お散歩をする私達は、ついでに錬金で作った薬や包帯と言った治療道具を、近くの村に届けました。

 感謝の気持ちだけを受け取った私達は、改めて素材も集めつつ、お散歩を満喫しています。今日も晴れ渡った空が眩しいです。

「あ、あのさ……」もじもじしながらヘルトリスは言います。「お母さん……?」

「はい、どうしました? ヘルトリス」

「今更だけどさ……アタシ、お母さんって呼んでもいいんだよね?」

 私はふふ、と笑いながら「当たり前です」と、彼女の頭を撫でます。

「エレナお母さん……」

「はい。お母さんですよ」

 そう言いつつも、私は少し顔を赤らめます。うぅ……自分からお母さんを名乗るのは、ちょっぴり恥ずかしいですね。

 それから素材を集めつつ、楽しく会話を楽しみながら歩き続けた私達は、気が付くと見晴らしの良い崖の上まで登ってきていました。

 風が強く、雲がとても近くに見えます。まぁ私は普段から飛んでいるので新鮮味は無いのですが、ヘルトリスは息を切らしながらも目を輝かせながら、はしゃいでいました。

 ヘルトリスのこういった所は年相応で可愛いのですが、錬金中の彼女……とても怖いのですよね。プライベート時のギャップが余計に強い子です。

「見て! 空が近いよ!」

「こらこら、前を向いて歩いてください。落ちちゃいますよ」

「うわぁ! すっごく高い!」ヘルトリスは言います。「落ちたら背中が痛そうだね! お母さん」

 お母さん……その呼ばれ方に慣れなくてはいけないのですが、やはりむず痒いです。後、落ちたら背中が痛いでは済まないです。普通に死ねる高さです。

 そんな事を頭の片隅で思う私の手を握りながら、ヘルトリスはワクワクした表情で聞いてきます。

「お母さん、魔法でこの高さ飛べる?」

「えぇ、雲の上まで行けますよ」

「アタシ乗せても?」

「ほぅ、乗りたいですか?」

 私の問い掛けに、彼女は首を縦に振ります。

「……怖くても降ろしてあげませんよ?」

「大丈夫!……多分」

「ふふ、冗談です」私は笑いながら、箒を手元に呼び寄せました。

 そして箒の上に座ると、ヘルトリスを私の膝の上に乗せます。

「いいですか? 絶対に箒から手を離さないでくださいね?」

 ヘルトリスは深く頷くと、片手で彼女のお腹に手を回した私の手を掴みます。……少し不安定ですが、まぁいいでしょう。

 地面をタンッと蹴った私は、そのまま雲の上まで上昇していくのでした。

 そして雲を抜けた先まで到達した私達は、服や髪がじっとりと湿ってしまいました。流石は水蒸気の塊……。

 しかし放って置いても日の光で乾くでしょう。少し寒いですが、このまま空の旅を続けます。

「お母さんは凄いなぁ」ヘルトリスは乱れる髪を押さえて、進行方向を向いたまま言います。

「どうしてですか?」

「だってさ、お母さんは『星屑の魔女』なんでしょ?」

「そう呼ばれていますが、何か魔女として成果を残した訳でも無ければ、新しい魔法を開発した訳でも無い。ただ魔法の扱いが人並み外れて凄いだけで、そのくせ意味もなく魔法を使いたがらない……結局はただの肩書でしかないですよ」

