第十四話 『ありがとう』に〇〇を添えて
「……で、私は何をすればいいですか?」
「んー、そうだな〜……取り敢えず材料と器具を出そう」
俺と鳴穂はキッチンに立つと、エプロンを付けて手を洗い、材料と必要な器具を出していく。
俺は冷蔵庫から鶏もも肉、ミックスベジタブルを取り出し、調理台の上に並べる。ミックスベジタブルは解凍する必要があったため、朝のうちに冷蔵庫に移しておいたのだ。
「よし、じゃあまずはチキンライスを作ろう。鳴穂、そこの炊飯器からご飯をよそってくれ」
「了解です」
ブラウスの袖を捲ったエプロン姿の鳴穂が、俺の隣でご飯をボールによそい始める。エプロン姿の鳴穂を見ると、この子と夫婦になって一緒に料理するときっと幸せなんだろうな、と思う。そりゃそうだ、可愛い上にお料理できるんだもん。彼女が少し動くたびに、頭の左右に結ばれた小さな尻尾が、ぴょこぴょこと揺れている様子はなんとも微笑ましい。
俺はジップロックから鶏もも肉をまな板に取り出し、一口小サイズに切っていく。鶏肉は切りにくいので、皮の方を下にして切るのが基本。ザックザックと切っていく。
「十坂さん、さっき言ってたことなのですが……」
ボールにご飯を盛り終わった鳴穂が、とんっ、とボールを調理台に置き、こちらを見据えて聞いてくる。
「ああ、俺に聞きたいことがあるんだっけ?」
「はい、姉のことで」
俺は思わずリビングにいる川瀬さんに目を向ける。
こちらに背を向けて、いそいそと一人勉学に励む彼女には、こちらの会話は届いていなさそうだ。
「川瀬さんのこと?」
「………はい」
鳴穂も川瀬さんの方を見て小さく返事する。
俺は切り終わった鶏肉を、油を引いて熱したフライパンへと入れていく。ジュッ、と油が肉の登場を歓迎する気持ちのいい音が耳を打つ。
「十坂さんと姉はどうして出会ったんですか?」
「ああ〜………それは姉さんから直接聞いてないの?」
「はい、姉からは『男の人が助けてくれた』としか聞いてません」
「そっか。じゃあ、川瀬さんのことになるから言えないかな」
例え妹であっても、あのことはあまりほいほい話していいような内容では無いはずだ。
「どうしても気になるならお姉さんに聞いてくれ」
俺はある程度肉に色が付いたのを確認すると、解凍しておいたミックスベジタブルをフライパンに流し込む。肉は色が付いただけでまだ生だが、ミックスベジタブルと一緒に炒めることで、丁度いい焼き加減にしようとしたのだ。これぞ Jast cooking.(言ってみたいだけ)
「………分かりました。では、なんで仲良くしているんですか?」
「は?」
俺は思わず鳴穂の顔を見る。
「な、なんですか……」
「いや、なんでそんな事聞くのかなって……」
そう言うと、鳴穂は「はぁ……」と溜め息を付き、ずいっ、と半目で顔を寄せてくる。
「あのですね……自分の姉の事を心配するのは妹として当然のことですよ?」
「お、おう……」
俺は反射的に少し顔を引かせる。彼女が近づいた瞬間、ふわぁっと甘い香りが鼻を擽ったからだ。この匂いは……男の身体によろしくないっ……!
