第31話 売自契約

夜も更けた城内。

城の一室のテラスではアリエルが手すりにもたれかかりマグカップをすする。

今後についてはアリエルがランファニアに勝った事により王と王妃はアリエルが旅立つことを渋々承諾した。


「来たか師匠」


背を向けたテラスの向こう側にはウリエルが降下してきている。テラスに下りるとアリエルの直ぐ横で手すりにもたれかかった。


「話しとは何だ?」

「今後についてだ」

「今後?」


アリエルはマグカップを手すりに置くとウリエルに体を向けた。


「神龍が復活したとして、勝率はどのくらいだ。封印はもうできないのだろう?」

「気がついていたか……」

「天界がこうもあっさりと重大なことをぺらぺらと話すんだ。察しはつく」


質問を投げかれられウリエルの表情は険しく変わった。その問いかけについて、答えがあまり芳しくないのは目に見えて分かった。


「分が悪いのは分かっている。教えろ」

「十二の大熾天使アークセラフィムで挑んだとして……20%」

「20%……それだけか……五分とまではいかないと思っていたがそれだけとは……」

「奴は全ての平行世界の創造神だ。これだけの確率があると、運がいいと思えるほどだ。だがこの確率は神龍の直属の眷属と同時に神龍を相手にした時だ。今のうちに奴の眷属を一体でも多く倒すことができれば勝率は上がる」

「神龍の眷属がそれほど影響するのか?」


実際神龍の眷属である黒龍に対してティアナの協力があったが、街の近くでなければアリエルは一人でも圧倒した。そんな存在が何体いようとも、天使は翼の数で力を増すことはその身で以ってわかっていたため、大熾天使アークセラフィムであればそれほど脅威にならない。


「ニブルヘルクのことを言っているのか? そいつには悪いが創造神の神龍の眷属は他の神龍と同等の力を持っている。ニブルヘルクでは相手にすらならない」

「それほどの力を持っているのか……」

「そのとおりだ。我の力では奴らには遠く及ばない」

「クロ、お前眷属を守ると言っていただろ。もしもその神龍の眷属と戦うことになったらどうする気だったんだ」

「捨て身で挑めば運がよければ相打ちには持っていける……」

「馬鹿か。戦力が限られる中、愚策すぎる。焦って戦力を減らせば確率はもっと下がるぞ!」


アリエルは手すりに前のめりで倒れると頭を抱えた。


「我々も何もやっていないわけではない。人間の王たちに世界の危機については間接的に伝えている」

「伝えてどうする……パニックにでもさせる気か」

「違う。戦ってくれるようにお願いするためだ」

「馬鹿か。人間の中でまともに戦えるのなんて聞いている限り、ほんの一握りだぞ。その神龍と眷属相手じゃ、何も出来ずに無駄に犠牲者を増やすだけだ……」


黒龍の襲来でパニックになっていたこと。そしてその黒龍ですら神龍の眷属に相手にならないとなれば人間のほとんどの者は、神龍に虫けらの如く払われるのは目に見えている。


「神龍を正気に戻すことはできないのか?」

「無理だ。結界内に幾度も呼びかけたが、もう言葉すらかわすことができないほどに奴の意識は崩壊している。今や奴の頭の中には世界を滅ぼすことしかない」

「そうか……」


正気に戻すことが活路に繋がると思っていた。勝率を考えればどちらも藁にもすがる気持ちであるのだが。


「また戦いか……」

「珍しいな。お前が戦いを嫌がるとは」

「今回の戦い……ティアを戦わせるな」

「何故だ?」

「言わなくても師匠なら分かっているだろ」


前の世界では兄弟と親子のような関係であり、ティアナはその繋がりを大切にして、その為に剣を学び勇者になった。


そして先程の取り乱しようは尋常では無い。

この世界でようやく得た幸せが無くなると思っての行動。ティアナがウリエルにあれほど怒りを向けたのは初めてだ。


「神龍は私が倒す」

「確かに覚醒したお前なら神龍と渡り合えるかもしれないが、間違いなく死ぬぞ。千年前の戦いで神龍を封印結界に押し込んだのは天界最強と謳われたガブリエルだ。それでも自らの存在を犠牲にしての力。私が思い描く最善の勝機はお前とティアナの力を前面に出しての戦いだ」

「そんなの知るか。魔道に誓い、神龍は私が必ず殺す」

「お前が決心してくれるのは天界にとってはありがたいことだが……」


ウリエルは言葉を渋ると部屋の中のほうに視線を向けた。


「だそうだ」

「そんなこと認めるわけないわ」

「――なっ、勝手に入ってくるなよ」


ティアナとその後ろからシュリルがテラスへと出てきた。

そしてそのままアリエルの前まで早足で近づくと、めいいっぱい腕を振りかぶり張り手がアリエルの頬を打った。その弾みでアリエルは石の手すりに前頭部を強打、頭を抱えうずくまる。


