六話〜嫌な思い出〜

「……覚えてますよ。名前も姿も。会話はあんまり交わさなかったですよね」

「あんまりね」

 嫌な過去だ。

「あの、えっと。あとで私の家、来ない?」

「急ですね」

「少しお話したいなあ……なんて」

「……良いですよ」

「ありがとう」




 下校の時間になり、母にお友達の家に寄ると伝えて凛霞りんかさんの家に向かっていた。

「ここを左ですよね?」

「うん」


 さらに少しして、家に着いた。詳しい話は知らないが、父がどこかの会社の社長で、凛霞さんは令嬢にあたるのだそうだ。が、家はごく普通よりやや豪華、である。母がそこまで気取りたくない主義ということらしい。

 因みに、父は別居らしい。夫婦間で不仲と言うわけではなさそうなのでそこは安心。


「ただいま」

「お邪魔します」

 玄関早々から華やかな香りがする。いかにも他の人の家に上がったと言う感じ。

 扉を開け、様子を見に来た凛霞さんの母。凛霞さんのキリリとした目と凛とした風格は母親譲りの様だ。

「……凛霞の言ってた友達って、本当に夏乃ちゃんだったんだ」

「うん。私も会った時は吃驚した」

「お久しぶりです。凛霞さんと仲良くさせてもらっています」

「ご丁寧にありがとう。お母さんは元気?」

「はい。あの、私の母と仲が良いのですか?」

「まぁ、ね。半分腐れ縁みたいなところもあるんだけど」

「そうなんですね……」

「お母さん、今でも連絡取り合ってるんだって」

「余計なこと言わない」

 親子間の会話に思わず微笑んでしまう。

「本当に仲が良いんですね……。というか、あれですね。若いですよね」

「なんだか口説いてるみたいな言い方ね。まぁ、嬉しいけど。ありがとう。

 って、夏乃ちゃんのお母さんの方が若いじゃない」

「あれは……化け物です」

「間違い無い……。あ、ごめんこんなに長く立ち話させて。凛霞の部屋でしょう? 二階だからね。凛霞はお茶請け持って行きなさい」

「はーい。じゃあ、私の部屋奥から二番目のドアだから勝手に入っていいよ」

「わかりました」

 靴を脱いで、家へ上がる。


 少しの緊張を孕みながら、階段を一段一段踏み締める。

 フローリングと靴下では相性が悪く、やや滑る。脚に若干の力を入れながら扉の前まで。

 扉の取手を捻り、押す。それだけの行為でも緊張してしまう。

 勉強机は隅に、中央には大きめのテーブルが置かれ、手前には低いソファーが置かれている。勉強机の側には本棚が、小説や辞書等の本でびっしりと。窓の側にはベッドが置かれ、柄はない。壁も絨毯も無地だ。

 部屋の中に広がる香りは、玄関で感じた香りなどとは違う。……薔薇の芳香剤の様。

 私がこの芳香剤気に入ってるの、覚えてたのかな。

 勉強机には、見覚えのある写真、私と凛霞さんを写した写真だ。

 古い、幼稚園で逢った頃の。

「あー、それ。懐かしいでしょ」

「……うん」

 ただ、今としては嫌な過去。

「座って」

 と、ソファーを指差した。私はゆっくりとソファーに腰を下ろす。目の前に緑茶と鯛焼きが出され、凛霞さんは向かいのベッドに腰を下ろした。

「鯛焼き、食べてみて」

 そう言われ食べてみると、粒餡……。凛霞さん、私の好みを未だして熟知している。

「夏乃に食べさせてもらってから、私も大好きになってね。今でも食べてるんだよ。最近は……まぁ色々あって食べてないけど」

 体重だろう、と私は察する。

「美味しいです」

「嬉しい。……それで、話なんだけど。なんで敬語なの? 初めて逢って話したときは敬語じゃなかったじゃない」

 頬張った鯛焼きを茶で流し込む。

「父に指摘された。……というのは少しありますね」

「少し?」

「はい」

「じゃあ、他に理由があるの?」

「あります。理由は、まぁ……距離を取りたいからです」

「なんで?」

「私の問題というか……なんというか」

 少し食い気味な質問責めに少し気圧されてしまう。これだけ答えても、少しまだ不満がありそう。

「……このことも知りたいんですか?」

「知りたい」

「後回しでもいいですか?」

「いいよ。ごめんね、いきなり質問ばっかりして」

「良いですよ」

「じゃあ、そろそろ本題に、と……」

 どんなことを話すのだろうと、楽しみとほんのちょっとした嫌悪感が混じる。

「あの、驚かずに聞いてほしいんだけど。私ね、夏乃の事好きだったんだ。というか、今でもちょっぴり……うん」

「え?」

 その言葉はあまりにも予想外すぎて、少し驚いてしまった。

「あの時、男の子の格好してたでしょ? 多分お父さんにさせられてたんだろうけど」

 私服が可の幼稚園だったからだろうけど。

「は、はい」

「それで、仲良くなっていくうちに好きになってね。女の子って知った時は吃驚したの。でも、全然嫌いになれなくて、寧ろもっと好きになっちゃってさ。ごめん気持ち悪いかな?」

 正直、嬉しい。他の人から、それも親しい人から好意を向けられていたなんて。

「嬉しいですよ」

「本当? なら良かったよ」

「凛霞さんは、えっと。もうお嬢様みたいな格好はしないんですか?」

「するはするけど。ちょっと恥ずかしいかな。派手すぎるし」

「そうなんですね」

 当時の凛霞さんはエレガントな風貌で、肝も座り、先生達からも一目置かれていた。

「小学校で別になってからも、全然忘れられなくて……執着心強いのかなって、自分でも少し怖くなったよ」

「そんな事ないんじゃないですかね?」

「そうなのかな? いやいや、強いでしょ」

「……私も、凛霞さんを忘れたことなんてありませんよ」

「嬉しい! 忘れられてるかと思ってた」

「私も好きでしたから。凛霞さんのこと」

 そう、好きだった。

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