というか、俺には兄弟がいないからよく分からないのだが……『きょうだい(姉妹)』を持っている人は、あまり仲が良くないなんて噂を耳にするから、『きょうだい(姉妹) = 仲が悪い』なんて偏見を持っていたりする。
「ましてや、相手が男となれば、良からぬ事を考えて近づいた不届き者かもしれません」
つまりっ、と言って彼女は顔を引き、こちらへと指を突きつけてくる。
「私は貴方を疑っているんです。下心あって近づいた変態なのではないかと!」
まるで、逃さないっ!、とでも言うかのように見据えてくる鳴穂。彼女の姉想いに、俺は思わず感心する。そして俺は、鳴穂の言葉で先日追っ払った二人の男を思い出した。彼らがまさしくソレだったからだ。
俺は、フッ、と嘲笑い――
「――俺がそんな男に見えるか?」
「――見えます」
――思わずズッコケた。
「……な、なんでぇぇ……」
「だってあんなにお姉ちゃんといちゃいちゃしてるんですよ! 完全にお姉ちゃん目当てのヘンタイさんじゃないですか!」
「違う!? あれは川瀬さんからやってきてるんだよっ!?」
「認めません、私が認めません! お姉ちゃんは私のお姉ちゃんです! 勝手に取らないでくださいっ!!」
「あーもう! だから違うんだって! 俺が逃げようとしても逃げれないんだよ!」
「貴方それでも男ですか! 情けないにも程があります!」
「理不尽っ!?」
避けられない男としての本能を否定しておきながら、男して情けないとはどういう事なのだろう。もう男じゃないよそんなの。
俺は溜め息をつき、頭に落ち着きを取り戻させる。
鳴穂が持ってきたご飯をフライパンの中へとダイブさせ、菜箸で少しかき混ぜながら、取り出しておいたケチャップをぐるっと二、三周まわし入れると、ケチャップを混ぜるためにフライパンを少し振り上げて、具材たちを空中へと舞い上がらせる。それを数回繰り返した後、出しておいた皿に出来上がったチキンライスを盛り付け始める。
「聞いたんだよ、川瀬さんの中学の時のこと」
作業をしながら俺は口を開いた。
「えっ……」
鳴穂は絶句していた。それはそうだろう、自分の姉が知り合って間もない人間に自分のトラウマを打ち明けたのだから。つまり、それはそれだけ彼女が限界だったと言う事であり、覚悟の現れでもある。俺も実際に彼女の覚悟を見た。そして、俺はその気持ちに答えたいと思ったのだ。
「俺は彼女の覚悟を見たよ、見せてもらった。でも、それはあまりにも脆かった。俺が断っていたら、きっと壊れていただろうね」
「っ………」
また、「でも」と俺は続ける。
「断ったら、壊れてしまうから、ってな理由で俺は川瀬さんの『覚悟』を受け入れたわけじゃないぞ? 俺だって、自分なりに望むものがあったし、なんならそっちの方を優先しようとしてた。でも、俺は彼女の『覚悟』を見て、感じて――」
俺は手を止めて、もう一度リビングで一人、課題に向き合う川瀬さんの方に目を向ける。
「――俺も、変われるんじゃないか、って思ったんだ」
――自分の過去を、振り払うために。
覚悟を決めたあの力強い目は、俺にはない『なにか』を写していたように感じた。
「………それって、どういう……」
「いや、なんでもない」
実際にはそう感じただけで、よく分かっていない。取り敢えず、彼女と一緒にいれば何か分かるかもしれない、そう思ったのだ。直感的に。
「まぁ、今は純粋に仲良くなりたいと思っているよ」
友達として。
「………そうですか」
「うん、だからこれからよろしくな、鳴穂」
「………お姉ちゃんに変なことしたら、許しません」
「しないよ、寧ろ守る。もう、彼女を怖い目には合わせないさ」
俺も、怖さ――いや、『恐怖』に関しては敏感だから。
もう、彼女が壊れないように、俺が守る。『恐怖』から。
「…………」
すると、黙りこくった鳴穂が、いきなりエプロンのポケットからスマホを取り出す。
「……連絡先、交換してください」
「……why?」
なぜ今?
