④
「……あれ?」アタシは起き上がると、周囲を見渡した。どうやら長い事眠ってしまってた様で、体中が痛い。
何故だろう……アタシが誰なのか、此処がどこなのか、何も思い出せない。
今まで転がっていた簡素なベットから出て立ち上がったアタシは、辺りに散らばっている木版や、壁に書きなぐられた不可解な文字列や計算式を見つめた。
「何の計算式なのかも、何の文字列なのかも分からないけど……アタシ、これを知ってる気がする」
アタシは必死に失われた記憶を手繰り寄せようとする。しかし靄が掛かってるかのような感覚に遮られて、向こう側の景色がよく思い出せない。
アタシと、魔女と……あともう一人、誰か大切な人が居た気がする。
今更だけど、アタシはどうやら記憶喪失らしい。
慌てて無い訳じゃない、混乱して無い訳でもない。ただ、今更騒いでも記憶が戻らないと思ってるから、こうして冷静を装って自分の事を分析しているのだ。
とりあえず足元に転がっていた木版に綴られた文字を見る。文字はとても細く、綺麗な文字で何かのレシピが書かれている様だった。
『エレナ流、マンドラゴラの美味しい調理方法!』
…………。
なんじゃこりゃ。
何の役にも立たないと判断したアタシは、木版をベットの上に投げ捨てる。とりあえずエレナって人の事は覚えておこうかな。
「この部屋、本当に何も無いね……」
はぁ、と深いタメ息を吐いたアタシは、多分意味の無い行動だと分かりつつも、自分の失われた記憶の手掛かりを求めて部屋の中を物色するのだった。
体感でそこそこ時間が経ち、部屋の中も物色し終えたアタシは、マンドラゴラの調理法が書かれた木版の裏に、判明した情報を書き綴っていく。
このエレナと言う人物、どうやら旅人らしい。そしてアタシは母親と二人で暮らしていて、母親が病で亡くなった後は、どうにか一人で生き抜いてきたみたいだ。
他に分かった事としては、どうやらアタシと母親は何かを作って、それを近くの村で食料と交換してもらってたみたいだ。
判明したのは、これだけ。自分の名前も、魔女の名前も、母親の名前も分からないままだ。
でも、何故だろうか? アタシは母親より魔女の事の方が好きだった気がする。もしかしたら魔女は、アタシの姉か何かなのかもしれない。でも、不思議と会いたいという切望は生まれなかった。
「うん、結局何も分からなかった」
木版を脇に抱えたアタシは、目の前のドアから寝室を出る。すると細い廊下の先、曲がり角の向こう側で黒い何かが動いていた。
黒い影は何かを振り上げると、勢い良く何かを叩きつけている。そして叩き付けられるのと同時にグチャ、と生々しい音が響き渡っていた。
「…………」思わず固唾を呑むアタシ。
そこに居るのが誰なのか、アタシは恐る恐る、その黒い何かを確認する為に歩みを進める。そしてそこに居たのは……。
「あ、おはようございます」アタシの存在に気付いた魔女は、笑顔でアタシに挨拶をする。
ホッと胸を撫で下ろしたアタシは、誰かも分からない魔女に「おはよう」と返す。
「顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」
「……大丈夫。ちょっと疲れてるだけだと思うから」
そう誤魔化したアタシは、魔女に背を向けて周囲を見渡す。何か、アタシの事が分かる物があると信じて。
しかし見渡すかぎり、そこには台所と居間、小さなテーブルと2つの椅子しかない。あの簡素な寝室の方がまだ物が置いてあるほどだ。
……仕方ない。この魔女に今のアタシの事を打ち明けてみよう。
「あのさ、幾つか聞きたい事があるんだけど」
「はい、どうしました?」
料理が完成したのか、魔女は椅子にアタシを座らせてから、テーブルを挟んだ向かいに座る。
「アタシ……記憶がないみたいなの。自分の事も、貴女の事も思い出せない」
アタシの言葉を聞いた魔女は、何故か一安心する様に息を吐く。
まるで心配事が片付いたかの様に。
そして咳払いをした後、魔女はアタシの事を話し始めた。
「貴女の名前は…………レーテ。一人で万屋をして暮らしていました」
「そうなんだ。所で貴女は?」
「私はエレナ、見ての通り魔女です」
……まさかのマンドラゴラの人だった。
「アタシとの関係は?」
「私は数日前に、たまたま此処に寄っただけで、特に関係は無いです。ただ……貴女は仕事をこなす最中に不慮の事故に遭い、目を覚まさなかったのです」
