目が覚めると、私は白い天井が見える場所に居ました。

 体が痛いし、左側が何も見えません。私は恐る恐る、辛うじて動く右手で顔の左側を擦りました。

 目元にはガーゼが当てがわれ、それを包帯が固定してるみたいです。

 ガーゼの隙間から左目で包帯を巻かれた右手が見えるあたり、眼球が潰れた訳ではなさそうですね。

 ふと体を見ると、着ていた筈の布切れは無く、裸のまま全身に包帯を巻き付けられていました。

「……ここは?」痛みを堪えながら、私はその場に座ります。

 どうやら此処は医療施設のようで、周囲では痛みに喘ぐ女性の声が聞こえています。きっと私の様に酷い暴行を受けて、運び込まれたのでしょう。

「エレナさん、起きたのか?」

 まだ頭がぼうっとしていた私は、少し遅れて声が聞こえた方を向きました。

 そこには涙で目元が腫れたヴァンの姿が。酷く怯えているのか体が震えていました。

「ヴァン……?」私は右手をヴァンに伸ばします。

 その右手をヴァンは掴むと「ごめん」と何度も謝りだしました。

「エレナさんを鞭で叩いてる時……楽しかったんだ! 俺の行動1つで表情を歪める君を見るのが……堪らなく楽しいと感じてしまったんだっ!」

 どうか狂った俺を罰してくれ、そう言いながら私の手を涙で濡らし始めたのです。

 私は無理矢理体を起こしてヴァンの方へ向き直ると、左手で彼の涙を拭いながら言いました。

「分かりました。私が貴方に送れる、最大級の罰を言い渡しましょう」

 人間は誰だって痛い思いをさせられれば、仕返しをしたくなるもの。苦しい思いをさせられれば、同じ様に苦しんでほしいと思うもの。それは聖職者であろうと、根っからの善人であろうと、等しく人間であれば感じてしまうものです。

 もちろん、私だって人間。それも、あかの抜けきっていない15歳の女の子。苦しめられて、体を削り取られて……恨みが無い訳ではないのです。

 …………。

 でも、恨みがあるとしても……私は彼の幸せな未来が見れれば、それでいいと思えるのです。

 所詮、その程度の恨みでしかないのです。

 息を大きく吸い込んだ私は、ヴァンの頭を抱きながら言いました。

「サナを助け出して、いつまでも二人で幸せに生きてください。そして時々で構いません、私の事を思い出して、いずれ生まれて来るであろう貴方の子供に、決して暴力を振わないでください」

 それが、私から貴方に送る罰です、そう言いながら泣き続けるヴァンの頭を優しく撫でました。

「何も……罰になって無いじゃないか」

「そうでもないですよ? 貴方は一生、私をいたぶった罪を背負って生きていくのですから」私はヴァンの耳を、更に胸へ押し付けながら言います。「私の心音、聞こえますか? これは貴方が狂気に染まって消そうとした心音であり、自分の罪に気付いて救った心音なのですよ?」

