第十五話 近づいた距離

まさかの出来事があったため、食事は気まづい雰囲気で………なんてことはなかった。


 なぜかって? それは川瀬さんが食べ好きだからです。

 

 耳先まで真っ赤にした彼女は、まだ少し赤みが指している頬の内側へ、煌めく黄身と一緒に、柑子こうじ色に染まった米を優しくいざなう。

 ぱくっ、と大きく一口、スプーンごと口に含んだ彼女は、暫く咀嚼すると驚いた様に目を見開き……

 

 

「お、おいしい……!」

 

 

 と、興奮気味に目を輝かせた。そして今度は小さく、パクパクパクパクと物凄いスピードでオムライスを食べていく。

 

 あまりのスピードに俺は驚いて見入ってしまったが鳴穂は、いつものこと、とでも言うように普通に食べていた。

 

 ――そうして昼ごはんを食べ終えて、現在。

 

 俺は一人、リビングの椅子に座り、バスタオルをマントの様に羽織っていた。

 

 その俺の後ろには、ハサミを持った川瀬さん。彼女がチョキチョキと音を鳴らす様は………何故だろう、背中を何かでなぞられるような感覚に陥る……いわゆる、悪寒が走る、という感覚だ。

 

 ――俺たちは、俺の髪を切る態勢へと変えていた。

 

 

「………」

 

 

 緊張のあまり無言になってしまう俺。

 ……いや、ここに来るまではまったく緊張もなにもなかったのに、この椅子に座った途端、心臓がどくっどくっと跳ね始めたのだ。どうしても、いつもの川瀬さんを思い出してしまい、何故か不安になるのだ。

 

 

「十坂くん、どんな髪型にしますか?」

 

「………ツーブロで」

 

「はーいっ」

 

 

 俺の注文をしっかりと聞き届けた川瀬さんは、道具の準備を始める。普段、床屋で見かける道具が川瀬さんのカバンから出てくる様は、なんとも異様……というか、出てくる物が本格的過ぎませんか……?

 

 つぅー、と俺の背中に冷や汗が流れる。

 

 そんな俺を気にも止めず、鼻歌を歌いながら準備する彼女はご機嫌である。恐らく、オムライス効果だろう(川瀬さんのみに有効)。

 

 

「………十坂さん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 

 ただ一人、俺の状況を察してくれた鳴穂が横から声をかけてくる。

 

 

「いや、分かってはいるんだけど……いざやるってなると……」

 

 

 そう言って後ろを見やる。

 

 

「〜♪」

 

 

 ………やっぱりなんか、不安である。

 

 

「はいはい、大丈夫ですから、ちゃんと前を向いていて下さい」

 

 

 後ろを向いていた俺の身体を、前へと向かせ直す鳴穂。気のせいだろうか、必要以上に彼女の身体が当たっているように感じる。まぁ、口には出さないが。

 

 

「よしっ、準備できましたっ!」

 

 

 すぐ後ろで、すくっ、と川瀬さんが立ち上がった気配を感じ取る。そして彼女は俺の前へと回り込んでその姿を見せる。

 

 

「…………おぉ」

 

 

 俺は彼女の姿を見て思わず小さく声が零れる。

 

 彼女はパーカーの上にエプロンを付け、そのポケットにハサミや櫛などを入れ、それはまるで本物の理容師さんの様な姿となっていた。肩にギリギリかかっていた髪の毛を結び、小さく作ったポニーテールには思わず目を奪われる。髪を結んだことにより、普段の小動物っぽさが消え、少し大人びて見えた。

 

 こんな子が俺の髪を切るのか……俺の周りをぐるぐる回って……――。

 


「…………」


「あれ? 十坂く〜ん」

 

 

 ………俺は、彼女の甘いスメル(匂い)に耐えられるのか……?

 

 

「……? まぁいっか、はじめますよ〜」

 

 

 そして彼女は片手に持っていたバリカンを、ウィィイ〜ンッ! と起動させる。その音を聞いて、さすがの俺も覚悟を決める。 

 

 こうして、俺の長いのか長くないのか、微妙な耐久戦が幕を開けた。

 

 

 ☆★☆

 


 ――三十分後。

 


「「……………」」

 

 

 そこには俺の前で呆然と俺を見つめる川瀬さんと鳴穂がいた。

 

 俺の周りには、先程まで俺の一部だった黒い糸が、椅子の下に敷かれた新聞紙の上に散乱している。

 

 つまりは切り終えたのだ。切り終えたのだが……

 

 

「……ど、どしたの……二人とも……」

 

「い、いえ、なんでも……」

 

 

 何故か顔の赤い川瀬さん。そしてそのまま顔を伏せてぷるぷると震えだす。

 

 え、そんなに可笑しい……!? そんなに変なのか今の俺!?

