第32話 白狐の姫

 城の敷地内には2つの闘技場がある。

 1つは騎士団の訓練等に使う闘技場で、昨日アリエルの魔法により半壊している。

 もう一つは国の催し物にも使われている闘技場。

 その闘技場の真ん中にはティアナとアリエルが睨みあっていた。


「なんだこの人数は……」


 観覧席にはこの国の騎士や宮廷魔道士が仕事そっちのけで集り、貴賓席には2人の両親がいた。


「まぁいい。やめるなら今のうちだぞ」

「あんたこそ」

「なら手を出せ。私と同じように宣言しろ」


 アリエルが手を差し出すとティアナはその上に手を重ねた。

 地面には紫色の魔法陣が浮かび上がり、回り始めた。


「我 アリエル・フォンティナ・ペルセリカは敗北した際6年の時を汝に捧ぐ」


 アリエルが呟くとティアナも同じ言葉を呟くと魔法陣は白く染まり消えた。

 売自契約に伴っての儀式だ。これにより、勝者は6年の間敗者を奴隷化できる。

 アリエルとティアナは少し離れるとお互いに剣を抜いた。

 アリエルは次から次へと強化魔法をかけていく。


「先に教えといてやろう。私が勝った場合。お前には6年間この街から出ることを禁止する」

「万に一つもあたしが負けることはないわ」

「――っ」


 先日手を合わせたことを思い出してかアリエルの口元は緩むがその緩みは目の前に立ち上った紅蓮の柱に消し飛び驚愕に顔を染めた。

 目の前には加護の力で髪を朱色に染め、耳を生やしたティアナが剣を構えている。


「おっお前!馬鹿か! 何を考えている!!」


 観覧席にいる騎士や魔道士達は驚きのあまりにざわめいている。貴賓席のほうを不安そうに見上げる。セリーヌはいつも通りの笑顔。フェルバートに至っては椅子から離れ、手すりに身を乗り出し表情はゆるみきっている。