「なにするんだ……」

「魔王を討伐する直前に2度目は無いと言ったはずよ」

「あの時とは状況が違うだろ!!」

「まぁ諦めるんだな。頑固さはティアナの方が圧倒的に上だぞ。ふっ、それにだ。身を以って体感しているだろ?」

「どういうことだ?」

「……気がついてないのか?」

「は? 何を」


一瞬の間の後、ウリエルは笑い出した。


「ふははははっは、気がついてないのか。転生の術者だろ。何かお前の思い通りになっていないことがあるはずだ」

「――っ! 転生だと! そうだ。私は転生に魔族を希望したはず。師匠どういうことか分かるのか!?」

「ふっふふふふっはぁっははは。本当に気がつかないのか。魔族を願ったにもかかわらず。人間の女子に転生している理由を」

「……まさか、おい。ティア! いい加減にお前が願ったことを全て教えろ。いや両親以外の願いを教えろ」


しかしティアナは黙り込んだ。

それを見て大爆笑しているウリエルが口を開く。


「私から教えてやる。本人が言いにくいのも分からんでもないからな。一つはお前にも両親や家族を持って欲しいと言う願い。そしてもう一つは妹が欲しいだ」

「……は?」

「だからお前の意志はティアナの思いに負けて、女になり、妹になったわけだ。お姫様」

「ファっ?」


転生の願いは2人同時に転生した為、狂ったとばかり思っていた。だが実際は起こった事実には根拠があった。


「……いまさら腹を立ててもどうしようもないことだからな」


アリエルは立ち上がり、鋭く目を尖らせてティアナを見つめる。


「話は戻すが、ティア。お前は神龍とは戦うな」

「あんた魔王の時も同じこといっていたわね。ボコボコにされたこと忘れたかしら?」

「あの時とは状況が違うと言っただろ。私達は自分が天使候補であること、それを周りも周知している」

「それがなんなのよ。パパ大喜びしていたけど」

「確かに……尋常ではないほど喜ばれていましたね……」


決闘の後フェルバートは号泣して2人を抱きしめ、「私の天使」と連呼して駄々をこねた。頬ずりをしたりと喜びと離れる悲しみが入り乱れ、日頃から見慣れている兵士たちでさえ引くほどであった。


「父上と母上が何も感じなかったのは不幸中の幸いだ。シュリル。闘技場で最後の魔法を放った後、私にどんな感情を抱いた? 最後に目があっただろ。その時の感情を言え。おそらくダニエルも同じ感情を抱いていたはずだ。それが理由だ」

「…………」


アリエルの問いかけに何が言いたいのか理解したのか、ハッとして顔を伏せ、シュリルは目を逸らした。

だがすぐさま顔を上げ


「確かにあの時私はアリエル様に僅かばかり恐怖を抱きました……ですがそれは己よりも強い者に抱く感情と考えれば不思議ではありません!」

「では少し話しを変えようか。シュリル。魔族も知性を持ち、人間のように感情を持っている。魔族と人間が相容れない理由はなんだと思う?」

「それは……」

「そうだ。人間と魔族では生まれ持った力が根本的に違う。そのため人間は魔族を恐れ、忌み嫌う。もう私の言いたいことは分かったよな?」

「天使も同じであると……? でもアリエル様は魔族と人間を理解しあう関係にするとおっしゃっていたではありませんか!」

「ああ。賭けだがな。うまく誘導し互いに信頼関係を結ばせる。だが天使は違う。魔族と人間のようにはうまくはいかない。実際神龍と戦うことになるのは天使だ。その力を見れば自然と人間たちは自分達とはまったく異なる存在と再認識するだろう」


強き者に対する感情は抱いた者によって異なる。人間が魔王を討伐した勇者を英雄としてまつりあげるのは同じ人間であるからに過ぎない。世界の脅威に対して天使がそれを排除すれば、人間たちは勇者に向けるような感情ではなく、芽生えるのは信仰心。

憧れや恐怖よりも更に上の感情だ。


「師匠の話じゃ、今一番神龍に近いのはティアの中にある力。その力で神龍を倒したところで、両親が今まで通りにティアに接すると思うか? ……答えは否だ。自分の子供だからと言っても必ず他の人間と同じようにティアを遠い存在のよう扱うぞ」

「アリエル様……なぜそうなのですか……なぜ」


シュリルは悲しげに目を細めて呟く。


「もう一度言うぞ。ティア。お前は戦うな。戦えばこの生活に戻れなくなるぞ」

「あんたも……」


ティアナは呟くと同時に右足を引いた。右手の拳が振り上げられアリエルの腹部へとめり込んだ。軽い体は少しだけ浮かび上がるとそのままお腹を抱え地面へと転がった。


「ぅっ…………殺す気か、この暴力女」

「うるさいわよ。何が信頼関係だ。あんた自身が自分の親でさえ信用していないのにそんなこと語ってるんじゃないわよ!」

「私が信用していない……? 人間の感情定義に当てはめただけだ」

「……いいわ。なら教えてあげる。旅立つ予定は一日伸ばして、明日あたしと全力で決闘しなさい。パパとママにも見てもらうわ」

「おっお前! 私の言っていたことを聞いていたのか!」

「この決闘は6年間の売自契約を賭けましょう」

「売自契約……正気か? 6年間……そういうことか」


売自契約は奴隷契約の一種。

期間内は主人の言うことは絶対的に守らなければいけないという契約だ。


「いいだろう。そこまで言うのならばやってやる」

「今のあんたじゃあたしには勝てないと思うけど精々頑張ることね」

「この間完膚なきまでに私に負けたことを忘れたか?」

「同じ結果になるといいわね」


くるりと向きを変え、ティアナは部屋の中へと消えていった。


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