 

 時折チラチラと川瀬さんの視線を感じるも、それ以上彼女は何かを言うことはなかった。それがかえって不安になる

 

 とりあえず、川瀬さんはダメそうなので鳴穂に聞くことに。

 

 

「な、なぁ鳴穂、鏡とか持ってない? というか、どんな感じになってる?」

 

「………いえ、なんというか……」

 

 

 鳴穂は言いにくそうな顔をする、が、まぁいいっか、みたいな調子に直して――

 

 

「……十坂さんって、可愛い顔してますね」

 

 

 ――と言った。

 

 

「……………」

 

 

 ……………

 

 …………………。

 

 ………え、なんかめっちゃ複雑な気持ちなんだけど。

 

 『かっこいい』って言う褒め言葉か、『ダサい』とか『ブサイク』の非難する声のどちらかだと思ってたのに、なんか凄く中間的なとこ取ってきたなおい、反応しづらいわ。

 

 ――男とはやはり『かっこいい』を密かに期待してしまう生き物なのである。

 

 

「……それは褒めてんのか?」

 

「褒めてますよ勿論。かわかっこいい、って感じですね」

 

 

 お、なんかグレードアップした……いや、かわかっこいいってなんだ。

 

 

「優男、って言うんでしょうか?」

 

「あっ、それ合ってるよ鳴穂! 十坂くん優しいし!」

 

 

 俯かせていた顔を上げた川瀬さんが嬉しいことを言ってくれる。てか立ち直りが相変わらずお早い。

 

 

「それに………」

 

「それに?」

 

 

 俺が問返すと、今度はもじもじとしだす川瀬さん。

 

 

「かっ、かっこ……いいし………」

 

 

 小さく、囁くような声で発せられた言葉をなんとか聞き取り――

 

 

 やばい……めっちゃ嬉しい……。

 

 

 ――顔がニヤけそうになる俺であった。

 

 いや、人生生きてて女の子に一度でも『かっこいい』って言われたいじゃん? 俺も男ですし? 高校生ですし? それなりに身だしなみには一応気をつけるというか? ……というか早く鏡見せて?

 

 

「一応、自分でも確認したいのですが……」

 

「はぅっ! すみません! ええっと………はいっ、こちらをっ!」

 

 

 顔を紅くした川瀬さんがカバンから二面鏡を取り出し、ぱかっ、と開いてこちらに向けてくれたので、そこに自分の顔を写す。

 

 おおぉ………なんか久しぶりに自分の素顔を見たな………

 

 久々に自分の素顔と対面し、少し感動する俺。ニキビ一つないその顔は、密かに自慢だったりする。

 改めて鏡に写った自分を見て、今更髪を切った実感が湧いてくる。頭が軽くなった感じがし、少し鬱陶しかった前髪もさっぱり切られ、視界が広く感じられた。

 俺が川瀬さんにしてもらったのは、いわゆる『隠れツーブロック』なる物で、サイドの刈り上げたところを、上の髪で隠す様な物だ。こうする事で耳の辺りの髪が、横にふんわりする事がなくなり、男らしい、スラッとした髪型となる。

 

 

「おぉ、さっぱりした感じだな。楽でいい。というか川瀬さん上手いな」

 

「えへへ〜、それほどでもあります」

 

 

 あるんですね。

 

 

「……正直、切る前はめちゃくちゃ不安だったけど……うん……川瀬さんさえ良ければ、また切ってくれないかな?」

 

 

 それ程までに俺は満足していた。

 

 

「ええっ!? いいんですか!?」

 

「え、逆にいいの?」

 

「わ、私で良ければっ……!」

 

「うん、川瀬さんがいいかな」

 

 

 経費も浮くし。川瀬さんが側にいるし。俺には得しかない。

 

 

「……っ!? わ、わかりましたっ……! これからは私が十坂くんの髪の毛の管理をしますっ……!」

 

 

 なんか事が大きくなっている気がするが………まぁ、いいか。あと、

 

 そして俺は、オムライスを出す前に鳴穂と計画していたを口にする――

 

 

「ありがとう、うた

 

「――っ!?」

 

 

 先程貰った感謝の言葉と一緒に、俺は彼女の名前を口にする。

 

 彼女は驚いた顔をして、頬を紅く染める。口に手を当てて隠しているが、隠れきっておらず、口がぱくぱく動いているのが指の間から窺える。

 

 

 ――『お姉ちゃんはきっと、十坂さんが私だけ名前で呼んでいたことに対して頬を膨らませていたんですよ』

 

 それは鳴穂から聞いた話。どうやら妹様によれば、鳴穂だけ名前で呼んだことがダメだったらしい。

 

 ――『いや、だからって勝手に名前で呼ぶのは気が引けるんだが……』

 

 ――『まったく、変なとこで男らしくない人ですね。そこは私が許してあげます。あと、このままお姉ちゃんのことを名前で呼ばないと、ずっと頬が膨れ続けることになるかもしれませんよ?』

 

 確かに今回はなんとか誤魔化せたような感じとなった。しかし、長くは持ちそうにない。

 

 ――『………分かった。でも、いきなり名前ってのも、な……』

 

 ――『貴方が言いますか……、でもまぁ、助言はしてあげましょう』

 

 

 ――感謝の言葉に乗せて名前を呼ぶと、お姉ちゃんには効くと思いますよ?

 

 

 それが俺と鳴穂のサプライズだった。

 

 

「…………もういっかい」

 

「………え?」

 

「……もういっかい、名前で呼んで下さい」

 

 

 いつの間にか顔を両手で隠している川瀬さんがそう言ってくる。耳が紅いので、恐らく真っ赤なのだろう。確かに効いている。何故かは知らないが。

 

 

「………詩」

 

「…………もういっかい」

 

「……うた」

 

「……もう……いっかい……」

 

「うた」

 

「………えへへ♪」

 

 

 嬉しさのあまりか、顔を手で隠すことを忘れて、真っ赤な顔を両手で挟み込む様に添え、幸せそうに微笑む彼女に、俺も思わず頬を緩めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る