ女。それがこの少年が無意識に、最も興奮する姿だった。だから雪原はいま、その姿でいる。


 といってもそこに意味はない。少年は今、催眠状態に陥っているためだ。

 魅了の術によって少年の意識を朦朧とさせて、抵抗力を奪い、廃ビルに連れ込んで寝かせる。目隠しをさせて、耳にはイヤホン。そうして、少年の好みに合致するであろう催眠音声を再生する。

 あとは近くでただ、少年の快楽が高まるのを待てばいい。高まりに高まったところで、一気にその快感を喰らう。


「……なんもしなくていいのは楽だけど、1、2時間かかるのはなんとかならないのかしら。せめてあと一人くらい、つかまえられたら……」


 雪原は廃ビルの外の景色へと目をやって、首を横に振る。


「いや。駄目だ駄目。いつ絶頂するかも分からないあれを放置なんてできないしそれに、この辺に他の淫魔が潜んでないとも限らない。また横取りされでもしたら……」

 ため息。

「淫魔のとこにだって、サンタクロースが来てくれてもいいと思うんだけどねぇ……」


 ぼやいても現実は何も変わらないと知っていても、ぼやかずにはいられなかった。

 タバコの灰が落ちる。

 雪原は何もない、真っ暗な天井を見やった。

 エサとなる少年の嬌声すら、うっとおしく感じられて、そんな自分に雪原はただ、どうしようもない虚しさを感じるほかにない。

 再びのため息が、口からこぼれようとする。

 だが、雪原はすんでのところでそれをやめた。


 足音だ。二人分の、人の気配を感じとったのだ。

 それはビルの入口から入り階段を上って、ここへと真っ直ぐに来ようとしている。

 魔狩りだ。

 どのようにして来たのかはさておき、魔狩りがやってきたのだ。


「はは……」


 危機的状況であるにも関わらず、雪原の口からは乾いた笑いしか出て来なかった。


# 04


 雛木と各務が階段を駆け上がると、そこにはコンクリートの剥き出しになった柱に寄りかかり、タバコを喫う一人の淫魔がいた。

 淫魔――雪原はこちらに気がつくと、メガネを捨てて、タバコも捨てて、

「……殺すなら殺せば?」

 と言った。


「おや、随分と諦めがいい」

「所長、罠かもしれません」

 拍子抜けする雛木に各務が耳打ちする。

「それはないよ。彼女は腹を空かしてる。抵抗する力は、ほとんど残っちゃいない」


 雛木は両手を挙げて前へ出た。


「なんのつもり?」


 訝しむ雪原に雛木は語りかける。


「我々も、そこまで非情というわけじゃあないってことさ。取引をしよう」


 雪原があとずさろうとする。しかし背後は柱だ。逃げ場はない。自分の軽率な判断を雪原は後悔した。


「君が誘拐した少年を私達に引き渡してくれれば、私達は君のことを見逃す。食糧がほしいのなら、食糧を提供してもいい。どうだろう? 悪い話じゃあないと思うけど」

「……その後は?」

「あと?」

「私みたいなロクに獲物もとれない淫魔、今ここで見逃されたってどうしようもないんだよ。どうせ、その辺で野垂れ死ぬか警察に捕まって施設送りのどっちかだ」

「……なるほど。それじゃあ、君の今後の暮らしについても、保証すると言ったら?」

「は――?」


 雪原があっけに取られた、その時だった。

 廃ビルのがら空きになった窓を突き破って、何者かが二人の間を弾丸のように通り抜けていった。

 衝撃によって砂塵は舞い、周囲が見えなくなる。


「魔狩り! 謀ったな!」

「違う!」

 屹然とした声で雛木は否定した。

「無事ですか所長!」

「来るな!」


 砂煙の中、自分の元へと行こうとする各務を雛木は諫めた。視線の先は闖入者の通り抜けて行った方。

 だんだんと、砂煙が晴れてゆく。そうして三人が目にしたのは、


「――っ! ――っ!」


 強烈な快感に身体を痙攣させる少年と、彼を抱きかかえ

その口に舌を捩じ込んでキスをしている女だった。

 白のコートに、茶髪のツインテール。

 その姿を見て、各務はつぶやく。


「……佳奈、ちゃん?」

「馬鹿。各務、君も知ってるだろ、淫魔は姿を自在に変える」

「じゃあ……」

「ああ、淫魔だよ。それも強力な」


