8話 「天使は風邪をひかない」(『世界録』5巻SS)


「……あぁレン、助けてください」


 大海をわたる大型全装帆船シツプの船内で。

 レンは、通路で膝をついているフィアを目撃した。


「身体が急に……うっ、目眩が……」

「どうしたフィア先輩!? まさか覇都での戦いで負傷してたのか!?」


 覇都エルメキアにおける王立七十二階位特務騎士団エルメキア・ダスクとの激闘後。今は聖地カナンに引き返す船旅中だったのだが、そんな折、通路でフィアとすれちがった途端に彼女がよろめいたのだ。


「う……うぅ……起き上がれません……レン、部屋まで運んでくれますか?」

「ああもちろん! さあ先輩掴まって」


 弱々しい仕草の彼女を背に抱えようとして。


「あ、お待ちをレン。せっかく運んでもらうなら『お姫様だっこ』がいいですわ。私の夢でしたの」


「え?……わ、わかったよ」


 背中と膝裏に手を添えて、フィアの身体を持ち上げる。

 驚くほどに軽くて華奢な体つき。触れる彼女の身体の柔らかさと、ふしぎな甘い匂いが艶めかしい。


「先輩、そんな密着しないでってば!?」

「ふふ。だって滅多にない機会なんですものぉ」


「だから何でそんな余裕なの! 体調悪いんじゃなかったの?」


 部屋で、彼女をベッドに寝かせてやった。


「……苦しいですわ」


 胸元に手をあてて、苦しそうに喘ぐフィア。


「フィア先輩、医者を呼ぶ? だけど天使の容態なんて人間の医者がわかるかな」

「レンが介抱してください」


「……俺?」


「これも経験ですよ。というわけで、レン、そこの水差しをとってくださいな。喘いだら喉が渇いてしまいました」


「ああコレか。……でも何だか妙にアルコール臭いような」

「酒は百薬の長と言うでしょう?」


「やっぱりお酒じゃん! で、先輩は、こんな体調悪い時でもお酒飲むの?」

「もちろんですわ。ねえねえ、レンが飲ませてほしいです」


「……わ、わかった」


 コップにお酒を注いでフィアの口元へと近づける。こくんこくんと飲み物を嚥下する姿が、またしても妙に色っぽい。


「あぁ幸せ。たまには介抱される身もいいですわね」


 ほんのりと顔を赤らめて微笑む大天使。


「ところでお酒を飲んだら身体が熱くなってしまって。……レン、着替えを手伝ってもらっていいですか」


 レンが返事をする前に、胸元のボタンを指さして。


「これ外してくださいな」

「えぇっ!? い、いやちょっと先輩ってば!」


「うぅ……胸が……胸が苦しいですわ。早くボタンを外してくれないと息ができなくなりそうです」


 ブラウスを内側から押し上げる豊満な双丘を、まるで見せつけるように突きだす彼女。


「さあ早く! 大胆に!」

「大胆って!? あ、あの……だけど……」

「――――――――」


 じっとこちらを見上げるフィア。

 そんな彼女が、ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべて息をついた。


「――ま。今回はこれくらいで。十分楽しめましたから」


 軽やかにベッドから立ち上がってみせる。


「え?」

「レンの献身的な介護のおかげで治りましたわ」


「……仮病かよ!?」


「いえいえ。こうみえて私、深刻な病にかかっているんです」

「そんな笑顔で?」

「ええもちろん。その病の名は――」


 びしっ、と指を立てて宣言するフィア。


「『恋の病』です!」


「…………」

「…………」


「……はー。またフィア先輩の悪戯に騙された」


「え? あらちょっとレンってば? 私、結構マジメに決め台詞を考えたつもりだっ

たのですが!?」


「部屋に戻って俺も一休みしよっと」

「レン、レンってば! だから話を聞いてください――――っ!」


 後ろで何かを言っているフィアに背を向けて、レンは自分の部屋へと戻っていった。  



                            《了》



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