第一話〈あの日〉✾Side詩✾
私にとっての〈あの日〉は、色褪せた私の世界に、ぽとんっ、と一滴、水彩絵の具を零してしまったかの様に、あっという間に染まってしまった。
いや、色づいたのは、その時だけではなく、〈あの日〉からずっと、私の世界はキラキラ輝いているかのようだ。
浮かれすぎている。そう思われるかもしれない、だが本当のこと。なにせ、初めてなのだ、こんな気持ちになるのは。
――中学の時である。
その頃から私は学校で、美人だなんだともてはやされ、ほぼ毎日のように男子からのアプローチや告白などを受けてきた。
話したことのない相手、目に見えるお節介、時には後をつけられることもあった。
私は怖かった。そんな、『偽りの私』しか見ていない周りが、『本当の私』を出せないでいる自分が。
ただ、噂だけの『高嶺の花の川瀬さん』『料理もきっと上手な川瀬さん』『勉強もしっかりしてそうな川瀬さん』になってしまう。
私は嫌だった。私はそんな人は知らない、本当の私は可愛げだってないし、料理もできないし、勉強だって苦手だ。
そんな噂もあってか、私は周りの女の子達の愚痴が聞こえたり、間接的に嫌がらせ受けたりした。
仲良くしていた女の子とも、距離を取られるようになってしまった。
私を支えてくれる人なんていなかった。
なんで、こんなことになったんだろう。私はただ、穏やかな学校生活をおくりたかっただけなのに。
私には、それすら叶わなかった。
高校に入っても、それは変わらなかった。
なんなら中学の時と同じ流れすぎて、吐き気がした。嫌な過去をなぞられる恐怖、わかっている結末。
もう、色々限界だった。
しかし〈あの日〉、そんな私のキャンバスに、水彩絵の具を垂らした彼は、『偽りの私』と関わりを持ちたくない、と言った。
そのとき、私は心の底から舞い上がった。
彼ならば『本当の私』を見つけてくれるかもしれない、そう思った。
気づけば私は、彼の垂らした絵の具で、【初恋】を
☆★☆
『今日の放課後、体育館裏に来てください、大切なお話があります』
「…………」
まるで何通目かも分からない手紙が、今日もまた、私の下駄箱に舞い込んでいた。
六月上旬。
最近降り始めた雨は、なかなか止まず、まるで私の心を表しているようで、少し同情した。
しかし、放課後になると雨は止みはしたが、雲は掛かったままで晴れはしなかった。
………少し、裏切られた気持ちになった。
そんな重い気持ちで足をすすめ、体育館裏へ行く。放課後に何回呼び出されたか分からない。気分は先生に呼び出された職員室である。少し、面倒くさく思ってしまっていた。
体育館裏につくと、まだ誰も来ていなかったことに安堵する。歩をすすめ、壁のあるところまでやってくると、腰を下ろして体育座りをした。上には雨よけがついているので、コンクリの上は濡れていなかった。
膝に顔を埋め、曇ったままの空を見つめる。青い空を覆い隠す雲も、私みたいだな、と結局そう思った。
視線をもとに戻し、意味もなく周りに彷徨わせていると、近くに鍵が落ちていることに気がついた。
誰のだろう? と手を伸ばしかけた、そのとき。
二人分の足音が近づいてくるのが聞こえて、手を引っ込め、目線を前に戻すと、そこには二人の男が立っていた。
慌てて立ち上がりスカートを、ぱんぱんっ、と叩くと、笑顔をだす。
「あの……なにか御用でしょうか?」
「くへへ………今日は呼び出しに応えてくれてありがとう、川瀬さん!」
「え……?」
思わず聞き返す。私はてっきり、告白だとばかり思っていた。驚いて固まっていると、もう一人の男が近づいてきて、顔を覗き込んでくる。
「あれれ〜? 何を期待してたのかなぁ? ま、そんなのはどうでもいいや、それよりも………さ……」
男は私を下から上へとジロジロ舐め回すかのように見つめてきたあと、にたぁ、と気色の悪い笑みを浮べ……
「俺らとさ………楽しくて、気持ちいいことしようか?」
それを聞いた途端、悪寒が走る。身体が震え、恐怖心に駆られる。
「っ…………やめてください!」
そう言って断っても、男たちはただ、笑うだけ。それどころか男は「えー、いいじゃんかよー」と軽い調子で言い、私の肩に手を置いてくる。いきなりの接触に心臓が跳ね、先の恐怖心が更に増す。
「大丈夫だよ川瀬さん、ちょっと俺らと気持ちいいことするだけだからさー」
「…っ。 わ、私はこれから、用事があるので、失礼しますっ…」
咄嗟に誤魔化して、肩に置かれた手を払い退けて、その場を去ろうとするも、その手が肩から離れない。それどころか力を増して、私を壁へと押さえつけてきた。
背中に受けた衝撃に「うっ……」と声が漏れる。あまりの痛みに、少し目眩がした。そして、そんな状態で、彼らを見てしまった。
私を押さえつけてまで、彼らはニタニタと
全身が震え始める。ここからは逃げられない、そう悟る。分かった途端、目が霞んでくる。
男たちは、そんな私を気にすることもなく――いや、寧ろ更に嬉しそうに眺めてくる。
「ダイジョブ、ダイジョブ。 俺たちに任せとけば、気持ちよくなれるから……な?」
そう、もう一人の男が言って、私の制服へと手を伸ばしてくる、もう一人の男も同様に。
「う…、ぁ………」
私の頬に雫が伝わる。もう、何も考えれなくなっていた。この先の事なんて、考えたくもない。
もう、私に自由なんて、来ないんだ。
――そう、絶望したときだった。
とんっ、と一人の男の肩に、いきなり手が現れる。
「―んぁ…? ………!?」
男が声にならない悲鳴を上げる。そして、気づけば男は左へと吹き飛んでいた。
――えっ………?