「それでも、魔導協会でお母さんを知らない人は居ないんでしょ?」

「そうですねぇ……私と私の先生は、魔女の歴史の中でも珍しい地球外の二つ名ですし、そういった意味では私の事を知らない魔導士は居ないでしょうね」

「やっぱり、お母さんは凄いよ。私とは――」

 何を言おうとしてるのか察した私は、彼女の唇に人差し指を当てます。

「それ以上は、言ってはいけません。自分の限界を自分で決めないで?」

「……うん、ごめん」

 微笑みながら箒を止めた私は、ヘルトリスを抱きしめてから、先に雲の上に飛び降ります。いい感じに服も乾きましたし、そろそろお弁当を食べようと思ったのです。

 私は彼女に手を差し伸べます。そして私の手を掴んだ彼女は、目を瞑りながらピョン、と飛び降りました。

 しかし雲の下に落下していく事はありません。風の魔法で透明な床を作っているのです。

 最初こそ驚いていたヘルトリスですが、落ちない理由を説明した所、安心したのか私の周りを飛ぶようにしながらはしゃいでいます。

「さて、ご飯にしましょう」私はシートを広げて、その上に座りながらお弁当を取り出しました。

「何作ってくれたの?」

 ふふん、と鼻を鳴らしながら、自信満々に私は「サンドウィッチです」と言いました。

 しかしヘルトリスは何も反応を見せません。……おかしいな。

「サンドウィッチです!」

「あ、うん……そうだね」

 うぅん? 反応が微妙だぞ?。

 あ、もしかしてサンドウィッチの意味が分からないのでしょうか?。それなら説明しないとですね。

「あのですね、これはサンドイッチと魔女の事であるウィッチを掛け合わせた――」

「親父ギャグでしょ?」

「…………………………………………」

「お母さん」

「……はい」

「あんまり、面白くない」

「いや、あの……ごめんなさい」

 仕方ない、本当は笑ってくれるヘルトリスを想像しながら作っていたのですが……。

 気を取り直して、私はお弁当の蓋を開けます。

 そこにはサンドイッチが三角帽子を被った様な、いかにも魔女の形をしたパンが入っていました。

「凄っ! どうやって作ったの?」

「炭を混ぜ込んだパンを焼いてみたのです、魔女の帽子みたいでしょう?」

「……これを見れば、確かにサンドウィッチだわ」

 あぁ、少し報われた気がします。頑張って炭を作った甲斐がありました。

 それから私達は、楽しく談笑を挟みながら食事を済まし、どこまでも広がる雲の道を歩きながら、日が暮れ始めた頃にヘルトリスの家まで帰るのでした。

 ふぅ……楽しかったのですが、魔力の消費が尋常では無かったので疲れました。家に戻った時の私は、まるで魂が口から出ているかのようにヘトヘトになっているのでした。

 真っ白に……燃え尽きたじぇ……。



 家に戻ったヘルトリスは、何かを思い付いたのか、早速錬金の書に羽ペンを走らせていきます。

 因みにこの錬金の書なのですが、なんと彼女が錬金術で作った本だそうです。

 材料は木版と紙切れ、後は動物の皮を少々加えて作ったのだとか。思い付きで作れるとか、まったく恐ろしい才能ですね。

 私は頑張るヘルトリスの姿を微笑みながら見た後、お弁当をキッチンに置いて、お風呂の準備を始めました。

 浴槽は事前に洗っておいたので、後は軽く洗い直してから水と火の魔法を同時に使い、沸かしたお湯を入れるだけです。

 そしてちゃちゃっとお風呂の準備を済ませた私は、丁度よく錬金の書を閉じるヘルトリスに声を掛けました。

「お風呂湧きましたよ、一緒に入りましょう」

「い、一緒に?」顔を赤くさせてヘルトリスは動揺しながら聞いてきます。

「えぇ、一緒にです。……嫌ですか?」

「嫌じゃないけど……恥ずかしい……」

 そんな恥ずかしがるヘルトリスの手を引きながら「お母さん権限です、諦めて私とお風呂に入ってください」と、にこやかに私は言います。ですが「そんな権限、あってたまるか!」と、小さな抵抗をする彼女。

