第十三話 川瀬姉妹との勉強会

「おはようございますっ、十坂くん」「おじゃましますです」

 

「おおう………いらっしゃい、二人とも……」

 

 

 今日は、勉強会を約束した翌日………つまりはその約束の日である。

 

 来客を告げる呼び鈴が鳴り、俺が玄関の扉を開けると、そこには私服姿の川瀬さんと、初めて見る顔があった。

 

 初めて目にする川瀬さんの私服は、意外にも、だぼっとした大きめの白のパーカーにデニムパンツといったラフなものだった。しかし、落ち着いた感じに収まったそれは、かえって幼くも見え、さらに、ぴちっと張り付いたデニムパンツが、川瀬さんの美しい脚を艶かしく浮かび上がらせている。そしてそれが、川瀬さんの可愛らしい容体にあいまって、相乗効果シナジーを生んでいた。

 

 

「あのぅ………そんなに見られると、恥ずかしいのですが………」

 

 

 つい、川瀬さんの私服姿に見惚れて、ぽかん、としてしまった俺に、川瀬さんが恥ずかしそうに頬を染める。

 

 

「あ、あぁ、ごめん……………かわいい格好で来たなっと……」

 

 

 そして、本音がポロッと出てしまう俺。お口ゆるゆるです。

 そしてさらにボンッと川瀬さんの顔が朱く染め上がる。

 

 

「かっ、かかかかわっ……!?」

 

 

 俺の発言にあたふたする川瀬さん。すると今度は顔を俯かせ、もじもじとしだす。

 

 

「きっ、今日は十坂くんの髪を切るのでっ、この格好の方がいいかなっと……」

 

「あっ、そうか……ごめん、気を使わせちゃって……」

 

「い、いえっ……、ありがとうございます……」

 

 

 そう言って、少し恥ずかしそうに、さらに顔を俯かせてしまう川瀬さん。私服姿だと、その仕草さえ新鮮に感じる。

 

 

「ちょっと! 朝から私のお姉ち――姉といちゃつかないでもらえますか!」

 

 

 すると横から、ひょこ、と身を乗り出して川瀬さんを守らんとする妹さんが、俺のことを昨日見た川瀬さんのように、がるるっ……! っと睨みつけてくる。さすがは姉妹と言ったところか、振る舞いがまんま川瀬さんだ。

 

 その子はまさに、川瀬さんをそのまま少し小さくした感じの子で、華奢な身体、透き通る様な白い肌に、大きく開いたつぶらな瞳。ただ違うのはその髪型と、川瀬さんより更に控えめな双丘。ツインテール………じゃないか、あれはピッグテールって言うのかな? 簡単に言えば、ツインテールの結んだところが短めの髪型だ。

 そんな彼女は、水色のブラウスに紺のフレアスカートと、梅雨を感じさせるコーデを纏っていた。

 

 

「あっ………ごめんなさい十坂くん。この子がどうしても行きたいって聞かなくって……」

 

「あはは、いや、大丈夫だよ川瀬さん。まさか妹さんまで来るとは思ってなかったけどね」

 

 

 昨日の夜に川瀬さんからのメッセージが届き、なんだろう? と思いながらアプリを立ち上げると

 

『遅くにすみませんっ! 明日の事なのですが……妹が一緒に行きたいと言っているので、連れて行ってもいいですか?』

 

 と言うような内容だったので二つ返事で承諾したのだ。

 

 

「ちょっと! 『川瀬さん』だと私も入るんですけど!!」

 

「……あっ、そっか。ごめん、名前聞いてもいい?」


「……しょうが無いから教えて上げますっ」

 


 妹さんはそう言うと、腰に手を当てて、可愛らしい胸を張る。

 

 

「私は『川瀬かわせ 鳴穂なるほ』、中学二年生です! ここにいる、かわいいお姉ち――姉の妹です!」

 

 

 うん、頑張って『お姉ちゃん』を『姉』に直してるところが、なんかかわいい。思わず頬を緩めそうになってしまうが我慢し、取り敢えず俺もあいさつを返す。

 

 

「俺は十坂 天、よろしく鳴穂さん」

 

 

 しかし、俺がそう答えると、すぅ…と目を細める鳴穂さん。

 

 

「…………なんで『さん』付けなんですか……」

 

「………」

 

 

 思わず目を反らし、冷や汗を流す俺。

 

 ………言えない、俺は女の子を『ちゃん』付けで呼べないなどと……。

 なんか、気恥ずかしいのだ。例えば自分が女の子に向かって『(名前)ちゃん』と呼んでるところを想像してみてほしい、するとなんか気持ち悪く感じてしまう人もいると思う(自分が)。

 

 そう、俺はそういう人間だったのだ。

 

 

「………もしかして、『ちゃん』付けで呼べないんですか?」

 

「(ギクッ!)」

 

 

 そしてまさかの指摘に思わず肩を震わせてしまう俺。

 

 

「………はぁ」

 

 

 うわ! 溜め息つかれた! しかもめっちゃ呆れたような目で俺を見てくる! なんなのこの子! 全然川瀬さんの妹って感じしないんだけど!? なんなら性格真反対だろ!? しょーがないじゃん! 俺、友達いたことないんだから!!