私は視線を前へと戻す、そして、見てしまった。
いつの間にか、そこに現れた男子生徒の顔は、とても険しく、恐ろしかった。
その男子生徒が現れてからは、あっという間にことがすんでしまった。
特に、最後のメリケンの攻撃の時なんて、何が起こったか分からなかった。
男が男子生徒へと拳を振り下ろしていたときには、すでに男子生徒は男の後ろに立っていた。
私は魔法でも見たかのような感覚になった。
やられた男たちは逃げていき、男子生徒が私の方に顔を向けてくる。
私は感謝を伝えようとしたが、咄嗟のことで言葉が出ず、ペコッ、と頭を下げただけになってしまう。
そんな私を見て、彼は少し困った表情で小さく溜め息をついた。その顔からはさっきの様な恐ろしさは感じられない。寧ろ、とても優しそうな顔立ちをしている。
嫌われたかな……?
少し心配になった。
すると彼は、スタスタとこちらに向かって歩き出してくる。予想外のことに私は少しあたふたとしてしまう。
しかし、彼は私には見向きもせず横を通り過ぎ、近くにあった鍵を拾った。
私はドキッ、とした。なんとなく、運命的なものを感じた。
彼は目的を果たしたような顔をすると、私に背中を向け、この場を立ち去ろうとする。
――まって!
「あのっ……!」
気づけば声が出ていた。私の言葉に、彼が振り返る。私はもう逃げ出さないと覚悟を決め、スカートをぎゅっと握る。
「あの……、あ、ありがとうござ――」
「別に、感謝してほしくてやった訳じゃない」
少し冷たい声で言う彼に、私は驚く。今まで、私に対してそんな事を言う男の人に合ったことがなかったからだ。
「俺はああいう、力が自分より劣るやつに、上から目線で腕を上げる奴が大嫌いなんだ。ただそれが許せなかっただけだよ」
きっとその言葉は本当なんだろう、実際、彼はそんな顔をしていた。あれは私を思ってではなく、彼らの行動に激怒している感じであった。でも。
「でっ、でも……私も実際助けてもらってますし、こっ、今度改めてお礼を」
「それはやめてくれ」
「…え、…でも」
「君はあの『川瀬 詩』さんだろ?」
「……そう、ですけど…」
「有名人と関わりを持つのはゴメンだ」
「……っ」
彼は私と関わりたくない、ときっぱり言った。いや、有名人だから『偽りの私』と関わりたくないのだろう。
……彼なら、『本当の私』を、見つけてくれるのだろうか?
しばらくすると、また彼は「はぁ…」と息をついた。そして踵を返してしまう。
――あっ、まって!
まだ、話したいことがあるのに、声が出なかった。なんで、いつも私の思い通りいかないのだろう。酷く悔やんだ、が、彼が帰ることはなかった。
彼は壁に立て掛けてあったスマホを回収すると、再びこちらへ戻ってくる。そして、そのスマホを私へと差し出す。
「……この動画、どうするかは君が決めて」
「……えっ」
反射でスマホを受け取ってしまうも、予想外の言葉に戸惑っていると、彼が察したのか
「俺がその動画、持ってても意味ないし、川瀬さんも俺が持ってたら嫌でしょ、だからその動画の処理は君にまかせる」
と、言ってくる。
とても優しい人だ、ただそのことだけが私の心の中をぐるぐる周り、ぽかぽかと暖かい気持ちにさせてくれる。
そう、動画のことなんてどうでも良かった……いや、それは普通の理由ではの話。
私はこの動画が、彼と出会えたきっかけとして、欲しかった。
そして、いい事を思いつく。しかし、彼は納得してくれるだろうか。
少し迷ったが、自分のスマホを取り出して「あの……」と彼へ声をかける。
「なに?」
「……動画、持っておきたいので……その……連絡先、交換してもらってもいいでしょうか……?」
彼は少し考えこんでから
「……そうしたいのなら、…どうぞ」
と言った。
「あっ、ありがとうございますっ……」
彼の優しさに、思わず顔が綻んでしまった、が今更隠せなかったし余裕がなかった。
私は彼のスマホと私のスマホを交互に操作し、連絡先を交換する。彼はそんな私をじっと見つめてくる。
連絡先を交換し終えて、動画を送ってから彼へとスマホを返した。
私は、自分のスマホに追加された新しい名前に目を向ける。
……なんて読むんだろう?
「……えっと……お名前…なんて読むんですか?」
そう言って、私はスマホを彼へと見せる。すると、彼は苦笑したあとに
「……『十坂 天』、それが俺の名前だ」
そう答えた。
いつの間にか雲の間から太陽が覗いていて、私達を照らしていた。
そして同時に、私の心の雲も晴れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます