何かの騒ぐ声で、私は夢の世界から覚醒しました。何ごと?。

 見ると、ルフランが私の分身を拘束し、注射を打っていました。

「ぎゃぁぁ! 注射は苦手なんですぅぅ!」「え? 次は私の番ではないですか! 嫌だぁぁ!」「もう駄目です……お終いです!」「注射を打たれました……もうお嫁に行けない……」

「エレナ達、うるさいですよ! 本体が起きちゃうじゃないですか!」

 ……もう起きてまーす。

 と言うか私が注射嫌いな事は今まで触れて来なかったのに……よもや私達にバラされるとは。

「私ぃぃ! 起きてぇぇ! 助けてぇぇ! 待って待って待って、ぎゃぁぁ!」

「…………………………………………」私達の犠牲は次の夕飯まで忘れません。

 この後、ルフランが満足するまで注射を打たれた私達は、泣きながら私の体の中に戻っていくのでした。……いや、何してたん?。

 さて、私達の事はどうでもいいのです。薬の完成状況はどうなのでしょうか?。

 私は起き上がって背中を伸ばすと、嬉しそうに液体の入った複数の瓶を眺めるルフランに声を掛けました。

「薬の完成状況は?」

「おはよう、エレナ……もう夜だけど」

 マジですか。

「それより見てくださいよ! この薬の数を!」

 そう言ってルフランが見せてきたのは、100個近い数の液体が入った瓶でした。

「これ……全部が薬なのですか!?」

 私の問いに頷きながら「エレナの分身から良い魔力を抜き出せましたからね、安心して使えました」と、ルフランは語ります。先程の注射は魔力を抜き取っていたのですか……。

 と言うかあの程度の魔力で良かったのでしょうか? 分身には10分の1しか魔力を与えていないのですけど。……まぁ分母が多過ぎて死に掛けましたが。

「後は明日まで寝かせれば、薬の完成です!」

「飲み薬なのですか?」私は聞きます。

「喉にウイルスが居ますからね、飲み薬の方が良いんですよ」

「へぇー」

 まぁ何はともあれ、薬が無事に完成した私達は、少し豪華な夕飯を食べて喜び合いました。

 そしてお風呂を済ませて時計塔の上まで登ってきた私達は、星空を眺めながら夜風に当たるのでした。

「良かったのですか? 魔法を使って飛んでしまって」

 私の問いにルフランは笑顔で頷きます。

「薬は完成したんです、今更魔法を使おうと問題は無いですよ」

「……それもそうですね」

 クスクスと笑い合った私達は、何をするでも無く夜空を眺め続けます。魔法を使ったので喉がイガイガしますが、今は達成感で清々しい気分です。

「皆、喜んでくれますかね?」ルフランが空を見上げたまま聞いてきます。

「当たり前ですよ、死なずに済むのですから」

 称賛はされど、恨まれる事は無い、私がそう言うと、ルフランは満足そうな笑みを浮かべて「そっか」と言い、目を閉じました。

 それからの私達は会話も無く、体が冷めるまで夜風を満喫してから教会に戻っていくのでした。


 教会に戻った後、寝る支度を済ませた私の傍にルフランが寄ってきました。枕を持って。

「エレナ……」

「ふふ、どうぞ」

 彼女の思いを察した私は、掛け布団を広げて私の隣をポンポン、と叩きました。

 嬉しそうな笑みを浮かべるルフランは、飛び込む様にして私の隣に入ってきます。今までと雰囲気が違うのは、使命感から解放されたからなのでしょう。今の方が女の子らしくて可愛いです。