 

 俺が心の中で泣き叫んでいると「しょうが無いですね……」と鳴穂さん。

 

 

「特別に鳴穂って呼ばせてあげます」

 

「え、いいの?」

 

「あっ、そこに躊躇いはないのですね……」

 

「うん。『ちゃん』で呼ぶよりかはマシだし」

  

 

 何故か『ちゃん』付けで呼ぶよりかは気が楽である。

 

 

「……変な人ですね……では、そうしてください、私は気にしないので。というか早く上がらせてくださいっ」

 

「ああ、ごめんごめん。じゃあ改めて、二人ともいらっしゃい」

 

 

 鳴穂さん――いや、鳴穂から名前呼びの許可を得たところで、俺は改めて二人を家へ招き入れた。

 

 

「…………」

 

 

 そして、この時の俺はまだ気づいていなかった。

 

 ――その人の頬が膨らみ始めていることに。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 ――カリカリカリッ、カリカリ。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 ――カリカリッ、カリカリッ。

 

 

「……………あの、思ったのですけど」

 

「ん? どうした鳴穂」

 

「もう躊躇いないですね」

 

「許してくれ。で、どうした? わからないところでもあった?」

 

「……いやなんでうちのお姉ちゃ――姉とそんなにくっついて勉強してるんですかっ!」

 

 

 いや、だって俺がここに座ったらすぐ隣に、ささっと陣取るように川瀬さんが座って来たんだもん。少し距離を取ろうかと腰の位置をずらそうとすると、腕をがっちりホールド。逃げることすら許されませんでした。

 

 俺たちはリビングのカーペットの上に座り、机に各々の課題を広げて勉強をしていた。ちなみに、俺と川瀬さんが隣同士に座り、その向かいに鳴穂が座っている。

 今回のテスト範囲は高校最初のテストと言うこともあり、ほぼ中学で習ったところが出るとのこと。恐らく勉強しなくてもある程度の点数は取れると思うが、やっておいて損はない。というか、今日は川瀬さんの分からないところを教えることが主なので、俺は軽く教科書を読む程度。今は数学の教科書を嗜んでいる。ちなみに得意教科である。

 

 チラリと隣を伺う。左隣に座った川瀬さんも、数学の課題を広げて問題に向き合ってカリカリしていた。

 

 それはいいのだ、それは。ただやっぱり気になるのは、組まれた腕と柔らかく膨れた頬の風船。お互いの腕を組んでいるそれは、俺が左腕、川瀬さんが右腕を組んで机の上に乗せている感じである。しかも、どうやら川瀬さんは左利きらしく、その右手でノートを抑え、左手で式を書いていた。

 はっきり言おう、今回に関してはなんで膨れたかマジで分からない。いや、だって玄関からリビングに通してお茶を出しただけだぜ? 膨れる要素なんてないだろ? なのにいつの間にか膨れてたんだぜ? ある意味怪奇現象。だから今、とても困っている。

 

 こちら側の頬をぷくー、と膨らませている川瀬さんを思わず、ぼーっと眺めていると突然、俺の頭の中に悪魔がやってくる。

 

 

 ――つついちゃえよっ……!

 

 

 そして気づけば俺は人指し指で川瀬さんの頬を突いていた。

 

 

 つんっ。

 

 ぷすーー。

 

 

 膨らんだ風船から空気が抜けていく。すると、川瀬さんがジト目でこちらを見て、また、ぷくーー、とこちら側の頬を膨らましてきたので、俺はまた人指し指で、つんっと突くと今度は、ふにゃ、っと風船が柔らかく歪む。

 

 それが無性に可笑しくなった俺は声を出して笑ってしまった。そのせいで反対側の風船まで、ぷくーっと膨らまし始める川瀬さん。両頬を膨らませるその姿はまるで、ひまわりの種を詰め込んだハムスターみたいだ。俺が笑ったことにご不満の様子。

 

