私がルフランと出会ってから三日が経過しましたが、風土病調査の進展は芳しくなく、薬の開発は難航を極めていました。

 今の時点で分かっている事は、風土病の病原がウイルス性である事と、このウイルスが魔素を吸っている事だけです。

 そしてウイルスが魔素を吸うと、感染速度は本来の数倍に跳ね上がる事が、ルフランの事前研究で判明していました。

 ですがこのウイルス、あらゆる手を使って調べてみても、死体の体内からしか発見出来ません。絶対に空気中にも漂っている筈なのですが……。

「やはり、死体を解剖するしかないのではないですか?」

「駄目です、彼等はゆっくり眠らせなくちゃいけないんです」

 私の提案を、ルフランは一蹴します。

「ですが死者を気に掛けて未来を殺す事もないでしょう」

「それでも、駄目なものは駄目なんです」

「…………」

 やれやれ、先は長そうですね。

 その様な話をしていると、教会のドアを誰かがノックしてきました。こう言っては悪いかもしれませんが、こんな場所に来る人もいるのですね。驚きました。

「どうぞ」ルフランは顕微鏡から目を離す事なく言います。

 すると教会のドアがゆっくりと開き、一人の老人が私達の前まで歩いてきます。

 ふむ、服装を見るにこの老人は医者なのでしょう。比較的綺麗な白衣を身に纏っていました。

「ルゥ、すまないが仕事だ」老人は疲れきった声でルフランに言います。

「分かりました、お爺ちゃん」

 老人はルフランの返答を聞くと、今度は私の事を睨みながら近付いて来ます。

「お前さん、この村で魔法は使うなよ?」

「えぇ、承知しています」私はニッコリと笑いながら返事をします。

 すると老人はフン、と鼻で笑いながら、私の前から去って行きました。……感じの悪いお爺ちゃんですね。

 ジト目で老人が出て行くのを見送った私は、教会のドアが閉まるのを確認すると、大きくて深いタメ息を吐きました。

「すいませんね、エレナ。お爺ちゃんも悪気は無いんです」

「大丈夫ですよ、この状況ではストレスの捌け口も必要でしょうし、部外者の……しかも魔女である私に怒りが向くのも想定内ですから」

「それでもです、すいません」

 ルフランは顕微鏡から離れると、私の前で頭を下げました。

 そんな彼女を覗き込む様にしゃがんだ私は、微笑みながら頬を撫でます。

「優しいのですね、貴女は」愛想は悪いですけど。

「エレナ程じゃないですよ」

 そう言って頭を上げたルフランは、教会の隅に置かれた死体袋を取りに行くと「エレナ、申し訳ないんですが墓守の仕事が入りました」と言って、白衣を脱ぎ捨てました。

 墓守の仕事……先程の白衣を着た老人が言っていたのは、死者が出たという事なのでしょうか。

「手伝いますよ」私も白衣を脱ぐと、バックの上に畳んで置いてからルフランの傍に駆け寄って行きます。

 彼女は「エレナならそう言うと思っていましたよ」と小さく笑うと、私に担架を持って行く様に言い、先にお爺ちゃんの病院に行ってしまいました。

 私……病院の場所、知らないのですが……。


 それから担架を持った私は、村の中を彷徨いながら何とか病院まで辿り着きました。と言うか見た目は民家ではないですか、分かる訳無かろう。

 そして病院内で待機していたルフランに連れられ、私は院内の木製で出来た廊下を歩いて行きます。定期的に村人からセクハラまがいの嫌がらせを受けたり、意味の分からない罵声を浴びせられたりもしましたが、笑顔で対応をしました。これ、私って偉いと自画自賛しても良いですよね?。

 そして死体安置所に着いた私は、思わず死臭に表情を歪めました。何度この臭いを嗅いでも、慣れません……。

 そして死体の前まで案内された私は、足元に担架を広げて死体を覗き込みます。

「あれ、この人……」

「どうしたんですか? エレナ」

 ルフランの問いに私は死体の腹部を指差して言います。

「この人、お腹に相当の魔力が溜まっているみたいです」

「……どういう事だ? 魔女」ルフランのお爺ちゃんが険しい表情で聞いてきます。

「分かりません……が、意図的に魔力を溜めていたとしか言えませんね」

「意図的に、ですか?」ルフランは首をかしげて言います。「何でそんな危険な事を……」

「さぁ……」

 暫く黙り込む私達。ですがその静寂を、老人が破りました。

「こやつ、入院して意識が無くなる直前まで、風土病の克服方法を見つけたと騒いでおったな。しかも魔女が村に来たと知った日には、馬鹿みたいに喜んでおった」

 風土病の克服方法? ですがこの人は助からずに亡くなっています。どういう事なのでしょうか?。

 この人が入院してから気付けた風土病の事は、相当限られている筈です。もしかして感染しないと分からない事でもあるのでしょうか。でも、それだと魔力を意図的に溜めてた理由が分かりません。