「手、繋ぎます?」私は聞きます。

「うん、繋ぐ」

 そう言ったルフランは、手を繋ぎながら私を抱きしめてたのです。しかし何故か彼女の体は震えていて、涙を流していました。

「……ルフラン?」

「もっと……早くに完成すれば、お父さんとお母さんは助かったのかな……?」

「…………」

「数日早くエレナが村に来ていれば……妹も死ななかったのかな……?」

「…………」

 私は、何も言えませんでした。

 この村に来たのは偶然で、数日早く村に私が到着していたとしても、ルフランの妹も両親も、きっと助けられなかったのでしょうから。

 でも、その事を口にする勇気が……きっと本人も分かりきってるであろう残酷な答えを言う度胸が、私に無かったのです。

 何も言えない代わりに、私はルフランを強く抱きしめました。苦しい程に強く、強く。

 ルフランも私の事を強く抱き返しながら、涙声で口を開きました。

「私、本当は医者でも墓守でも無かったんです。この教会のシスターでした」

「聖女様ですね」

「そんな大層なもんじゃ無いですよ。村の人の悩みを聞き、祈りを捧げる事しか出来ない……何の意味も無い職です」

「祈りは奇跡なのですから、意味が無いという事は無いですよ」

「でも、祈ってもお父さんもお母さんも死んじゃったんです。風土病は止まらずに悪化したんです!」

「…………」

「風土病が悪化した頃、この教会は病人で溢れ返りました。病院のベットが足りずに」

「……そう」

「私に出来る事は、苦しむ彼等に寄り添う事だけ。少しでも安らげる様にするだけでした。でも……それは救いにならなかった」

「そうですかね? 私には救われてると感じますが」

 ルフランは大きく首を横に振ります。

「死の運命から逃れられないんです。いくら皆の為に祈ろうが、どれだけ傍で安らぎを与えようが、結局は死ぬんです。それじゃ……気持ちが休まる訳がない」

「…………」

 きっと、否定しようと思えば、ルフランの言葉を全て否定出来ると思います。それに彼女も、私が否定するのを望んで自虐的な事を言うのかもしれません。でも、私は何も言わずに、否定する事無く彼女の言葉を聞き、頷きながら頭を撫でるだけでした。

「私はシスターの役職は好きでした、皆に希望を与えられる聖女は子供の頃からの憧れでした。でも、実際は誰も救えない事が分かってしまったんです。だから私は、お爺ちゃんの傍で助手をしながら、苦しむ人達を介護する道に進んだんです」

「はい……」

「でも、どれだけ解剖しても風土病の原因を特定出来なかった。いたずらに死んだ人を切り刻むだけだった。私は……誰にも傷付いてほしくないのに!」

「…………」

 ……解剖を嫌がったのは、そう言った理由があったのですね。

「そんな時でした、妹が風土病を発症して苦しみだしたんです。私は妹だけは失いたくなかったんで、自力で薬の開発に乗り出しました。でも……妹はっ!」

 辛いなら、話さなくても良い。そう言ってあげたかったのですが、きっと今までの小さい体に溜め込み過ぎた、大きな思いを吐き出さなければ、彼女は潰れてしまう。そう思い、私は口から出そうになった言葉を呑み込みました。

「絶望に暮れた私は、妹を埋めてあげる為だけに墓守になりました。でも……大好きな妹を土に埋めるのは辛かった!。私も妹を抱いて一緒に死にたいと思ってしまったんです!」

「……それ程辛い思いをしたのに、どうして今でも墓守を?」

「誰だって……家族の死に顔を見ながら土に埋めるのは辛いでしょう。私は死にたくなる程辛かった。だからこそ、そんな苦しみに苦しみを重ねる思いをさせない為に、私は皆を埋める事を止めなかったんです」

「……貴女は偉いですね、そして優しいです」

 ルフランは私の服を握りながら、涙で腫れた目を向けて聞いてきます。

「どうして……私達だけこんな目に遭わないといけないんですか……」

「…………」

「私達が一体何をしたって言うんですか!」

「…………」

「人並みの幸せを願う事……それっていけない事だったんですか!?」

「…………」

「教えてくださいよ! エレナは世界を旅してるんでしょ!? こんな酷い目に遭った村は、今まであったんですか!? 無いでしょ!」

「…………村として確かに稀ですが、無い訳ではないです。それに……ルフランよりも不幸な結末を辿った人を、私は沢山見てきました」

「…………」

「だからと言って、まだ身内や村人が残る貴女が幸運な部類だと言うつもりはありません。でも、世界中には貴女と同じ事を思いながら、誰も助ける事が出来ずに、最後の一人になり、孤独のまま死んでしまう……そんな年端もいかない子供だっているのです」

「エレナは、手を貸さなかったんですか?」

「拒否されれば、貸さないです。でも、せめて誰かの記憶にその子の頑張りを残す為、死んでしまうその時まで、私はその子を見守り続けます」

「……エレナって魔女なのに、私よりも聖女様ですよね」

「正反対の存在だと思いますけどね」

 さて、ひとしきり泣いて全てを吐き出したルフランは、話を止めた瞬間に私の腕を枕にして寝息を立ててしまいました。

 私も寝ましょう、そしてルフランが薬を皆に渡し終わるのを見届けたら、旅に戻りましょう。

 そう思いながら、私は瞳を閉じるのでした。



 次の日の早朝、私達は完成した薬をカゴに詰めて村の中を走り回っていました。一刻も早く村の人達に薬を渡してあげる為です。

「この家は……もう渡しましたよね。エレナ、次は何処ですか?」

「その奥の方に見える家です、そこからは縁に沿って建ち並ぶ家を回れば、皆に薬が行き届いた事になります」

 村の簡易的な地図を見ながらルフランに指示を出した私は、先行して走る彼女の後を追い掛けました。その時の私達は、とても笑顔だったと思います。

 それから全ての家を回り、皆に薬を届けた私達は、いつもの教会に戻って来ました。まさかこの村に来て、これ程までに何かを成し遂げた達成感を得られるとは思いもしませんでしたね。