「…………」胸の中でヴァンが頷きます。包帯越しとは言え衣服が無いので、触れている髪がくすぐったいです。

 さて、いつまでも嘆いている訳にはいきませんし、そろそろサナを救い出す手順の確認をしておきましょう。

「ほら、今からサナを救いに行くのでしょう? 助ける手順も聞きたいので、泣き止んでくださいよ」

「……ごめん」

 そう言って顔をあげたヴァンは、サナを助け出す手順の説明を始めました。

 まず、私が動けないのを考慮して、この手順はヴァンが単身で行うものです。

 サナが捕えられている場所は把握出来ているので、皆が寝静まるであろう時間帯に商人の荷台に接近し、鍵を破壊して彼女を救い出すと言うシンプルな手順でした。

 そしてサナの救出後、急いで私を回収してから馬車を盗んで、この村を出て行く……これがヴァンの考えた救出プランでした。

 色々と雑だし、どこか1つでもミスが出たら潰れてしまうプランでしたが、今更修正をする時間もなさそうです。上手くいく事を願うだけですね。

「分かりました。ですが最悪、私は置いて行っても構いませんよ」そう言いながら私はベットに転がります。

「君を置いて行くような真似はしないさ」私の手を握りながらヴァンは言います。「絶対に連れ出して見せるさ。サナも、君も」

「ふふ、それでは期待しながら待つとします」

 そう言って目を瞑った私を確認したヴァンは、深呼吸をすると部屋を出て行きます。

 丘の上で会った頃に比べて、たくましくなりましたね。今の彼の表情と覚悟を決めた重い言葉……本当に格好いいと思いました。

 そう思って微笑んでいた私でしたが、流石に無理をし過ぎました。全身が悲鳴を上げています、何なら私自身も悲鳴を上げたい程です。

 自分のした無茶に飽きれつつ、何も出来る事がなかった私は、少しでも傷を治して体力を回復させる為に、眠りに就く事にするのでした。



 顔に水を掛けられた私は、息苦しさを覚えながら目を開けました。

「……此処は?」咽返りながら私は呟きます。

 医療施設に居た筈の私は、何故か両手を吊るされた状態で冷ややかな牢獄の様な場所に監禁されている様でした。

「目が覚めたか」

 暗闇の向こうから、野太い男性の声が聞こえます。恐らく私を此処に連れてきた犯人でしょう。

 そして私の目の前まで歩いてきた男性は、とても体付きの良い大柄な男性だったのです。まるで話に聞いていたサナを連れて行った人の様に。

「お前、あのヴァンとか言う小僧の奴隷だって聞いたが、それは本当の事なのか?」

「……それが何か?」

「あの小僧は、奴隷を扱える様な肝の据わった性格じゃない」

「…………」

「今一度問うぞ、お前は小僧の奴隷なのか?」

「何度聞かれても、答えは変わりません」

 私がそう言うと、大柄な男性は怖い外見に似つかわしくない、子供の様に無邪気な笑みを零しながら「そうか」と呟き、指を鳴らします。

 その指を鳴らす音を合図に、薄暗い牢獄の扉がゆっくりと開き、光の中から女性を連れたヴァンが現れました。

「ごめん……エレナさん……」ヴァンは女性の肩を抱いたまま私に謝ります。

「ヴァン……? これはどういう事ですか? それに彼女は……?」

 困惑の表情が隠しきれない私は、彼に今の状況の説明を求めようとしました。

 すると大柄な男性がヴァンの肩に腕を置きながら、私を見下す様にしながら答え始めたのです。

「小僧の抱えるこの女、こいつがお前達の探していたサナだ」

「……彼女が?」私は顔をしかめて女性の顔を見ました。

 彼女の表情は何処か虚無に満ちていて、時折その瞳に光を宿したかと思うと、顔を赤らめながら小さく呻き、息を切らしながら虚無に満ちた表情に戻る……そういった不可解な情緒だったのです。

「小僧はな、この女を助け出そうとしてる時に俺に見つかってな、話し合いの末にお前とサナを交換する事に同意したんだ」

「……そう、ですか」

 私は、売られたという事ですね。ヴァンの大切な人を奪った悪党に。

 ですが、それでも別に構いません。どの様な事情があったにせよ、これでヴァンはサナと一緒に居られるのですから。

「良かったな、小僧。あの女がお前の奴隷じゃ無いと言い張ったら、今頃土の中だったぞ」大柄な男性がヴァンの背中を叩きながら言います。

 それに対してヴァンは「信じてたから」と言いました、ぼろぼろと涙を零しながら。

 安堵と不安を胸に秘めた私は、小さく深呼吸をしました。大丈夫、私ならば今の状況を打破して村を脱出できる。何も心配はいりません。

 そう思ってる時でした、いつの間にかヴァンと大柄な男性は牢獄の外に出て行き、中には私とサナだけが取り残されていました。

 そしてサナは時折体を震わせながら、しゃがみ込んで私の頬を撫でながら聞いてきます。

「貴女、どうして彼を村に入れたの?」

「え……?」

 サナの言っている事が理解出来ない私は聞き返します。その言い方は、まるでヴァンが助けに来る事自体、迷惑極まりない様に聞こえてしまったのです。

「私、ベルグと暮らせてて幸せだったの。朝は彼と一緒に売れそうな奴隷を選別して、昼は奴隷を売って得たお金で美味しいご飯を食べて、夜は彼の思いを受け止めて……本当に幸せだった」