 ポケットの中の小瓶をいつでも取り出せるようにしながら、雛木は断じた。


「なにせ、無意識の好みじゃあなく、今、恋をしている相手の姿を掌握してしまっているんだからね」


# 05


 ――さて、どうする。


 雛木は闖入者の一挙手一投足を見逃すまいと睨めつけながら、慎重に次の一手を考えていた。


 ――今ここでアレを使うのはムリだ。まだ準備ができていないし、準備するそぶりを見せただけですぐに逃げられてしまう。相手は無意識だけでなく、表層の意識さえも一瞬で読み取ってくる強敵だ。アレと「闘う」のは難しいだろう。

 ――クスリを使えば、辛うじて読み合いを成立させられるから「闘い」にはなるか? でもその場合、各務くんが戦闘不能になりかねない。今ここで唯一のまともな戦闘力を失うのは辛い。せめて、何か策がほしい。

 ――黒髪の淫魔。彼女に協力してもらうって手もあるにはあるけど、ぶっちゃけ囮くらいにしか使えなさそうだ。

 ――……こうやって作戦を練ってるのも、向こうにはバレバレなんだろーけど、まあこればっかりはしゃあない。どの道、「分かってても避けられない攻撃」をかまさなきゃならない相手なんだから。

 ――さて。どうしたものか。

 ――行き詰まったな。


 これといった策は、思いつきそうもなかった。


 雛木にできることは、ただ相手の動きを見ることだけだ。


「……!」


 やがて、雛木は一つの気付きを得た。


# 06


 雛木は小瓶を使うことにした。

 ポケットに入れた小瓶から白の錠剤と赤の錠剤を一つずつ、口に入れて、目線の動きで各務に行くよう伝える。

 ぎょっとしたような表情を一瞬浮かべつつも、各務はうなずきを返して突撃した。抜刀し、敵の背後に回って袈裟切りに――。


 しかしそれは見事に失敗する。

 敵は少年を抱えたまま、フロアの反対側へと移動していた。ベロ入りのキスは継続したままで。


「そぉい!」

「ひゃ――――!???」


 それを予見していたのか、雛木は雪原の細腕を掴んで、思いきりそちらの方へと投げ飛ばした。


「そんなにヨユーぶっこかれると、流石の私も我慢できなくなってくるね……」


 もちろん、雪原が着弾するころにはもう、その場に敵はいなくなってるのだが、


「ナメてくれん……っな!」


 敵の次の移動先、その背後にはもう雛木がいて、蹴りを一発、背中に見舞うことに成功した。


「各務!」

「無事です!」


 雛木の蹴りによって生じた隙をついて、各務は少年を奪取する。淫魔が口を放そうとしないので、額に一発、首の骨を折るつもりで刀の柄を打ち込んで。

 そのダメージが甚大だったのだろう、淫魔が倒れる。


「グッジョブ」


 予想以上の成果に雛木はハンドサインで部下を労って、未だ痙攣の続く少年にキスをした。


「しょ、所長!?」

「……ん。これで良し」

「なにがですか! っ――」


 詰め寄る各務の唇を奪い、雛木は快楽を喰らう。

 時間にしてほんの数秒だったが、キスが終わる頃には各務はもう、雛木によって強烈な快感を生じさせられた影響で戦闘には参加できないようになっていた。


「……な、所長……? なに、を……か、んがえっ……て」

「申し訳ないが各務くん、アレの準備をしておいてくれ、君なら意識が朦朧としていても出来るだろ?」

「……っ! え、ええ……」

「頼むよ」


 やにわに雛木は各務の刀を手に取り、構えた。


「ここから先は、私達三人に任せてくれ」


 雛木の視界の中、三つの影が動いた。


 一つは敵である淫魔のもの。折れた首はもう完治したのか、首を回しながらゆっくりと立ち上がる。


 一つは窓際で頭をさする雪原のもの。恨みがましい目で雛木の方を見ている。


 そして最後の一つ、それは、

「……はぁ、はぁ」


 アイマスクを取り、イヤホンも外し、目は少し虚ろなまま、立ち上がる少年だった。


「…………そんな」


 各務は目を疑った。


 淫魔によって直接与えられる快楽は、通常の1000倍にも及ぶと言われている。少年の唇を奪った淫魔が加減をしていたとは考えられない以上、そのくらい強大な、廃人になってもおかしくないくらいの快感に、少年は襲われていたと見るべきである。