だから、貴女の目が覚めるまで、私が面倒を見ていたのです。魔女……エレナさんはそう言いながら、フワフワと漂ってきたカップに入っていたコーヒーを飲む。
「不慮の事故って?」
アタシの質問に表情を歪めたエレナさんは「どう説明したらいいのでしょう……?」と、腕を組んで悩み始めた。
「そうですね……詳しくは分かりませんが、何かが爆発しました。きっとその時に頭を打ってしまったのが、貴女の記憶が無いのと関係してるのではないでしょうか」
「ふぅん」
正直、信用出来ない。それは初対面だからじゃない……悲しい顔をしながら嘘を吐いていたからだ。
記憶が無いとしても、アタシにだって目が泳いでたら嘘を吐いてるって分かる。
でも、エレナさんは悪い人ではない気がする。確信は無いけど、アタシの直感がそう言ってる。
色々と悩んだ末、今は彼女の嘘を信じてみる事にした。どうせ記憶はいつか戻るだろうし、忘れちゃうなんて大切な記憶でも無かったんだろう……多分。
それからも彼女の話を聞くと、両親が亡くなって一人きりだったアタシは、どうやら近くの村で村長に養子として引き取られる事になっていたらしい。今度は目が泳いでいないし、真実なのだろう。
とりあえずエレナさんの作った朝食を取ったアタシ達は、アタシを引き取ってくれる村長の元に向かった。
そして村長にアタシを預けたエレナさんは、最後に別れの言葉も告げず、いつの間にか村を去ってしまうのだった。
別に住む環境が変わろうと、アタシは問題ない。でも、唯一の気掛かり……それは、エレナさんが私の顔を見る度に泣きそうな表情を見せている事だった。
記憶が無いだけで、アタシはエレナさんを苦しめる事をしてしまったのかもしれない。
いつか記憶が戻って、またエレナさんに会う日が来たら、その時はしっかり謝ろう。そう胸に刻み付けながら、アタシは村長と共にまだ見ぬ場所に心を躍らせて、村の中を回って案内してもらうのだった。
〇
「ごめんなさい……」
私は、ヘルトリスのお母さんが埋葬されるお墓の前で懺悔をしていました。
「やはり、貴女との約束は守れません。記憶の足掛かりになる事を話してしまったら、きっと彼女はまた貴女を生き返らせようとする。だから、私は……」
お墓の前で跪く私は、膝の上で手を強く握りしめながら、そう呟きます。
あの時、彼女と交わした言葉を思い返しながら。
遡る事2日前、ヘルトリスがお母さんを作り出してしまった時まで遡ります。
寝室にヘルトリスを閉じ込めた私は、覚悟を決めて化け物として生き返った彼女のお母さんの前に、杖を向けて立っていました。
「ヘル……トリス……」化け物は呻きます。
「彼女は疲労で気を失っています。ですが心配いりません、しっかりと安静にさせてきました」
化け物はヘルトリスのいる寝室に向かって、体を引きずりながら向かおうとします。ですが私がそれを拒む様に立ち塞がりました。
「会ワ……セテ……」
「駄目です」
「ドウ……シテ……?」
「それは貴女が化け物で、そんな貴女を見た彼女は、きっと生きる気力を失ってしまうからです」
私は魔法で鏡を作り出すと、その醜態を化け物に見せます。
化け物は自分の姿を見て気が動転したのか、喚き散らしながら腕を振り回して魔法の鏡を破壊しました。
「貴女、姿こそ化け物ですが、中身は彼女のお母さんなのでしょう?」
化け物は聞く耳を持たず、ひたすら暴れ続けます。
そんな化け物に私は「お母さんなら、娘の行く末を案じてあげてください!」と、声を荒げながら言いました。
いきなり大声を出す私に驚いた化け物は、落ち着きを取り戻して「ゴメン……ナサイ……エレナ……サン」と言い、その場から動かなくなりました。
「……どうして私の事を?」
私の質問に、ゆっくりと化け物は答えてくれます。
まず錬金に使った素材には、採取者の気持ちや意思が乗る様で、ヘルトリスの取った素材に私への気持ちが乗っていたそうです。だから私が誰か知っていたのだと。
ついでに私は、人間を錬金する事が可能なのかも聞いてみました。しかし結果は否、肉体は作れても記憶や魂は作れないそうです。
それでも化け物として彼女が出来上がった理由は、恐らく魔力による影響が大きいのだと語っていました。