「か、監視のためですっ……」
そう言って目を反らす彼女の頬は、何故か火照っていた。
☆★☆
「でけたぞ〜」
「待ってましたぁ〜!」
俺は出来上がったオムライスを盆へと乗せ、リビングのテーブルへと持っていった。鳴穂はキッチンでお茶を入れてくれている。
盆の上で揺れるオムライスの卵は、キラキラとした光沢を放ち、なんとも食欲を掻き立てる匂いを放っていた。
立ち上がった川瀬さんは、その卵を見て、ごくりっ、と唾を飲み込み。そして――
『(ぐぅ〜……)』
とてもお腹を空かせていた。
「「…………」」
顔を赤らめて、恥ずかしそうに目を反らす川瀬さん。
なんだろう、気まづいのに可愛い。ていうか何しても可愛いなこの子。
そして気づけば目を反らした川瀬さんが、すすすっ、と俺のすぐそばに来ていた。どうやら食欲には勝てない様子。
「わぁぁ………」
俺の隣から、チラッと様子を窺っていたようだが、一目見ただけでさっきのことは忘れてしまったのか、感嘆の息を零して魅入る川瀬さん。テーブルに置かれたオムライスに、もう夢中のようだ。
「…………あれ?」
だから気づいたのだろう。
「……十坂くん、オムライスにケチャップかけないんですか?」
「…………」
……………忘れてた。
何か足りないなっ、とは思ってたけど、まさか一番大事(?)なとこだとは思わなかった。
思わず頭に手を置く俺。
「やっぱりかけますよねっ、一番大事ですもんねっ!」
「ソ、ソウダネ……」
「やっぱりかけるんですね、十坂さんはかけない方なのかと思いました」
キッチンから、グラスにお茶を入れて持ってきた鳴穂が現れる。持っている盆にはお茶だけではなく、先程使ったケチャップものっていた。
「こら鳴穂っ、それは十坂くんに失礼でしょっ!」
俺としてはもう慣れてしまったのでいいのだが、やはり姉として思うところはあるのだろう。
「この世に『オムライスにケチャップをかけない人』なんていないんだから!」
それはどうなんだろうか……?
「すまん鳴穂。ありがとう」
「いえいえ、どのみちお姉ちゃんはこれをかけないと『オムライスじゃない!』なんて言って食べませんから」
「ちょっと!? 鳴穂!?」
「………確かに言いそうだな」
「十坂くんまで!?」
だって目に浮かぶんだもん。想像出来ちゃうんだもん。
彼女が食べることが好きなのは、もう言動からわかっていた、というか分かりやす過ぎた。だから、そういう事に拘ってても違和感はない。
「まぁ、そんなことより、とっとと食べよう。せっかくの作りたてが冷めちゃうぞ」
「そうですね!」
川瀬さんのなんと立ち直りの早いこと。鳴穂は慣れているのか、気にした様子はなく、すぐに椅子に座り、自分のオムライスにケチャップをかけ始める。俺と川瀬さんも椅子に座り、自分のオムライスを取る。ポジションはさっきと一緒。
「十坂さんのにもケチャップかけますね」
そう言って鳴穂が俺の前に置いてあるオムライスにケチャップをかけようとすると
「……あっ、まって!」
急に川瀬さんが立ち上がって鳴穂の手を止める。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「………私がかけるっ」
川瀬さんは鳴穂の手からケチャップを取ると、いそいそと俺の側へやってくる。
「………オムライスを作ったのは十坂くんですけど、あのときのお礼を、私がここに書いてもいいですか……?」
ケチャップを両手で握り、顔を伏せて上目遣いでこちらにそう頼み込んでくる彼女。それを見た俺は「うぐっ……」と、いつしかの電話の時と同じ感覚に陥る。
いわゆる、『断れない』というやつだ。
「………お好きにどうぞ……」
「で、ではっ、失礼しますっ……」
そう言って彼女は、俺の前に置かれたオムライスにケチャップで字を書いていく。不意に近づいた彼女からは、鳴穂とは少し異なる甘い香りが漂ってくる。そう、良くない香り(いい意味で)
『ありがとう』
書かれたのは感謝の言葉。俺は結構この言葉をもう川瀬さんからたくさん貰っていたはずなのだけど、当の本人はまだ足りないと思っているのだろうか?
川瀬さんはオムライスにそう書くと、少し戸惑ったような、悩むような顔をする。どうしたんだ?
俺は頭に『?』を浮かべて川瀬さんの行動を見守っていると、何かを決意した彼女は――
――『ありがとう』の隣に小さくハートマークを書いた。
ホントに小さく。
「「「…………」」」
……………可愛いすぎんだろぉぉぉ
俺が内心で身悶ている側で、その原因を作った彼女は、耳先まで真っ赤に染めるのだった。
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