色づき始めた世界

第一話〈あの日〉

高校に受かって、入学式を終えて、少しずつ学校に慣れ始めているクラスに一人、黙々と本を読んでいる人間がいる。

 

 俺は、よく一人の時間を好んでいた。『マイペース』であると自負している。自分が主軸の時間は孤独の証。俺にはそれが心地良かった。

 先生が教室に入ってきて、授業が始まる。六月の上旬、思い出したように今年もやってきた梅雨の時期。

 雨は好きである。雰囲気もそうだし、なにより雨に打たれていると孤独感がまして、とても落ち着く。今日も帰りに近くの公園で黄昏ようかな。

 

 窓側の席で、元気のない空を見つめながら、そんなことを考える。黒板の前で先生が一生懸命、数学の説明をしているが、声が小さいのと、外の雨の音のせいで上手く聞き取れない。仕方ないので、雨の音の方に意識を集中させる。すると、心地良く耳を打つ雨の音に、重くなっていた瞼に力が入らなくなっていき――

 こんな日も、悪くないな。そう思いながら、俺の意識は遠のいていった。

 

 

 ☆★☆



 本日最後の授業を終え、先生が教卓で明日の連絡をしているが、やはり雨の音のせいで聞こえない。教師なのだから、もう少しはきはきと喋ってほしいものである。

 

 連絡を終えたらしい先生が、教室から出ていくと、「おわったー!」「よっし、カラオケいこうぜー!」「ばいばーい、また明日!」なんて声が上がり始め、みんな教室から出ていく。

 俺も荷物をまとめて席を立つ、リュックを背負ってポケットに手を突っ込んで教室を出ようとすると…、そこにあるはずの物がなくなっているのに気がつく。


 

 ――アパートの鍵がない。


 

 どこかで落としてしまったらしい。しかし、あまり困ることはなかった。なぜなら、俺の行動範囲がとても狭いから。登下校と休み時間、極稀に図書室に行く程度、今日は行っていない。となると……


 

「あそこか…」


 

 俺は昼休みの時だけ、体育館裏―誰も来ない場所で昼食をとる。食事のときだけは静かに食べたい、何より、あそこは日当たりが具合が絶妙なのだ、あの場所で昼食後の読書はとても心地良く、気に入っていた。鍵を落としたならあそこだろう。

 俺は足をまっすぐ、体育館裏へと向かわせた。

 

 

 ☆★☆

 


 外に出ると、雨はやんでいたが、空に雲は掛かったままだった。おそらく、はやく降ってきてくれ、なんて願っているのは俺だけなのだろう。


 

 「……ん?」



 そんなことを思いながら、俺は体育館裏へ向かっていると、そこへ差し掛かる途中の角で、先に人の気配を感じ取り、こっそり角から覗き込むと。


 

 「……やめてください!」


 

 そこでは二人の男子がこちらに背を向け、一人の女子を壁際に立たせ、迫る感じで女子を見下ろしていた。

 そういえば、昼は誰も来ないから忘れていたけど、ここは放課後、告白スポットなるものになるんだっけ…? でも、あれはあきらかにそーゆー雰囲気ではない。というか男ふたりだし。


 そんなことを思いながら見ていると、一人の男が女の子の肩を掴み「えー、いいじゃんかよー」と軽い調子で言う。


 

「大丈夫だよ川瀬さん、ちょっと俺らと気持ちいいことするだけだからさー」


「……っ。 わ、私はこれから、用事があるので、失礼しますっ…」 


 

 そういって、女の子が立ち去ろうとするが、男が肩に置いた手が離れない、それどころか更に一層、力を強くし、女の子を壁に押さえつける。

 「うっ…」と、少しキツそうな顔をし、女の子は男達の方を向いて、今にも泣きそうな顔をした。


 

「ダイジョブ、ダイジョブ。 俺たちに任せとけば、気持ちよくなれるから……な?」


 

 そう言って、男達は女子の制服に手をかけ始めた。おそらく、ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべているに違いない。


 

「う…、ぁ………」


 

 女の子が、絶望の声を上げる。

 しかし、男達が彼女の制服を脱がせることは出来なかった。

 ……さすがに、こちらの限界も、超えていた。

 

 その時すでに俺は、男達のをとっていた。一切、気づかれずに――。

 

 俺は、片方の男の肩に、とんっ、っと手をかける。


 

 「――んぁ……? ………!?」


 