 アリエルはその様子を見てほっと息を吐いた。


「あんたもさっさと力を出しなさい」

「加護の力は使うな!」

「あたしは全力と言ったはずよ」

「ちっ」


 眉間にしわを寄せながらアリエルは貴賓席のほうをチラ見すると翼がふわっと背中に現れた。

 同時に空と闘技場から色が消えた。


「断絶結界だと……」

「フィルラさんに頼んでおいたの。周りに被害が出るのを防ぐのと、見ている人達を防護障壁で守ってくれるように」


観客席にいた人間は断絶結界の中にいても時が止まっていない。


「何を考えている……本当に気でもふれたか……」

「全力を出しなさい。あたしがこの力を持っているということはあんたもあるはずよね……」

「……断る」

「なら引きづり出してあげるわ!」


 ティアナは地面を蹴った。


「なめるな!」


 接近してくるティアナに閃光が大量に放たれる。しかしその全てを勢いを殺すことなく剣で弾く。

 ティアナがアリエルの眼前まで迫り剣を引いた瞬間。驚いたアリエルの口元は緩んだ。

 二人が剣を合わせた瞬間、左右に展開していた魔法陣から純白の雷撃がティアナの両側面から襲う。

 剣を強く弾くとティアナは後ろに飛び退き、その直後に土煙が舞い上がった。


 アリエルは飛び上がり、土煙を見下ろす位置につけると魔法陣を複数展開し、土煙を凝視する。

 だが一向に土煙から人影が出てこない。


「どこだ……」

「ここよ」


 返事が聞こえてきたのはまったく想定をしていない方向だった。

 アリエルは思わず振り返ると、その直後に腹部に衝撃が走った。

 ティアナの足が腹部にめり込みそのまま地面へと叩き落された。


 舞い上がった土煙が晴れると、アリエルが地面に伏していた。

 必死に体を起こし、剣を構える。


「はぁ、はぁっ、本気か……何を考えている」

「いくら天使でも今ので肋骨の何本かは逝ってるはずよ。本気を出したくなければ降参したら?」

「断る……お前の奴隷にっ、なるなんて死んでもごめんだ……」

「本当は力を出すのが怖いんでしょ」

「何がだ?」

「パパとママに恐れられるのがよ。大丈夫よ。私達が転生者で天使だからと言って何も変わらない」

「そんなわけないだろ。私はお前のために言っているんだ」

「そう……もういいわ」


 ティアナがそう呟くとティアナの体は炎の球体に包まれた。

 球体に向かい風が渦を巻き薄く炎が波の様に全方位に広がる。


「なんだっ、これは……熱くない……」


 球体は弾けると突風が吹きぬけた。


「噓だろ……」


 先ほどまで赤い髪に耳を生やしていたが、色が変わり、鮮やかな紅葉色で耳も少々大きくなっている。

 そして大きく異なる点。ティアナの背には薄い朱色の羽が片側6枚計12枚あった。


「お前、隠していたのか!」

「ええ。理由はあんたと同じよ」

「私は別にそんな――っ」

「同じ理由じゃないなんて言わせないわよ。あんたの力なら旅に出ようと思えばいつでもできたはず。それをしなかったのはできなかったからじゃない。未練があったからでしょ」


 アリエルはうつむき放心する。腹に走る痛みからではないのは悲しげな表情が物語っている。


「昨日あんたが言った言葉をそのまま返すわ。あんたはここに残れ。神龍はあたしが倒すわ」

「ふざけるな!」

「ふざけてないわよ。どうせ嫌がっても、6年間この街から出れなくなるからどうしようもないんだけどね」

「くそがぁ!」


 声を荒らげながら閃光を放ち突進するが剣で弾かれると腕を掴まれ、ティアナの持つ剣の柄がアリエルの右腕に打ち付けられた。

 剣はアリエルの手から離れ、体は投げ飛ばされ、空中で身をひるがえすが地面を転がった。


 アリエルは苦悶の色を浮かべながら右腕を押さえながら立ち上がる。


「図星をつかれて冷静さを欠くなんてあんたらしくないわね。立ち上がって何がしたいの? 次は左腕をへし折られたいわけ? もう負けを認めなさい」

「左腕をへし折られようが、お前には負けない」


 荒い息遣いでアリエルは羽を広げる。

 魔道士であるアリエルにとっては腕がなくとも足がなくても戦うことはできる。機動力は翼で確保できるが、想定では凌駕できると思っていたそれはティアナにも羽があることを考えればアドバンテージにはならない。


 右腕の痛みで冷静さを取り戻し、現状の分析をしていると目の前で水滴が落ちた気がした。

 顔をあげるとティアナの目からは涙が溢れ出している。


「……は」

「どうして人を信じないのよ!」

「何だいきなり……」

「あたしも孤児だからあんたの気持ちは理解できる! それでも人を信じなさいよ! あたしを信じてよ! 自分の両親ぐらい信じてよ! どうして私がこんなことしなくちゃならないのよ……」


 少しずつ口調が弱くなり、ティアナは悲しげに、そして苦しそうにアリエルを見る。


「まったく……。人をここまでボコっておいて今度はそれか……」


 アリエルは頭をかきながら、チラッと上に目線を送る。貴賓席ではフェルバートが飛び出していこうとするのをウリエルが必死に止めていた。強く歯を噛みしめると、諦めに似たため息を吐いた。