「待ってください、そのベルグが貴女を連れ去った張本人なのではないのですか?」私は声を荒げて聞きます。「貴女は、ヴァンの婚約者ではないのですか!?」

「そう、ヴァンは結局、真相に到達する前に村を出てしまったのね」

 愉しそうにそう言ったサナは「少し、私の話をしてあげる」と言って、ある出来事を語り始めました。


 小さな村に、とある男性と婚約をしていた女性がいました。

 彼女は、村で1番の美人でした。そして美人である事に誇りを持ち、自分の欲望を満たす為に、常に美しくある事の努力を欠かしませんでした。

 でも、ある時気付いてしまったのです、この村では美しくなりきれないと。

 彼女が美を追求したのは、周りからよく見られたいからではありませんでした。では何故美を求めたのか、答えは簡単でした。

 ――欲求の解消。

 そう、彼女は究極なまでに淫奔な女だったのです。

 彼女は幼い頃から、ふしだらな両親の下で育ちました。幼い彼女の面倒を見る事も無く、常に快楽を求め続ける親を見て育った彼女は、不幸にも絶世の美女だったのです。

 病で妻を亡くし、欲求不満になっていた父が次に目を付けた相手は……言うまでもないでしょう。

 半ば強引に体を弄ばれた、当時まだ少女だった女性は、10代半ばで大人の女になりました。そして目覚めてしまったのです、親から受け継いだ、淫らな遺伝子に。

 事故死に見せかけて父を殺害した少女は、その日から夜な夜な近所の家に遊びに行っては、男性を虜にしてお金を稼ぎだしたのです。

 美しくあれば、色っぽく振る舞えば、男性は喜んで彼女を弄び、沢山のご褒美をくれる。それに気付いた彼女は、美を意識し始めたのでした。

 そして毎日の様に男性と遊んでいた彼女は、普通の恋愛に興味を持ち、とある男性と婚約したのです。

 共に家事をして、狩りをして、同じベットで眠る。ただ共に居られるだけで幸せ、その事に気付いた彼女は、周りからは普通の女性に戻った様に見えていたのかもしれません。

 でも、違いました。

 やはり、一人の人間では満足出来なかったのです。

 その時、昔関係を持った別の村のお金持ちが引っ越して来た事を知った彼女は、色々な手回しをして、自分を楽しませる事が出来る環境に連れて行ってほしいとお金持ちに頼み、奴隷になったのでした。

 奴隷の生活は、常に彼女を満足させてくれていて、遂に彼女は自分の目指した幸せを掴んだのでした。めでたし、めでたし。


「と、まぁ、これで貴女が私の幸せを奪った事、理解出来たかしら?」

 サナはふぅ、とタメ息を吐きながら言いました。

「……貴女は、ヴァンの事を愛していないのですか?」

 私の質問に、サナは首を横に振ります。

「彼、ああ見えてたくましいのよ? 一緒に居たのに遊ばなかったの?」

「貴女のそれは断じて愛じゃない! 歪んだ下心です!」

「人間なんて結局、真心も下心も大した差異はないでしょ?」サナは言います。「人肌を感じて快楽に溺れるくらい、自由だと思わない?」

「それは貴女の人間に対する偏見です! 私達はそうではない!」

「貴女のそれこそ偏見でしょ?」

 それからも私たちの話は続きますが、この会話はどこまでも平行線で、決着が付きませんでした。

 その時でした、会話が面倒になったであろうサナは私の前で座り込むと、私の両足を持ち上げて見つめてきました。

「ふぅん?」

「……なんですか?」

 私の問いに、サナは高揚した表情を見せながら質問を投げ掛けてきます。

「貴女、男性経験が無いでしょ?」

「……だったら何です?」

「私ね、実は女もイケるのよ」

 彼女の笑みに、背筋が凍りました。この人……まさか私を?。

「さっきも話したけど、私の初めては散々だったの。痛みより苦しみの方が強かったわ」

「…………………………………………」

 サナは何処かから長い棒を取り出すと、私の腹部周りを棒で撫で始めます。

「貴女はどんな声で鳴いて、どんな表情を見せてくれるのかしら?」

「……警告です。私から離れなければ、魔法で貴女の両腕を引き裂きます」

「体を震わせながら言っても怖くないわよ? それに、そんな強がりを言ってる余裕、きっと無くなるわ」

 サナが体に力を込めて、強く棒を握りしめる、その時でした。

 背後に現れた影がガンッ、と角材でサナの後頭部を殴ります。そして殴られたサナは気を失ってその場に倒れ込みました。

 私はサナの握っていた棒が体から離れた事に安堵しつつ、彼女を殴った影を見ます。

 なんとサナを殴り倒した犯人は、ヴァンだったのです。

「エレナさん!」角材を捨てたヴァンは、私の両手の拘束を解きます。

「ヴァン! 何してるのですか!?」両手の拘束が解けた私は、彼の肩を掴みながら言います。「その様な物で殴ったら、サナ死んじゃいますよ!?」

「大丈夫、手加減はしたさ。それよりも急いで脱出だ!」

 そう言うヴァンの体は、何故か返り血で染まっていました。

「……分かりました、ですが後で色々と質問をさせてもらいます」

「あぁ、構わないさ」ヴァンは言います。「ほら、外に馬車を止めてある、急いでくれ!」

 私はヴァンの捨てた角材を杖の代わりにして立ち上がると、急いで外に飛び出して引き縄を握る彼の隣に転がり込むのでした。

 体力的にも精神的にも余裕のなかった私は触れませんでしたが、村が燃えています。恐らく犯人はヴァンでしょう。

 何故村を燃やしたのか、どうして体中に返り血が付いているのか、そもそも大柄な男性……ベルグは何処に行ってしまったのか。聞きたい事は山積みです。

 ですが今は……今だけは、自分の体が無事であった事を喜び、そして今回経験した恐怖に震えて泣きましょう。

「…………」自分の体を両腕で抱きながら、私は横に座るヴァンに寄り掛かりました。

「エレナさん……?」

「……暫く、ヴァンの胸を貸してもらえますか?」

「……分かった」

 ヴァンはそう言うと、片手で私の頭を自分の体に寄せて抱きました。

 我慢の限界だった私は、小さく声を出して泣き続けます。

 そして嗚咽混じりの声が聞こえなくなるのは、もう少し先……私とヴァンが出会った丘に着くまで続くのでした。

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