 男は現場を目撃されたせいなのか、声にならない悲鳴を上げかけるが、その時にはすでに、俺の蹴りが、居合い切りの如く、振りぬかれていた。


 

 「……うぎゃっ!!?」


 

 狙ったのは、脚。完全な不意打ちで、防御力ゼロのところに全力のスタン攻撃を決め込む、俺はそんなに戦える訳ではないが、不意打ちとなれば別であろう。実際、攻撃を受けた本人は、脚を抱え、痛みに悶ていた。


 

 「――っな! ……お前、よくもっ!」


 

 呆気に取られていたもう片方の仲間は、こちらをギンッと睨んでくる。すると…


 

「……なぁ、お前から手ぇ上げてきたよな……? これって相当やばいんじゃね……?」


 

 男は、今度は挑発的にこちらをニヤニヤし始めるが……それも対策済みだ。


 

「じゃあ、お前らは……あそこの角にある物……見えるか?」


 

 男達は不思議そうな顔をすると、二人同時にそちらを見て――凍りついた。

 

 そこには、俺が先程仕掛けたスマホが、角に立て掛けてあり、カメラだけがこちらを覗いているのが見えた。

 もちろん、録画モードだ。


 

「……っっ!! お前ぇ、よくもっ!!!」


 

 挑発してきた男は、立ち直ると、より一層をギンッと睨み、こちらに向かって、腕を振りかざして―。

 

 おいまて、予備動作でかすぎんだろ。そんなもん誰でも避けれるわ。

 

 男が放った拳を受け流し、手首を掴むと、それをクルッン、と外側に向けさせる。


 

「……いでぇっ!?」


 

 そして、そのまま男を引き寄せ、近距離でこちらの拳をみぞおちに振り抜く。


 

「……ぐふぅ!?」


 

 男は両膝を折り、腹を抱え悶える。これに比べれば、先程の男の脚の痛みは、まだ軽いほうだろう。

 

 そう思いながら振り返ると、そこに脚を抱えて蹲る男は居なくなっていた。

 すると、女の子と目が合う。女の子は目尻に涙を貯めながら肩を震わせ――しかし、必死に何かを伝えようと、震える指で、ある方向を指す。そちらを向くと、男が脚を引きずりながら必死に走り、スマホへと向かって居るのが見えた。


 あいつっ……! 無駄に根性のあるやつだなっ……!


 

「おいっ、まてっ!」


 

 俺はすぐ、その背中を追いかけ、肩を掴もうと手を伸ばす。

 

 ――瞬間。


 

「……うぅっ!! らぁっ!!」


 

 男はいきなりこちらを振り向き、拳をふってきた、しかも、その手に握られているのは……メリケン


 

「……あ、危ないっ!!」


 

 女の子の悲鳴にも近い声が聞こえるが、俺はその攻撃が予測出来ていた。

  

 なぜなら、男が脚を引きずっているため、こちらを振り向く予備動作が大きくなっていたことと、更には、脚がつかえず、腰を入れることが出来ないため、速度が遅く、攻撃力が乗っていなかったから。

 

 その行動には簡単に対処出来た。


 

「……ふっ!」


 

 小さく息を吹き、相手の繰り出した拳をギリギリで下に避ける。速度が遅いとはいえ、手の届く距離。だが問題はない。


 俺はそのまま、相手の懐に忍び込み、相手の振り抜いた腕の脇を狙って手刀を振り抜いた。


 

「……ぐぅうっ!!」


 

 しっかり吸い込まれるように叩き込まれた手刀は、脇から肩に掛けてダメージを負わせる。相手は、無理やり走ったのと、振り向いたので脚をフラつかせ、結局、地面に倒れた。


 

「……ふぅ」


 

 手を振って、こっちに来た痛みを払うと、後ろを振り向き、もう一人の男の方を見る。すると、こちらを見ていた男は、「……ひぃっ!?」と声を上げると…


 

「お……、覚えてろっ!」


 

 と言って、蹲っているもう一人の男を担いて逃げていった。

 まったく、面倒なことになったもんだな。

 そう思いながら、彼女に目を向ける。

 女の子はしばらく呆然としていたが、はっ、となるとペコッ、と頭を下げた。

 

