第十六話 変わったね

俺の散髪をした後、簡単に片付けを済ませ、再び勉強を始めた。と言っても流石の詩も俺の散髪やらで疲れていたし、ほんの二時間ほどでお開きとなった。鳴穂は月曜日からテストが始まるらしく、家でも勉強するとのこと。「えらいな」と言ってわざと意地悪く、子供をあやすように頭を撫でてやると、すぐさまその手を振払われた。しかし、顔が紅くして照れているのを俺は見逃さなかった。

 

 ………ついでに詩の頬が膨らんでいるのも見逃さなかった。

 

 

 ――そして、その日の夜。試験期間なので、あの人が俺の家に帰ってくる。

 

 

「もぉ〜やだぁ〜!! テスト作りたくないぃ〜〜!!」

 

「…………」

 

「やだやだやだやだやだやぁ〜だぁ〜!!」

 

「………………」

 

「学校なんて、ぶっとんじゃえ〜〜っ!!!」

 

「あぁもう! うるさいなホント!!」

 

 

 勉強をしていた俺は、目の前に座る七海先生――通称、なーちゃんに手を焼いていた。

 

 川瀬姉妹を駅まで送って行った後、俺は家に帰り、少し自分の勉強をしてから、今日も学校でテストやら何やらの準備をしてきた香織さんの晩飯えさを作った。待っているだけでは暇だったので、勉強して彼女の帰りを待っていた。

 しかし、彼女は帰ってくるなり「疲れたぁ〜」と言ってダイニングテーブルに伏せ、自分で持ってきたらしい発泡酒の栓をプシュッ! と開けてぐびぐびと飲み始めたのだ。

 

 それから二十分たった現在。

 

 ――うん、まぁ酔ってるよね。

 

 

「だぁ〜てぇ〜………私まだテスト作り慣れてないし。そもそも、まだ私、教師になってからそんな経ってないのにクラス持たされて…………仕事多すぎだってのぉ〜〜〜!!」

 

「それだけ評価されてるってことじゃないの? 知らんけど」

 

「ぷぅ〜っ! ……絶対面倒事押し付けてるだけだと思うんだけどなぁ〜……」

 

 

 テーブルに突っ伏し、不貞腐れる香織。スーツの上着を脱ぎ、シャツ姿で突っ伏すので、彼女の大きなたわわがこれまた大きく形を変える。非常に目のやり場に困る体制だ。

 

 

「でも、まだそれ楽な方なんじゃないのか? 授業持ってんのは一年生だろ? 三年生の授業とか持ってる人の方が忙しそうなイメージあるんだけど?」

 

 

 されど、幾度となくその姿を見せつけられているコチラとしては、そこらへんの対策はキッチリしているのでキョドったりはしない。

 

 ……まぁ、目を反らすだけなのだが。

 

 俺はふと、疑問に思った事を香織さんに尋ねる。

 

 

 

「………………………確かに」

 

 

 認めんのかよおい。

 

 三年を持っている教師は、彼、彼女らの受験の準備も見ないといけないので、大変そうと思った天であるが、ホントに大変らしい(そらそうだ)。

 まぁ、実際に新米教師には先輩教師から面倒事を押し付けられることはあったりするらしいが。

 

 

「………でもまぁ、うちの副担は私が媚び売って私の手駒にしてるから、よく言う事聞いてくれて楽よ?」

 

 

 いや怖いわ。まじ言ってることが女王のソレ。まるで犬でも飼い始めたかのようにスルッと言ってきやがった。

 

 

「だからほら、私が天を呼び出して私がSHRに来なかった時があったでしょ?」

 

 

 昨日じゃねぇか。え、この人もしかしてテスト製作云々せいさくうんぬんで疲れ過ぎて、昨日の事さえ遠い昔のように感じてんのか?

 

 

「あったな」

 

「あれ、私が副担おっさんにちょっと色っぽく頼んだら引き受けてくれたのよ。『私、担任になってまだ浅いから、仕事の多さに手間取っちゃって、だから……SHR、変わって頂けませんか……♡?』って」

 

 

 断言するわ、悪魔だこの人。サキュバス辺りの生まれ変わりだろ絶対。

 

 あの副担おっさんがデレデレしている姿が目に浮かぶ、絶対にリアルで見たくはないが。

 

 

「………と言うことはつまり、早く家に帰りたかった訳だな……?」

 

「………………てへぺろっ☆」

 

 

 もはや懐かしいと感じてしまう誤魔化し方をする香織さんに、俺は大きく溜め息を付く。

 俺たちのSHRを副担に任せて、担任の自分は今日の分の仕事をとっとと終わらせて帰ろうとしていたらしい。どおりで昨日帰りが早かった訳だ……。

 すると香織さんもジト目でコチラを見てくる。

 

