親孝行をしたいときにはもういない

@x_yusk_x

親孝行をしたいときにはもういない

 ある日の昼頃、父が駄菓子屋に連れて行ってくれたことがあった。僕はそのとき小学6年生だっただろうか、現代の人にとってはもは古語に聞こえる駄菓子屋だか、家の近くにある駄菓子屋は店員が柔らかな目をしたおばあちゃんなわけでもなく、夏を感じさせるような古い木造の建物なわけでもなく、いかにも昔にやんちゃしていた兄ちゃんが更生して開きました、といわんばかりの綺麗でなんの歴史もないようなお店だった。

 もう小学6年生だった僕は、放課後に友達とその駄菓子屋にマジックテープの財布に小銭を入れてよく走って通っていた。そんな中、小学校高学年になってまでも、父と近所の小学生が集まる駄菓子屋に入ることを億劫に思いながら父が運転する車に乗って駄菓子屋に向かった。しかし、父が運転している車は自分がいつも駄菓子屋に向かっている道とは逆の方向を走っていた。五分ぐらいして着いたのは、まさにこれが駄菓子屋だ、と言いたくなるような、木造建築の狭い店の中にお婆ちゃんがテレビを見ながら座っている駄菓子屋だった。

 初めてくる店に少し小学生ながらに躊躇していた僕を横目に、父はまるで自分の家に帰るかのような軽い足取りで入っていった。その背中に隠れるように入ってみると想像通りの古い駄菓子屋であることになぜか安堵してしまった、いつも通っている駄菓子屋では端に追いやられているものがここでは、これが一番といわんばかりに目に入ってきた。

しかし、ここで自分が思い出に残っているのは駄菓子屋のお婆ちゃんでもなく食べたことのない駄菓子の味でもなく、父のことだった。

 父は歳関係なく、外で出会う人には敬語を使う人腰の低いだった。でもその日は駄菓子屋のお婆ちゃんに対してはタメ口どころかまるで長年一緒に生活してきた親に話しかけるように駄菓子屋の店主に話しかけていたのを鮮明に覚えている。

「ばあちゃん、これいくら?」

「最近はお客さん来てる?」

ばあちゃん、この言葉は自然に感じるだろうが僕にとっては、おばあちゃん、の”お”をつけないことが引っかかっていたぐらい、父の言動がいつもと違うのを感じていた。なんだかんだしていつもより少し奮発した金額だった400円程度の駄菓子を買って帰った、その帰りの車の中で父は

「親孝行をしたいときにはもういない」

と助手席にいる僕を見ながらではなく、真っ直ぐと青になった信号機を見ながら言った。本当にこの言い方そのままだった、まるで小説か漫画のセリフのように見える文だが、一語一句そのまま覚えている。

 今思うとあの時の父は亡くなった僕にとっての祖母、父にとっての母に向けていた口調と態度だったのかもしれない。その後何度かその駄菓子屋に行くようになり、よく行く駄菓子屋が二つに増えた僕は中学生になっていた。久しぶりに駄菓子屋のお婆ちゃんの顔を見てみようと自転車に乗って行ってみると、入り口の戸は閉まっていて、僕はもうここの戸は開くことはないのだろうと直感した。

 最近21歳になって大学の近くで一人暮らしをはじめた僕は、近くの住宅街を散歩していると文房具屋と一緒になった懐かしさをもった駄菓子屋を見つけた。そのおかげで、この父と駄菓子屋のおばあちゃんの思い出が脳の奥の棚から落ちて来たのかもしれない。僕はその駄菓子屋には入らず、

おもむろにズボンのポケットからスマホを取り出し両親がいるLINEのグループに

「近々ご飯食べに帰る」

とだけメッセージを送った。

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