 それを見た俺は、はぁ、とまた息を吐く。すると、彼女の隣の方に、鈍く光る本来の目的の物を見つける。


 俺の彼女ほうに歩を進め、隣あたりで腰を下ろして、それを拾う。

 目的を果たした俺は、今度こそ帰ろうと立ち上がり、体育館裏を後にしようとしたところで、「あのっ……!」と声がかけられる。


 振り返り彼女の方を見ると、スカートの前をぎゅっ、と握って、少し震えながらこちらを見ていた。


 

「あの……あ、ありがとうござ――」


「別に、感謝してほしくてやった訳じゃない」


 

 彼女の感謝に対して、俺はそう冷たく言い放つ。彼女は驚いた顔をするが、こっちにも理由がある。


 

「俺はああいう、力が自分より劣るやつに、上から目線で腕を上げる奴が大嫌いなんだ。ただそれが許せなかっただけだよ」


「でっ、でも……私も実際助けてもらってますし、こっ、今度改めてお礼を」


「それはやめてくれ」


「……え、……でも」


「君はあの『川瀬 詩』さんだろ?」


「……そう、ですけど…」


「有名人と関わりを持つのはゴメンだ」


「……っ」


 

 ――それは、彼女が学校一の美少女と名高い、『川瀬かわせ うた』だったからだ。

 

 学校一であれば、学校にいるだけで、いやでも噂を耳にする。そして、さっきの男は彼女の事を川瀬さん、と呼んだ。川瀬という名で、身につけているリボンは俺たち一年生の色である青。おまけに可愛いと言う点から俺は彼女が川瀬 詩だと推測したのだ。実際、始めて彼女を目にして、とても整っている可愛らしい子だと思った。


 肩の高さで切り揃えられた髪に、男心を擽られる栗色の瞳。一般的な女子と比べれば少し低く感じる身長に、控えめにのる双丘は、もはや美しく感じてしまう。

 

 それ以外にも、彼女の噂を聞いたような気もするが、あまり覚えていない。ただ言えるのは、その『学校一の美少女』という噂になるほど、と納得したことだった。

 

 そんな彼女と関わりを持ってしまうと、周りからどんな目で見られるか、どんな噂をされるか分からない。だから断ったが、問題は解決していない。それは、あの男どもに顔を覚えられたこと。はっきり言って、何だか嫌な予感がする。


 …まったく、俺は穏やかに高校生活を送りたかったんだがなぁ…。

 俺は再び、「はぁ……」と息をつく。ため息をすれば、幸せが逃げるとよく言われるが、ため息には身体を落ち着かせる効果があるらしい。実際、ため息をつくと、少し胸が軽くなる。


 俺はもう一度、黙り込んでしまった彼女に背を向け、歩き出だす。そして、角に立てかけてあったスマホを回収し、もう一度彼女の前に戻ると、そのスマホを彼女に差し出した。


 

「……この動画、どうするかは君が決めて」


「……えっ」

 


 彼女はスマホを受け取り、不思議そうな顔をする。伝わってなかったかな。


 

「俺がその動画、持ってても意味ないし、川瀬さんも俺が持ってたら嫌でしょ、だからその動画の処理は君にまかせる」

 


 そう言うと、納得したのか、俺のスマホをじっと見つめ始める。

 しばらくすると、自分のスマホを取り出して、「あの……」と川瀬さんが上目遣いに少し聞きにくそうに声をかけてくる。


 

「なに?」


「……動画、持っておきたいので……その……連絡先、交換してもらってもいいでしょうか……?」


 

 ……あー、そうなるのか…。

 俺が関わりを持ちたくないと言ったために聞きにくかったのかもしれない、いやそうなのだろう。まぁ、こっちも、処理方法は彼女に任せているので、自由にさせる。これはしょうがないだろう。


 

「……そうしたいのなら、……どうぞ」


「あっ、ありがとうございますっ……」


 

 まさかの形で、学校一の美少女の連絡先を知ることになってしまった俺。

 彼女は、手慣れた手付きで二つスマホを操作し、連絡先を交換し始める。何故かはしらないが少し、嬉しそうである。


 しばらくすると、俺のスマホが返ってくる。アプリの連絡先のところには『うた』の名前が追加されていた。


 

「……えっと……お名前…なんて読むんですか?」


 

 彼女がスマホ画面をこちらに向けそう訪ねてくる。そこには新しく追加された俺の名前が書いてあった。


 

「…『十坂とさか そら』、それが俺の名前だ」


 

 雲行きが怪しかった空からは、いつの間にか太陽が覗いていた。

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