5話 「これだから悪魔の調合は」(『世界録』4巻SS)


「ねえフィア? もうレンの薬がないみたいだよ?」


 ソファーでくつろぐフィアに、エリーゼは空っぽのガラス瓶を振ってみせた。


「ああ、そうでした。昨日の戦いで使いきってしまったもので」


 部屋の隅――昼間にもかかわらず熟睡しているレン。

 それは、つい昨日の出来事だ。

 ここ聖地カナンに到着した矢先に襲ってきた光の怪物との死闘。

 怪物はレンが撃破したが、その時に受けた傷と疲労とで、レンはまだ起き上がれない状態にある。


「……ま。さすがにフィアの治癒法術だけじゃ完治はしないねぇ」


 眠るレンを見やって、エリーゼは小さくうなずいた。


「人間の身体は、悪魔アタシ天使フィアと構造から違うし。力を与えればすぐに傷が塞がるってわけでもないもんね」


「ええ。ですので法術と薬の併用が大事になるんです。この薬も、今のうちに作り足しておきましょう。ほとんどの材料は予備があるので、足りない薬草だけ買ってきますわ」


 調剤用の乳鉢と材料とをテーブルに並べるフィア。


「エリーゼ、この調合メモのとおりに葉っぱと木の実をすり潰して混ぜてもらえますか。私もすぐに戻ります」


 外へと向かうフィア。

 あとに残されたのはエリーゼただ一人。


「やれやれ、レンってば幸せ者だねぇ。ケガのために大天使のフィアが買い物に行って、先代魔王のアタシが薬を作ってあげるなんて、そんな人間ほかにいないよ?」


 くすっと微笑み、エリーゼはテーブル上の乳棒を手に取った。


「ええと薬の材料をすり潰せばいいんだよね。月見草の新芽とムーングラスの若葉と紅葉樹の実を鉢に入れて、粉末状になるまで砕いていく。なんだ、簡単簡単」


 生薬を棒ですり潰していく。


「お次は聖域の湧き水を加えて、今度は太陽樹の皮を刻んだものと岩ミントの実を潰しますっと……むぅ……でもなぁ」


 テーブル上の生薬を見下ろして、エリーゼは腕組みの格好で動きを止めた。


「これ、ぜんぶ天界の生薬じゃん。ぜんぜん効き目が弱いよ。冥界で採れる生薬の方がもっと強い薬が作れるもん。ええと確か……」


 エリーゼが鞄から取りだしたのは毒々しい色の植物と、そして粘り気のある不気味な液体だ。


「まずは水から替えよっかな。清流の湧き水じゃなくて冥界の底なし沼の毒水に。毒をもって毒を制すってのは薬学の基本だもんね? 次に太陽樹の皮じゃなくて腐食キノコの菌糸で滋養強壮。あとは岩ミントのかわりに大ムカデの抜け殻をすり潰して加ればいいんじゃない?」


 純白だった粉末が、みるみると奇怪な緑色に染まっていく。


「うん、いい感じ! さらに幻覚蝶の鱗粉を大さじ一杯と、魔獣の爪を煎じた粉を投入っと。よしよし、やっぱり薬ってのは挑戦だよね。毒と薬とは表裏一体。安心安全なだけの薬じゃダメだよ。常に未知の調合に挑戦してこそ真の薬学ってもんなんだから」


 悪臭と不気味な煙が立ちこめる乳鉢。

 その中身を満足げに見下ろして――


「ただいま戻りましたわ」


「フィア!?」


 咄嗟に、混ぜていた冥界の生薬たちを後ろに隠す。

 まずい。

 フィアの帰りが思った以上に早かった。


「……ず、ずいぶん早い帰りじゃん!?」

「ほしい材料を市場で買ってきただけですからね。さすがは聖地、素晴らしい品揃えでしたわ。ところで調合の方は?」


「……も、もちろんできてるよ!」


「あら。妙に粉末が黒く濁っていますね」

「そ、そう? 言われたとおり混ぜただけだけど」

「それにこの悪臭……」


「き、きっと外からの匂いだよ。……ええと、そうそうアタシ外に買い物行ってくるね。あと任せたから!」


 不審そうに中身を見下ろすフィアの後ろを通って、エリーゼは大急ぎで部屋の外に飛びだした。


 その一時間後。


「エリーゼ! やっぱり私の薬に変な物を混ぜましたわね、レンに飲ませたら悲鳴を上げて気絶しちゃったじゃないですか!」


「違うの! フィアの薬が悪いんだってば!」


「天界の素材に、冥界の素材を混ぜるからです! 相性最悪で変な化学反応起こすに決まってるでしょう!」


 フィアに追いかけられて、エリーゼは大通りを全速力で逃げていったのだった。

 

                                《了》

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