 とうてい、立ち上がれるはずがないのだ――。


 しかし、各務の常識を裏切って、少年の脚はしっかりと床を踏みしめていた。痙攣はだんだんと収まっていき、上体の揺らめきも自然なものへと変わってゆく。


 それはまるで、少年を襲う快楽が別のものに変換されていくように。


# 07


「――月島つきしま桐谷きりやくん」


 雛木が少年の名を呼ぶ。


「ともに戦ってくれ。アレは、狩らなくてはならない。佳奈ちゃんの姿をしているが――」


「分かってます」


 雛木の言葉を遮り、月島は言う。


「……佳奈は、あんなこと考える奴じゃない」


 それを聞いて、雛木は安堵するとともに期待を抱いた。


「雛木さん。策はあるんですか?」

「ああ、あるよ」

「なるほど。なら、できそうですっ――ね!」


 混乱する思考のまとまりつつある敵を、月島が抑えにかかる。


 月島は幼少の頃より合気道を習ってきた。この淫魔のように、純粋な力だけで技もなにもない相手であれば、引っくり返してやることなど造作もない。


 はずだった。


「――クソっ」


 しかし、敵は逃走を選択した。


「雪原さん! 捕まえて!」

 移動先は雪原のいる方。

「えっ」


 だが、突然の事態に雪原の頭は理解が追い付いていない。

「つ、つかまえ……」

 雪原は戸惑い、動けずにいる。このままでは来た時同様、窓から逃げられてしまう。

 にも関わらず、月島は笑みを零す。

 雪原が困惑すれば、それは敵の油断を誘う。実際、今だって敵は、背後からの一撃を微塵も考慮していない。

 だから――

「そらっ!」

 雪原に向けて放たれた電熱線ヒーターが見事、敵に直撃した。雛木が発電機ごと投げたそれは無論、未だに熱を放っており、


「あぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 結果として、淫魔のコートに火を付けた。熱によって直撃したであろう背中には小さからぬ火傷を負っているはずで、それもやはり、淫魔の行動を阻害する一因となる。