「分かった……本気を出せばいいんだろ」


「――!」


 詠唱を始めたアリエルに涙を腕で拭うと嬉しそうに見つめる。


 風がない中、桃色の髪がたなびき、純白の髪へと変貌する。

 頭には白く大きな狐耳。腰付近には耳と同じ色の長い尾が九本。身体からは白銀の雷撃がほとばしる。


「さてと……もうどうなっても知らん……やるからには徹底的にやってやる」

「え! どういうこと……」


 アリエルは両腕を交差してやる気が垣間見えるが、今の体で出来るわけが無い。左腕は今しがたまでぶらりと下がっていたのだから。


「そういえばお前がこの姿を見たのは龍王との戦いだけだったか。これはこの加護の力だ。如何なる傷も瞬時に癒える。そして」


 光を纏った尾が伸びるとティアナを襲う。あらゆる方向から向かってくる尾に対し、縦横無尽にかわす。上は闘技場の張り出した屋根を蹴り、赤い光の残留が空間に線を残す。


「ハエのように飛び廻りやがって、さっさと落ちろ!」


 伸びてくる尾は闘技場内のどこにいても届いてくる。時間と共に手数の多さに回避に専念していたティアナの動きにも尾の動きが対応してきている。


 笑みを薄く浮かべて回避に専念していたティアナの目に鋭さが戻った直後。今までよりも明らかに速い動きでアリエルに向けて真っ直ぐに壁を蹴った。


 体をくるりと回して脚を回すが攻撃は空をきった。反対側の壁に着地して顔を上げる。

 攻撃を繰り出し、直撃するであろう瞬間まで、視線を外していない。

 それなのにいきなり視線から消えた。


「不思議か?」


 後ろから聞こえてくる声に慌てて壁を蹴るが、至近距離から尾が鞭のようにしなって一本の尾がティアナを吹き飛ばすと、怒涛の追撃が襲う。


「はっはは。これだけでは終わらないぞ」


 尾による攻撃の最中、白い霧がティアナの周りに立ち込み始めた。


「ミストラルノヴァ」


 霧が光った瞬間、轟音と共に爆炎がフィールドを飲み込んだ。

 アリエルは尾で体を包み周りは光の膜が円形に貼られている。


「終わったか?」


 唯一断絶結界の影響を受けていない地面は所々真っ赤に変化し、爆発の凄まじさを物語っている。

 爆心地付近は未だに炎に包まれているが、その付近の地面は、赤くない地面は一切見受けられない。


「誰が終わったの?」


 声が聞こえると炎が一気に晴れた。


「ちっ、だめか」

「その程度じゃあたしは倒せないわよ。最低でもクロと戦ったときぐらいないとね」


 ティアナに決定打を与えるには魔法を無力化する加護を考え、神聖魔法しかない。

 しかし高位の神聖魔法を繰り出すには問題がある。周りへの影響はウリエルがなんとかするだろうが、強い力には時間という代償がいる。


 詠唱を唱え、魔力を高め、それを魔法に変換するための集中力が必要。魔力の制御に自信があるアリエルも例外ではなく、ティアナの攻撃を避けながらそれを行うのは至難。


 尾で体を包み時間を稼ごうとするが、矢の如く勢いで飛んでくる速度を生かした打撃に集中力を乱され、地面を這う。


「仕方がないな」


 アリエルがそう呟いた次の瞬間にはティアナの視界からその姿は消えていた。

 後ろを振り返るとアリエルが詠唱をつむいでいる。


「やっぱり。転移魔法ね。やらせないわよ」


 ティアナは地面を蹴り魔法の詠唱をとめるべくアリエルへと突っ込んでいくが姿がない。慌ててティアナは振り向くと、ほぼ同時に尾がティアナの体を吹き飛ばした。


「脳筋め」


 またもやティアナの視界から消え、気がつくと横から尾が迫っている。転移魔法を駆使した攻撃に闘技場の中を動き回る。


「面倒くさいわね。攻撃してもこれじゃ……」


 攻撃したとしても小さな傷じゃ一瞬で治癒する。転移をしつつアリエルは魔法の詠唱を行なっている。形勢が逆転したにもかかわらずティアナは嬉しそうに笑った。


「何笑ってやがる。これで終わりだ」


 ティアナが地面に着地した瞬間ティアナの真後ろに転移してゼロ距離で閃光を打つ。


「あれ……」


 そこにいるはずのティアナの姿はなく魔法は一直線に壁にぶつかるのみ。

 その直後に後ろから首に腕を回され、口を何かが覆い、後ろにすごい勢いで引っ張られた。

 首をつられたような感覚にむせながら腕を必死に外そうとするがびくともしない。


「こんな死角からの攻撃ばかりされたら、さすがに対処法の一つや二つ思いつくわ」

「むぅぐっっ」

「ほんと……もっさもさしてるわね」


 羽が顔をはたくのをうっとうしそうにさらに深く首を固める。

 尾に纏っている雷撃が更に増し、ティアナを襲うが少しだけ顔をしかめるだけ。


「無駄よ。この程度じゃどうにもならないわ。あんたが私にダメージを与えられる魔法は詠唱が必要というのは、あんたがさっき実践してくれたし。さっさと落ちなさい」


 真っ赤な顔して必死に口を覆う手と、固められた首を外そうとする。

 こんなに密着されていては新たに魔法を発動させるのは困難。転移魔法で逃げることも出来ない。ティアナの加護の力で発動以前に術式を展開させる時点で消されては、少量の魔力を連続して雷撃に変化させることぐらいだ。


 次第に雷撃の力が弱まってくると、アリエルの視界は沈んでいった。



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