ヘルトリスは錬金の際、無意識に魔力を使っていました。そして彼女の魔力は、錬金した物の形を綺麗に整える為に使われていた事も知っています。
でも、お母さんを錬金した時は違ったそうです。
本来ならば形を調整する為に使う魔力を、どうやら魂を錬金する事に使ったそうです。そしてその魔力に混じっていたお母さんとの思い出や、彼女の採取した物に乗せていた思いが意思として覚醒。魂も歪ながら出来上がったそうです。
でも、形を整える魔力を全て魂の錬金に使った所為で、肉体が原型を留めなかった。そして不完全な肉体として完成したのが、化け物になったヘルトリスのお母さんだった。
この一連の出来事の錬金背景には、そういった事情があったそうです。
……つまり、彼女の錬金は魔力さえ足りていれば完成したのでしょうか?。いや、その様な命を冒涜する行為、仮に成功していたとしても二度とさせる訳にはいきません。寧ろ、ヘルトリスが天才であるが故にいつか辿り着いてしまうであろう、人間を作り出せる錬金術は、今後一切彼女にさせない方がいいのかもしれません。
どうやらお母さんも私の意見に賛成らしく、ある提案をしてきました。
「ねぇ、頼まれてほしいんだけど」
「何でしょう?」
正気が戻った化け物……ヘルトリスのお母さんは、獣の様な声ではなく、美しい女性の声で話してきます。
「もうじき、私は死ぬわ。心臓と肺が骨に突き刺さってるし、千切れた内臓から血が止まらないの」
「えぇ……目を覆いたくなる程に酷い状態です」
私は「延命しますか?」と問いますが、彼女は首を横に振り、話を続けました。
「私が死んだら、あの子から魔力を奪って、全ての記憶を消してほしいの」
「……忘れられて良いのですか?」
彼女は怪しく光る目で悲しげな表情を見せながら、静かに頷きます。
「でも、最後に私が愛しているって伝えてもらっていい? 天国から、貴女の幸せを見守ってるって」
私は手を握りしめたまま、何も答えませんでした。
「エレナさん、お願い出来る?」彼女が返事の催促をしてきます。
「約束は出来ません。そもそも魔力を奪う事は不可能なので、長い期間彼女の魔力を私の魔力で押さえ付けて、物理的に封印する事しか出来ないでしょう。それに、魔女だって何でも出来る訳ではない。記憶を消すのは難しいかもしれません」
「それでも、出来るだけ私の事は忘れさせてあげて」
「……分かりました」
そう返事した私は、彼女と他愛ない話をしながら、雷の魔法で神経を麻痺させて痛みを感じさせないようにしながら、ゆっくりと息を引き取るまで隣で座っていてあげていました。
そして彼女を土に埋めて簡易的な墓を作った私は、ヘルトリスの魔力を封印して記憶を消し、近くの村に事情を説明して養子として迎え入れてくれる場所を探し、村長に承諾を得たのでした。
因みに彼女の名前をヘルトリスからレーテに改名させたのは、自身の名前から過去の記憶を呼び起こさない様にする為です。
そして村長に全て任せる形で、ヘルトリスもといレーテを置き去りにした私は、彼女のお母さんのお墓の前で懺悔をしていたのでした。
大体の事を懺悔し終わった私は、ヘルトリスの部屋に落ちていたボロボロの錬金の書を拾い上げ、時間逆転の魔法で修復、カバンに詰めてその場を飛び去ります。
今の私は、少しですが錬金術が分かります。そしていつか旅を続けていれば、彼女と同じような境遇の人と出会う機会もあるでしょう。もしそうなった時、私は今回と違う結末を望みます。誰も救われない未来は、もう必要ありません。
もしかしたら、私が錬金術を覚えても、いつか出会うかもしれない同じ境遇の人の運命を何も変える事は出来ないのかもしれません。
でも、何もしないよりかは微々たるものだとしても、良い方向に傾いてくれるかもしれない。その為には、天才だった人の錬金の書が必要不可欠だったのです。
大空に飛び上がった私は、早速カバンから錬金の書を取り出して最初のページから目を通していきます。
「……ヤバいですね、いきなり意味が分からない」
……ま、まぁ私が理解出来なくても、いつか出会うかもしれない人ならば理解出来るでしょう。
錬金の書をパタン、と勢いよく閉じた私は「世の中、私の知らない事も多いものですね」と呟きながら、旅を続けるのでした。
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