 だが、首の骨と同じだ。放っておけば完全に治癒する。


 敵の淫魔はこの手の痛みに慣れていないのだろう、傷を負うたびにその場で止まるが、やがて気力を振り絞って逃げ出す時が来る。


「……」

 月島は、その時がもう近いことを読み取った。

 だから、

「おさえて!」

 時間を稼ぎに出る。

「へっ?」

「雪原さん! そいつの上半身を抱えて! 下半身は俺が持つ!」

「あ、は、はい……ていうか君、人間なのになんで……」

「俺は半魔なんだよ! 半分ってかクオーターだけど……」

「へ、へぇ……でも私ごときのチャームにかかるなんてよほど……」

「そりゃ、あの人のクスリのおかげでだな……っ! そんな話してる場合じゃねぇ! 投げるぞ! せーのっ!」

「せ、せーのぉっ!」


 窓際から部屋の中央の方へ、二人は淫魔を投げた。

 その先には、一丁の長銃を構える雛木がいる。

 銃口の反対側に伸びた銀の刃を胸に刺し、吐血しながらも雛木は詠唱をする。


「――我はヒトにして魔なる者。我が血喰らいて、妖銃よ、我が敵を討て」


 引き金が引かれると、真紅の銃弾が打ち出される。それは歪な軌道を描いて敵の心臓へと至り、内部で破裂。決して消えない呪詛を肉体に刻み込む。


 即ち、同族殺しの呪詛。

 銃弾を構成する血液と同じ種族の者ならば対象を確実に殺害せしめる呪詛である。

 どんなに再生能力の強い淫魔でも、この呪詛が身体に入ってしまえば、


「ァ、ァァァアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!」


 断末魔の叫び響かせ、淫魔は塵に還る。


 その姿は最期の最期まで佳奈の、己の愛する人のものだったが、月島はそれが塵になり消えるまで、死の様子を見ていた。

 まるで、そうすることを己に課しているかのように。


# 08


 年が明けた。


「餅つきをしよう」


 雛木魔狩事務所は三が日であろうと通常営業中だ。つまりは、閑古鳥が鳴いている。


 しかし一方で、事務所は普段よりも少し賑やかで、


「まーたそんな思いつきを言う」

「おもちつき!? やってみたい……」

「あのー香織さん? お餅ならいま焼けたけど……」

「佳奈。この人はそういうこと言ってんじゃねぇと思うぞ」

 各務は呆れ、

 雪原は目を輝かせ、

 佳奈は戸惑い、

 月島は説明する……

 そんな光景が広がっていた。


「なあいいだろ各務くん。雪原ちゃんだってああ言ってるんだから」

「駄目ですよ。するにしても明日にしてください」

「明日になったら三が日が終わってしまうじゃないか!」

「じゃ、諦めてください」


 雛木と各務は、そんないつも通りのやりとりをする。他の三人は蚊帳の外だ。

「……なあ、雪原さん。大変じゃないか、ここで暮らすの……」

 月島が尋ねると、雪原は首をかしげた。

「? あったかい布団はあるし、ご飯も貰えてるから別にそんな……困ったりは、してないけど?」

「あ、そう……つーか、まだその格好なのか」

 月島が雪原の容姿を指して言う。

 雪原の姿は月島を誘拐した時同様、黒髪メガネのままだった。

「雛木さんとは初対面これだったし、そのまんまのがいっかなーって」

「さいで」

「……ところでさあ、月島くん」

「ん?」

「君の彼女、怖いね?」

 そう言う雪原の顔は普段よりも五割増しで顔色が悪いように見える。

「……ああ。そりゃまあ、自業自得ってか……」

「そうじゃなくて嫉妬だよ嫉妬。ホラ、私のこの姿って――」

「嫉妬なんてしてませんけど?」

 佳奈が横から割り込んで言う。視線の先には、雪原の顔、髪、大人びた身体。

「してませんけど?」

「…………はい」

「なに震えてんだ?」


 淫魔因子が顕在化していない今の月島では、他者の内心を知ることはできなかった。それを幸と呼ぶか不幸と呼ぶかは誰も知らない。


「餅つきがダメなら初詣だ! 初詣行こう!」

 雛木がそう言うと、雪原は佳奈から逃げるようにして初詣の話題に乗っかりに行く。

 そんな雪原の様子に苦笑していると、佳奈が袖を引いて言った。

「……なんで、笑ってられんの」

 問いに、月島は困ったような表情を浮かべる。

「なんでって言われてもな……自分でも、よく分かんないんだよな」

「え?」

「こう、怒る気になれないっていうかさ……」

 月島は雛木のクスリによって読心能力に覚醒していた時のことを思い出した。

 戦闘中のほんの刹那、読み取った雪原の心は先の見えない不安と苦しみでいっぱいになっていた。それでいて、淫魔の、ではなく人間の倫理観によって自分を縛りつけているような有様なので、深い自己嫌悪に陥っており、「死」という言葉が思考の中では幾度となく出てきていた。

 そんな相手に対して怒りを抱けるほど、月島は自分のことを大切だとは思えなかった。

「佳奈には悪いけど、やっぱあの人には、幸せになってほしいって思っちゃうんだよな」

「……そう」

 佳奈は月島の手を握った。

「だとしても、もう、あんなことはやめて」

「うん。……気をつけるよ」

 その言葉が羽毛より軽いことを、月島は自覚している。

 胸にちくりとした痛みをかかえて、繋いだ手を握り返した。


# 09


 月島と佳奈の二人を事務所に残して、雛木と各務と雪原の三人は初詣に行った。

「え――っ! 振袖とか着ないんですかぁ?」

「うちは赤字だからそんな金はびた一文いちもんたりともないんだよ」

 しょぼくれる雪原の手を引いて、やってきた昼前の神社は人でごったがえしていた。

 参拝者の列に並ぶこと30分。ようやく、雛木たち3人の番になった。神社に満ちる神聖な空気にあてられてか、雪原は顔色を悪くしている。

 順番になるやいなや、すぐさま雛木は鈴を鳴らし、賽銭を入れ、二礼二拍手一礼。

 それが済むと、三人はすぐさま神社の境内を出た。おみくじを引く予定だったが、雪原がもう、それどころではなかったのだ。


 神社近くの公園のトイレ前。そこで雛木と各務の二人は雪原が戻るのを待った。

「そういえば、なんで月島くんが半魔だって分かったんですか所長? 佳奈ちゃんも知らなかったことですよね?」

 各務の問いに、雛木は目を指差して言った。

「観察の成果だよ」

「と、言うと?」

「半魔は、普通の人間に比べると精力が強く、また絶頂しずらい傾向にある。あの淫魔の容赦しないベロキスくらってあの程度の痙攣で済むってことは、ただの人間じゃないんじゃないかと思ってね」