 本当は殆ど手を握っていないのですが、それでも離れないのは、なんだかんだで私を受け入れてくれている証拠なのでしょう。嬉しい限りです。

 そして私に抱き着かれる形でお湯に入ったヘルトリスは、顔を赤くしたまま自分の体を抱いています。

「……お湯、ぬるいですか?」

「大丈夫……」

「熱い?」

「ううん、丁度いいよ」

「では、どうして体を抱いているのですか?」

 私の質問に体をビクッ、とさせた彼女は、口元までお湯に沈めながら「……小さいから」と言います。

 最初は何を言っているのか分からなかった私ですが、直ぐに胸の話だという事が分かりました。

「いやいや、私が10歳の頃は胸なんて殆ど平らでしたよ?」今も周りの女性と比べると小さいですが。

「ほんと?」

「えぇ、本当です。10歳で胸は大きくなりませんよ」そもそも胸だけでなく、スタイルに気を配った事が無いので平均が分かりませんが。

 ですがヘルトリスは「そっか……」と言うと、急に私を背もたれにして寛ぎ始めました。

 目を閉じてお湯を楽しむ彼女を抱きながら、私は歌を歌います。なんて事の無い、一般人が勇者になって、人々を救い称賛されるまでの努力の歌です。

 私の歌を聞いて、ヘルトリスは体を揺らしながら首を横に振ってリズムを取っています。

 そして1曲が歌い終り、お湯も満喫したしヘルトリスがのぼせる前に出ようとした頃、彼女は「ねぇ」と私に声を掛けてきました。

「どうしました?」

「今日だけじゃなくて、これからもアタシのお母さんでいて?」

 …………。

 私は、あえて突き放す様に言います。

「駄目です。ずっと貴女の理想的なお母さんでいる事は、私には出来ません」

「どうして?」

「私がお腹を痛めて産んだ子でも無ければ、望んで養子に引き取った子でも無い。……本当の意味で、私は貴女を愛せないからです」

「…………」

「だからこそ、お母さんが貴女を愛していた事……忘れないでいてあげてください」

「……分かった」腕で目元を拭ったヘルトリスは、更に質問をしてきます。「でも、だったらどうしてアタシのお母さんを演じたいと思ったの?」

「貴女は……未だ過去に囚われています」

「……どういう事?」

「確かに、私が初めて見た時に比べても、貴女の錬金術の質は上がってきています。でも、それは困ってる人を助ける為ではなく、お母さんに追い着く為。その為だけに質を高めている……違いますか?」

 私の質問に、ヘルトリスは黙り込んでしまいます。

「貴女は、未だに亡きお母さんの後ろ姿を見ています。錬金の失敗が増えたのも、それが理由です」

「…………」

「私が貴女のお母さんを演じたのは、根を詰め過ぎな貴女の気晴らしと言う意味もありますが……ある意味での親離れ、お母さんが居ない事の再認識をしてもらう為です」

「もう、いい。……聞きたくない」

「逃げないで」私は風呂場を出ようとするヘルトリスを後ろから抱きしめます。「人生は、進み続けるしかないのです。例え過ちを犯しても、最愛の誰かを失っても、過去を悔やんでも……進むしかないのです」