 

「もぉー、疲労困憊している人の前で溜め息付くなんて、ヒドイなぁー天は」

 

「ヒドイのはどっちだまったく、あと年上の人に色気なんて使うな、後で何かあっても知らんぞ?」

 

 

 ――注意のつもりでそう言った俺だったが、言ってすぐに後悔することとなる。

 

 俺はすぐにノートへと視線を戻し、休んだ分、取り返そうと意識を集中させようとしていた時のことだった。

 

 

「じゃあ、天にだったらいいの?」

 

「………………………………は?」

 

 

 ぽつり、と呟かれた言葉に俺は思わずノートから顔を上げ、香織さんの顔を見る。

 彼女は火照った顔で真っ直ぐ俺の瞳を見つめてくる。まるで、何かをねだるように。

 

 

「天になら………いいの……?」

 

 

 呆然としてしまっている俺の視線は、彼女の瞳から唇へと移る。

 

 彼女の唇はとても瑞々しく、さらに酒で火照った頬が相まって、妙に艶かしく輝いていた。

 

 俺は思わず、生唾を飲む。

 

 流石にクラスの男子に騒がれるだけある美貌だ、すでに色っぽい彼女に男としては惹きつけられるものがある。目が離せない。

 

 

「……………じ、冗談はよしてくれ」

 

 

 それでも、なんとかその言葉を喉から絞り出して、彼女の唇から目を反らす。

 

 非常に心臓に悪い、頭が混乱する。未だ、ドクッドクッと跳ねる胸内にある核はなかなか落ち着いてくれそうにない。

 なんとなく居心地が悪くなった俺は、側に置いてあるお茶の入ったグラスを手に取り、喉を潤す。

 

 すると、その様子を見ていた香織さんの肩が震えていることに今更気づく。

 

 

「ぷくくっ…………あはははははは! ……もう無理っ! 天ってばかわいいー!!」

 

 

 それを聞いた瞬間、からかわれていた、と言うことにも気づき――

 

 

「てっ、てめぇ………!」

 

「あはははは! 怒った顔もかわいいー! いつの間にか髪も切っててより可愛いー♡」

 

 

 空になったグラスをゴトンッ、と置いて怒りの意を示せば、香織さんはその様子もかわいいと言って、天の頭へと手を伸ばして乱暴に撫で回してくる。

 

 勿論、俺はその手を跳ね除ける。

 

 

「や、やめっ……! 子供扱いすなっ!」

 

 

 心の中で鳴穂にゴメンと謝る。これクソ居た堪れないわ。

 

 

「ふふふ………最近、天変わったね」

 

「は、はぁ!? いきなり何言って――」

 

「表情が豊かになった」

 

「――……っ!」

 

「私は、嬉しいよ?」

 

 

 香織さんの静かに喜ぶその表情を目にして、呆気に取られる。テーブルに片肘をついて、手に顔を乗せる彼女は少し苦虫を噛むような顔をするが、すぐにさっきの表情に戻る。大方、昔の俺でも思い出したのだろう。

 

 

「これも、川瀬さんのお陰かな?」

 

「……………………そうだろうな」

 

 

 香織さんから視線を外し、椅子に背中を預ける。

 

 確かに、彼女と会ってからの俺は、変わったかもしれない。それはなんとなく俺も実感があった。

 

 そして、楽しい。

 それは少し前まであまり感じることがなかった気持ちだ。それを、今の俺は感じている。

 

 

「ふふふ………そっか、良かったね」

 

 

 再び俺の頭へと手を伸ばし、今度は優しく撫でてくる香織。

 

 

「だからっ、子供扱いするなと……」

 

「子供だよ、私からしたら、ね」

 

「健全な男子高校生としては不満なんですけど?」

 

「天は私の子供ですー」

 

「せめて弟くらいにしてくれ………」

 

 

 酒がまた回ってきたのか、とろんっ、とした瞳で見つめてくる香織に小さく息をつき、席を立つ。

 

 

「………部屋に戻る。……泊まってくのか?」

 

「いいのー? じゃあ泊まるー」

 

「何が『いいのー?』だ、最初から泊まる気だろうが」

 

「へへへっ、ばれた」

 

 

 最初から泊まる気だから酒を飲んでいるんだろう、と天は気づいていた。なにより、酒を飲んだ彼女を帰すのは難しい。なので天は諦めている。

 

 

「ここで寝るなよ、ちゃとベッドで寝ろ。じゃあな」

 

「うん、おやすみー」

 

 

 そう言ってリビングから出た俺は自分の部屋に入る。そして、自分の顔に手を当て。

 

 

(『変わったね』……か)

 

 

 香織さんの言葉に軽く笑うのだった。

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