「はは……なるほど」

「……しかしまあ、昨年のあれは本当に大変だったな」

「結局、あの呪詛に頼ることになってしまいましたからね……やっぱり、傷の具合は良くないですか」

「ああ。さすがに私の淫魔治癒力をもってしても、そう簡単に傷が閉じではくれないね。まったく、今が冬で良かったよ。夏だったら雪原ちゃんや月島くんらに変な気負いをさせてしまっていたかもしれない」

「……僕は、正直あの戦い、月島くんを救出さえできたらそれであとは、奴を追っ払うだけで十分だったと思ってたんです」

「今でも、そう思ってるか?」

「所長がそんなことになってしまって、思わないとでも?」

「……そうだな。君は、昔からそういう奴だ」

 雛木は自嘲するような笑みを作って、何か言いかけて口を閉じて。

 そしてもう一度、告げる言葉を考え直して、発する。

「ありがとう、心配してくれて」

「……本気でそう思うなら、あんな無茶、もうしないで下さいよ。ただでさえあの一件は大赤字だったっていうのに、これから先の同じような怪我してたんじゃ、お金がいくらあっても足りないじゃないですか」

「はっはっは。そうだな、善処する」

「本当に、頼みますよ。僕の快楽ならいくらでも、所長に捧げますからどうか、」

 各務が一拍置いて、続きを言おうと息を吸い込んだその時。

「す、すみません! お待たせしました!!」

 トイレから雪原が出てきた。

「……? どうかしましたか?」

「あ、いや。なんでもないですよ、本当」

「……ああ。ただちょっと雑談してただけだ」

「はあ」

「ところで雪原ちゃん。体調はもう大丈夫?」

「あっはい! 思い切り吐いたらすっきりしました!」

「そっか。それは良かった」

 雪原の肩を叩いて、雛木は言う。

「これから君には我が事務所の貴重な戦力として働いてはもらわないのだからね。何事もなくて良かったよ」

「あ、はい! そうですね……」

「また何かあると大変だ。雪原ちゃん、事務所の場所は分かるね? 念のため、君は事務所に帰ったほうがいい」

「う……」

 雪原の表情が曇る。しかし、雛木の言うことも正論だと感じ、それを否定できないことを残念に思いながら、

「わかりました。では、お先に失礼します」

 雪原は事務所へと帰って行った。


「で、捧げるからどうか、……なんて言おうとしてたの?」

「……なんでもないですよ」

「?」

 結局その日。各務から雛木が言葉の続きを聞き出すことはできなかった。

 しかし、それでもいいと雛木は思った。

 いつもと変わらず、隣には各務がいて、そしていつも以上に事務所は賑やかだ。それ以上のことは、今はまだ、求める必要なんてない。

 冬の空の澄んだ青色を眺めながら、雛木はそんなことを考えた。


(了)


# あとがき


この夏に書いた短編の中では一番ちゃんとしてると思いますがいかがでしょう。


今回の執筆はちゃんと一回書いただけで投稿したりはせず、いっぺん寝てからボイロに読ませて推敲するなどしているので多少はマシなものになってるはずです。


視点があちこち移り変わる点とかバトルが雑な点とか、そのあたりは次回以降の課題でしょうか。


それにしても小説の描写は難しいですね。書くべきことと書くべきでないことを切り分けるのも、どこで区切るのが最善かを判断するのも大変です。こんな大変な作業を当然のこととしてこなすプロはやっぱりすごい人ばかりだと思います。


とは言ったものの、私がその辺で悩むのは小説のインプット不足が一因な気もしますし、週2冊くらいは小説を読むようにすれば意外と勘所をおさえられるようになったりするのかもしれません。


さて、話の内容についてですが、こちらは以前、長編用かなにかに使おうと思っていたアイデアを基にした話です。といっても、かなり別物になってますね。


元々は「不死身の性豪(男)と淫魔の血を引く淫魔狩りの娘が街に出没する淫魔を狩る話」というコンセプトで考えてたものなので。ぶっちゃけ「淫魔を狩る」以外の共通点がないと言っても過言ではありません。設定は中々面白そうなので基のコンセプト通りの話もいつか書けたらいいなと思います。


――令和2年8月10日 里場

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