 私を振り払おうとヘルトリスはもがきますが、離しません。

「前だけ見て進むのは辛いですよね? もう無理だと思ってしゃがみ込みたくもなりますよね? あの頃は幸せだったと……あの頃に戻りたいと何度も思いますよね?」

 彼女を抱きしめる力を強くしながら、私は震える声で言いました。

 ヘルトリスも、肩を震わせながら黙って聞いています。いつの間にか抵抗もなくなっていました。

「それでも、何があろうと昔には戻れないのです」

「…………」

「俯いてもいい、振り返っても構わない。でも、絶対に後ろを見たまま止まってはいけません」

 私の話を聞いたヘルトリスは、小さく頷くと風呂場から出て行ってしまいました。

 そして風呂場には、ポツンと私だけが取り残され、音の無い空間で口元に手を添えています。

「……ごめんなさい、ヘルトリス」涙を流しながら、私は呟きます。「私……貴女の心の傷を埋めてあげられなかった」

 それから落ち着くまで風呂場で涙を流した私は、少し暗い気持ちで部屋に戻っていくのでした。


 部屋に戻ると、ヘルトリスは笑顔で私に錬金の書に綴られた文字と魔法陣の様な物を見せてきます。

「見てて、エレナさん」ヘルトリスは部屋の中に錬金の書と同じ魔法陣の様な物を書き終えていて、そこの中心に釜を置いています。

 ……何か、嫌な予感がします。

「ヘルトリス……何をする気ですか?」

 私の問いに笑って見せた彼女は、釜の中に大量の素材を入れて「やっぱり、アタシにはお母さんが必要なんだよ」と言いました。

「お母さんが必要って……まさか!」

 私がそう呟いた時、釜の中から気持ち悪い魔力と共に電撃が走りました。

「そう……今からエレナさんに見せるのは。アタシが考えた最高の錬金術」

「いけません! 上手くいく訳がない!」

 私の叫びは届いていないのか、彼女は笑いながら言います。

「今から、お母さんを錬成する」

「駄目です! 命は錬金術で作り出せる物では無い!」

 電撃と魔力が強くなり、部屋の中を滅茶苦茶に壊していきます。

「さぁ、お母さん……帰って来て!。お母さんさえ居てくれれば、アタシは何も要らないから……お願い!」

 私は杖を釜に向けて魔法を放ちますが、気持ち悪い魔力で防がれ、電撃で杖を弾き飛ばされてしまいます。まるで錬金を止めようとする私を拒む、ヘルトリスの意思を汲み取っているかの様に。

「くっ……!」

 諦めずに中級魔法を飛ばしますが、やはり釜まで届きません。

「お母さん、早く会いたいよ……」

「今直ぐ錬金を止めなさい! ヘルトリスッ!」

 思い切り叫びますが、私の声は釜から溢れ出た光に呑まれて掻き消されてしまいました。

 そして光が収まり釜が割れた時、錬金によって作り出されたヘルトリスのお母さんは、その姿を現すのでした。

「アレ……なん……ですか!?」

 私の視界の先に現れたヘルトリスのお母さんは、割れた釜の破片を両手で踏みながら、這う様にして倒れているヘルトリスの元に進んでいました。

 顔の輪郭は人間です。上半身の華奢な体つきも人間で、そこには女性である証の乳房も確認出来ます。ですが、その瞳は魔物の様に鈍く光り、両手の爪は獣の様に長く、避けた胸元からは心臓や肺が骨に貫かれていて……肌や髪は闇の様な深い黒色でした。

 そして下半身を見てみると、腰から下は無く、千切れた内臓の様な物を引きずっています。

 ……この様な事は言いたくないのですが、私にはあの化け物が人間だと思えません。

 ヌチャ、と音を立てながら、彼女はヘルトリスの元に進み続けます。

 そこで我に返った私は、急いでヘルトリスを回収。恐らく魔力の使い過ぎで意識のなくなった彼女を、寝室に連れて行きました。

「ウゥ……アァァ……ヘル……トリス……!」

「――っ!」

 化け物の上げる叫びに体を硬直させながらも、私は抱き上げたヘルトリスを寝室に放り込み、外から魔法でドアを空間に固定させます。……万が一ヘルトリスが目を覚まし時、あの化け物を目撃してしまう事を避ける為です。

 彼女の望みは、きっと優しい普通のお母さんを作る事だった筈です。少なくともあの様な化け物では無い筈。

 そうであれば、彼女は自分の作ったお母さんを見て発狂するのが分かり切っています。最悪、自ら命を絶ってしまうかもしれません。

 まだ小さな命です。例えヘルトリスに恨まれる結果になろうと、私は何があっても彼女に化け物と対面させる訳にはいきませんでした。

「…………………………………………」

 私は寝室のドアに背中を預け、深呼吸をしながら目を閉じます。

 先程の化け物の発言を聞くに、アレは間違い無くヘルトリスを認識していました。だとすれば、見た目は化け物でも中身は本当にお母さんであると考えるのが自然でしょう。

「……よし」

 目を開けた私は、錬金部屋に転がる杖を手元に呼び戻し、歩き始めます。

 あの化け物……ヘルトリスのお母さんに、もう1度死んでもらう為に……。

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