 それに、諦めずに薬の開発をルフランが続けたから、皆の事を大事に思う彼女が頑張り続けたからこそ、この結果を掴み取れたのです。全てではありませんが、彼女の頑張る姿に立ち会えた事、私はとても嬉しく思います。

「……さて、私の役目は終わりですね」ローブを着て三角帽子を被った私は、ルフランの手を握って言います。「名残惜しいですが……私は行きますね」

「エレナ、最後に1つだけ、お願いを聞いてもらえませんか?」

 ……別に困っている事があってのお願いではなさそうです。そうなのであれば私が聞く義理も無いでしょう、自分で頑張ればいいと思います。

 が、彼女は今日の今日まで、ずっと頑張ってきました。少しくらい、わがままを聞いてあげても構わないでしょう。

「どのような事ですか?」

 私が質問をすると、不意にルフランは私の口に何かを押し込んで、無理矢理飲み込ませてきました。

 反応は遅れたものの、その行動に危機感を感じた私はルフランを跳ね除け、むせ返りながら尻餅をつきます。

「ゲホッ、何をするのですか!」

「今のは、最後の薬です。エレナは魔法を使ったので、きっと感染状況は酷かった筈ですし、嫌がるのも分かってたから無理矢理飲ませました」

「どうして……その様な方法で?」

 それに、私が薬を飲むのを拒むと言うのは、どういう事でしょう?。

 急な行動に混乱しながら、私はルフランの事を見ます。その時でした、彼女は急にむせ返ると、血を吐き出したのです。

「ルフラン!?」私は驚きながらも倒れ込むルフランを抱き留めます。

「エレナ……もう一度言います。私のお願い……聞いてもらえませんか?」

「今はその様な事を言っている場合ではないでしょう!」

 そう言いながら教会内に置かれた薬を探しに行こうとする私の腕を、ルフランは力強く掴みます。

「もう間に合いません! 私も風土病に掛かっているんです!」

「でも、薬は飲んだのでしょう!?」

 そう言った私は、ハッとして動きを止めました。

 私が最後の薬を飲む事を拒む理由……あるとすれば私達二人が風土病に感染しているのに、それを私に飲ませようとした場合だけです。

 つまりルフランは……感染しているのに薬を飲んでいない……。

 私の表情を見たルフランは小さくふふ、と笑いながら「気付きましたか」と言いました。

「どう……して……」

「……私が風土病に掛かったのは、妹と同じ時期です。既に末期でした」

 だから薬を飲んでも助からない自分の為じゃなく、まだ未来がある貴女の為に最後の薬を使いたかった。咳き込みながらルフランは言いました。

 …………ふざけないでください。

 どうして一番助からなくてはいけないルフランが死ななくてはいけないのですか。

 どうして……薬を作った彼女が、その薬を飲めていないのですか。

 ……どうして、今まで一緒に居て、彼女が無事であると思っていたのでしょう。どうして何も気付いてあげられなかったのでしょう。

 よく考えれば、彼女の病状が酷い事は分かった筈です。風土病で亡くなった人を祖父と共に解剖していたし、家族が皆して風土病に掛かっているし、風土病の患者に寄り添い続けていたのですし、何より……風土病で死んだ人達を埋めていたのです。きっと誰よりもこのウイルスと接触時間が長かった筈。……重症化して無い訳がない。

「…………お願い、聞きましょう」

 色々と頭の中を思いが巡りましたが、私が喚いた所で何も変わりません。

 もう薬は無いし、作り方も分からない。仮に作れても時間が掛かり過ぎます。

 つまり、ルフランは何をしようと助からないのです。それが現実です。

 だからこそ私は、彼女の最期の願いを聞いてあげる決断をしたのでした。

「ルフランのお願いは、どういった事でしょうか?」

 私の問いに、ルフランは苦しそうにしながらも笑って答えます。

「……私を、夜空の旅に連れてってください」

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