 ……そう言えば、私がこの村に訪れた時、妙に喉がイガイガしました。でも魔法を使わなくなってからはその様な事は無くなった。

 ここで私は、1つの考えが生まれました。

「お爺さん、この人を今すぐ解剖しても構いませんか?」

「……エレナ?」

「構わんが、何処を解剖するんだ?」老人は銅製のメスを取り出して言います。

 ですが私は死体にメスを近付ける老人の手を掴み、メスを取ると「私がやります」と言いました。

「待ってくださいよエレナ、私が言った事を忘れたんですか?」

「いえいえ、覚えていますよ」

「じゃあ解剖なんて――」

「この人が解剖される事を望んで死んで逝ったのだとしたら?」

 ルフランの言葉を遮ってそういった私は、メスを置いて二人の方を見ました。

「私がこの村に来た時の事……ルフランは見ていましたよね?」

「えぇ、魔法を使って時計塔の上に登っていました」

「あの時の私、喉の調子が悪くなったのですよ」

「知ってますよ。初日のエレナは咳払いがうるさかったんで寝不足になりましたし」

 ……それは申し訳ない。

 気を取り直して、私は話を続けます。

「ですが次の日から魔法を使わなくなり、私の喉の調子は良くなった」私は老人の方を見ながら聞きます。「この人の意識が無くなる前、咳払いの回数が増えたりしていませんでしたか?」

「……咳払いよりも咳が増えたな。単なる風邪かと思っておったが」

 ふむ、ならほぼ確実でしょう。

 風土病のウイルスは、喉に住んでいる。それに私が気付くと希望を託して、この人は魔力を溜めて亡くなった。

 私の立てた仮説を聞いた老人は、改めてメスを握ろうとしますが、それを私が止めます。

「感染経緯が分かりません、お爺さんは立ち会わない方が良いです」

「しかし、初心者に解剖が出来る訳無かろう」

「それなら、私がやりますよ。お爺ちゃん」

「ルゥ……お前……」

「大丈夫です、私だって墓守の前はお爺ちゃんの助手をしてたんですから」

 ほう、ルフランは同い年なのに色々と出来て凄いですね。

 本当は彼女も避難させるつもりでしたが、確かに私に解剖スキルはありません。本当は嫌ですが、ここはルフランに協力をしてもらいましょう。

「ルフラン、お願いします」

 彼女は頷くと、老人を死体安置所から追い出してドアを閉じました。

「喉を解剖すればいいんですよね?」

「えぇ、ですが魔法を使うので出来るだけ息は止めていてください」

「……分かりました。信じてますよ、エレナ」

 そう言うと、ルフランは死体の喉にメスを押し当てて、喉を切り裂いていきました。

 そして喉が完全に開いたのを確認すると、私は魔法で虫眼鏡みたいなものを作り出し、魔力を死体の喉に軽くぶつけます。

 すると喉に潜んでいたウイルスは一気に活性化し、死体の喉から噴き出して来たのでした。

「きゃっ!?」驚いたルフランは、尻餅を着いてしまいました。

「決まりですね、ウイルスは喉に潜んでいます……恐らく全ての村人の喉に」

 ルフランを立ち上がらせた私は「可愛い声も出せるのですね」と、笑いながら言います。

「うっさいです」と返し顔を赤らめたルフランは、私の額にチョップを当ててきました。痛い。

 さて、ウイルスの潜伏場所も広がる速度も分かりましたが、結局肝心な事が分かりませんでした。

「このウイルスを押さえる方法、結局分からずじまいですね……」

「そうでもないですよ?」

 私の言葉にそう返したルフランは、笑いながら小さな瓶にウイルスを閉じ込めました。

 ふむ、このウイルスを元に薬を開発するって魂胆なのでしょうね。と言うか……。

「よく持っていましたね、その瓶……」

「何処で薬の開発材料が手に入るか分かりませんしね」

 そう言って私に笑顔を見せたルフランは「これで薬が作れますよ!」と、嬉しそうに言い、死体安置所から飛び出して行ってしまいました。

 ……死体の搬送は?。

 仕方なく分身の私を作り出した私は、死体を袋にしまい、老人と共に死体を担架で教会まで運ぶのでした。


 そして教会に戻った私は、改めて分身の私を何体か作り出し、インナーカラーを入れて役割分担させました。魔法を使うのは駄目ですが、分身体は体内に魔力が溜まっているので問題ありません。……多分。

 仮にウイルスが動いたとしても、それは私の体内だけの話に留まる筈です。

「赤いインナーカラーの私達は焼却場の準備を、青いインナーカラーの私達は墓穴の確認を、黄色いインナーカラーの私達は担架を運んでください」

「「分かりました、本体の私」」

 元気に返事をした私の分身達は、慌ただしく動き出すのでした。

「……やってみれば作り出せるものなのですね、分身」

 さて、分身を作って魔力がカツカツになり、喉がイガイガして頭が痛い私は少し寝ます。

 教会の長椅子に転がった私は、顕微鏡を覗きながら木版に何かを書きなぐるルフランの背中姿を見ました。

「私の出来る事は今はありません……頑張れ、ルフラン」

 そう呟いた私は、死んだ様に眠るのでした。……思っていたよりも魔力の消費がキツかったですね。きっともう分身を作る事は無いかもしれません……。

 早く、薬が出来るといいですね……。

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