 そこでふと、昨日の最後の事を思い出す。なんで頬を膨らませていたかは分からないが、こういうときの香織さんには効果覿面こうかてきめんなので、ものは試しと川瀬さんの頭に手を伸ばし、優しく撫でてみる。

 

 毎日髪への手入れに手を抜いていないのか、川瀬さんの髪はツヤツヤで、驚くほど指通りが良い。もはや髪を触っている感覚が無いほどだった。

 

 川瀬さんの髪を堪能しつつ、整えるように頭を撫で続けていると、川瀬さんのムスッとした顔が、ふにゃぁ…ととろけるように崩れ始める。風船も次第に萎んでいき、嬉しそうな表情になる。そして、それが今度は、耳垂らして尻尾を振る子犬のように見えてしまう。

 

 それを見た俺は、思わず口元を手で覆い隠し、目を反らす――。

 

 

 なにこの子、めっちゃかわいいんだけど。

 

 

 口元のニヤけが止まらない、そんなだらしない顔を川瀬さんに見られるわけにはいかなかった。ただ、今感じているのは幸せのそれで――。

 

 

「――なんでそんなナチュラルに私のお姉ちゃんといちゃいちゃしてるんですか!?」

 

 

 そして突然叫びだした鳴穂の声は、絶叫に近い、まるでおかしい物を見たような声だった。

 

 

 

 

 

 ✤Side鳴穂✤


 

 なんですかっ、なんなんですかっ! あの人たちは!!

 

 

 私達は十坂さんの家のリビングで勉強をしていました。やっと勉強が始まったので、勉強しつつ、十坂さんがどんな人か見定めようと、チラチラ二人の様子を窺っていたのですが………

 

 なんであの二人、会って数日のはずなのにこんなにイチャつけるのですかっ!!

 

 しかも、腕を組みにいったのは、うちのお姉ちゃんの方からでした。私は今まで見たことのないお姉ちゃんの行動や表情に驚きや戸惑いが隠せません。ぷくーっと膨らませている頬には思わず魅入ってしまいました。かわいい………

 

 

 ………ってそうじゃなくてっ!!

 

 

 少なくとも、姉妹の私から見て、今のお姉ちゃんは少し――いえ、かなりです。イレギュラーです。

 流石に急接近しすぎているとしか言いようがありませんっ! 普通、女の子は気になる人や、気を許した人にしか身体を接触させようとしません。当たり前です。

 

 でも、お姉ちゃんはまるで、とでも言うかのように十坂さんに接近していました。そして、あの甘い表情……。

 

 

 ………もしかして、お姉ちゃんは………。

 

 

 ――私はお姉ちゃんの過去を甘く見ていたのかもしれません。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 

 ☆天☆

 

 勉強会を始めてから二時間後、現在十一時半。そろそろ昼飯の準備を始めたほうが良さそうなので、川瀬さんへの解説をきりの良いところで中断する。

 

 

「ごめん川瀬さん、そろそろお昼の準備をしてくるよ」

 

「あっ……分かりましたっ! それまで一人で頑張りますっ……! (おむらいすっ……!)」

 

 

 楽しみにしてくれているのか、こちらを向いて敬礼してくる川瀬さん。もう先程の風船は何処にも見当たらない。それどころか、俺のなでなでをこれからもするように頼まれた。

 しかし何故だろう、敬礼する川瀬さんから、見えないはずのよだれが口から垂れているように見えてしまう。いや、垂れてないんだけどね?

 

 俺は立ち上がり、お昼の準備をするためキッチンへと向かおうとすると

 

 

「十坂さん、私もお手伝いします」

 

 

 と鳴穂が言ってきた。

 

 

「え、いや、いいよいいよ。勉強に一区切りついたなら休んでて」

 

「いえ、私の急な申し出に答えて下さったんです、お手伝いくらいさせてくださいよ」

 

 

 それはきっと、今日いきなり来たことだろう。しかし、連絡は貰っていたし、そら的には気にしていなかった。でもまぁ、鳴穂が気にしているみたいだから、手伝って貰おうかな。川瀬さんの弁当は鳴穂が作っているみたいだし。

 

 

「わかった、じゃあ手伝って貰おうかな」

 

「了解です」

 

「あっ……! ちょっと鳴穂っ、今日の私は十坂くんのオムライスを食べたいんだから手は出さないでよっ!」

 

「分かってるよ〜お姉ちゃん。簡単なお仕事を手伝うだけだから。………それに」

 

 

 そして鳴穂は俺を見据えると――。

 

 

「――ちょっと十坂さんと二人でお話ししたいな、って思ってたところだし」

 

 

 そう、俺にだけ聞こえる声で言ってきたのだった。

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