6話 「これだから天使の調合は」 (『世界録』4巻SS )


「ねえエリーゼ? もうレンの傷薬がなくなりそうですわ」


 ソファーでくつろぐエリーゼに、フィアは空っぽのガラス瓶を振ってみせた。


「あ、そうだった。昨日の戦いで使いきっちゃってたんだよね」


 部屋の隅――昼間にもかかわらず熟睡しているレン。

 それは、つい昨日の出来事だ。

 ここ聖地カナンに到着した矢先に襲ってきた光の怪物との死闘。怪物はレンが撃破したが、その傷と疲労で、レンはまだ起き上がれない状態にある。


「フィアの治癒法術で完治しないのも珍しいよね?」

「人間の身体は、悪魔エリーゼ天使わたしと構造から違いますからね。力を与えればすぐに傷が塞がるというわけでもありません」


 熟睡するレンを見やり、フィアは肩をすくめてみせた。


「しかしエリーゼの調合した薬、意外に効き目がありましたね」


 エリーゼの秘薬。いかにも毒々しい生薬ばかりを混ぜあわせた怪しい代物だが、実際にレンの傷には効果があった。 


「そりゃアタシのお手製だもん。今のうちに作り足しておこっか。材料にまだ余りがあるし。足りない薬草だけ買ってくるよ」


 調剤用の乳鉢と材料とをテーブルに並べるエリーゼ。


「ねねフィア、この調合メモのとおりに葉っぱと木の実をすり潰して混ぜてくれる? アタシすぐに戻ってくるから」


 外へと向かうエリーゼ。

 取り残されたのはフィア一人。


「……もう。レンは幸せ者ですね。ケガのために先代魔王のエリーゼが買い物に行って、大天使の私が薬を作ってあげるなんて、そんな人間ほかにいませんよ?」


 くすっと微笑み、フィアはテーブル上の乳棒を手に取った。


「ふむふむ、まずは薬の材料をすり潰すと。枯れた弟切草の芽と、腐った月桂樹の枝、それに幽玄樹の実を鉢に入れて、粉末状になるまで砕いていけばいいと」


 毒々しい色味の生薬を棒ですり潰していく。


「次に、冥界の底なし沼の毒水を加えて、腐食キノコを刻んだものと大ムカデの抜け殻をすり潰します……あら……でもこれは」


 手元の生薬を見下ろして、エリーゼは動きを止めた。


「これ、ぜんぶ冥界の生薬ですわね。確かに効き目は強力ですが、人間であるレンには毒素が強すぎるかしら。これなら、天界で採れる生薬の方が安全で身体に優しい薬が作れますわ。ええと……」


 フィアが鞄から取りだしたのは、光り輝く聖水、そして美しい色味の植物だ。


「まずは水から替えましょう。冥界の毒水ではなく、聖域で汲んだ清流の湧き水に。次に腐食キノコではなく太陽樹の皮で解毒作用を追加。さらに大ムカデの抜け殻のかわりに岩ミントで清涼感を追加してみましょうか」


 奇怪な緑色だった粉末が、みるみると美しく輝く粉末に。


「うん、いい感じ! さらに虹色蝶の鱗粉を大さじ一杯と、聖獣の爪を煎じた粉を投入。よしよし、やはり薬に必要なものは真心ですわね。強力な薬効だけが薬ではない。見た目にも美しく、身体にも優しい。そんな慈悲あふれる調合こそが真の薬学ですわ」


 爽やかな香りと清廉な光があふれる乳鉢。

 その中身を満足げに見下ろして――


「たっだいまー!」


 咄嗟に、混ぜていた天界の生薬たちを後ろに隠す。

 まずい。

 エリーゼの帰りが思った以上に早かった。


「ず、ずいぶん早い帰宅ですのね?」

「ほしい材料を市場で買ってきただけだもん。さすが聖地って言うだけあってなかなかの品揃えだったよ。ところで調合の方は?」


「……も、もちろんできてますわ!」


「あれ。妙に粉末が輝いてない?」

「そ、そうですか? 言われたとおり混ぜただけですが」

「それにこの、爽やかすぎる匂い……」


「き、きっと外からの匂いですわ。ええと、そうそう、私も外に買い物へ行ってきますね。あとは任せました!」


 不審そうに中身を見下ろすエリーゼの後ろを通って、フィアは大急ぎで部屋の外に飛びだした。


 その一時間後。


「フィア! やっぱりアタシの薬に変な物を混ぜたでしょ、レンに飲ませたら悲鳴を上げて気絶しちゃったじゃん!」


「ち、違います! エリーゼの調合が問題なのですわ!」


「冥界の素材に、天界の素材を混ぜるからだよ! 相性最悪で変な化学反応起こすに決まってるじゃん!」


 エリーゼに追いかけられて、フィアは大通りを全速力で逃げていったのだった。


                    

                               《了》 


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