第五章 4
「もう、漫画原作の仕事は、来ないだろう」
と思っていたが、一度、作り上げて確立したものは、なかなか崩れ去るものではなかった。
日刊ゲンダイの「やる気まんまん」も、 続いていた。
小説の仕事もきた。
推理ものから、任侠もの、極道もの、官能小説と、依頼されるのは、多彩であった。
そして、宗教書が加わったのである。
これには、編集者も、面喰らったようであった。
「いつ勉強したんですか」
「祖母、おふくろも霊媒師だったからね。血かもしれないよ」
と笑った。
「ええ。全然、知らかったなあ。それじゃ、血ですよ」
「でね。面白い分野(ジャンル)があるんだよ。日本でも、あまり、やっている学者はいないんだけど、東大の宮家準先生か、五未重先生、折口信夫先生かなあ。“宗教民俗学”っていうんだけどね。葬式の研究や、モガリ、墓地の研究みたいなものだね」
「横溝正史みたいですね。恐怖ものにしたら、漫画でも、小説でもありですよ」
編集者は、ドギツイ。
これでなくては、生き馬の目を抜く出版の世界では、やっていけないのだろう。
しかし、私は、「観世経」の次に、「葬式の探求」という、糞真面目な本を出したのであった。
「牛さん。学者みたいに、真面目な本じゃないですか...」
「だって、こういう世界を書こうとしたら、こういう知識も、ちゃんとありますよ、というイメージをちゃんと作っておかないと、読者が信じてくれないだろ...で、エンタメにして、殺人を絡めて、推理ものにする。漫画でも、小説でもいけるよ」
「成程ね。『釘師サブやん』のときは、『パチンコ必勝』を出していたし、『包丁人味平』のときは、自分が料理人だった。牛さんのやり方が判ってきた気がするな...」
「調べてくるとね。まだ、火葬でではなくて、土葬の地域ってのがあるんだよね」
「本当ですか? それは恐怖サスペンスの圧倒的な条件の一つだ」
「死んだと思っていたのが生きていて、這いだしてきた。ウジムシだらけでね」
「キャーッ!...」
突然、悲鳴が上がった。
「なんだ?」
部屋の隅に、女性編集者がいて、思わず恐怖したらしい。
「だって、話が怖すぎるんだもの」
「だったら、ビンゴだ。うちで、やりたいです」
B誌の編集者のSさんが、身を乗り出した。
「水上勉さんの『桑の子』っていうのがあって、堕胎といっても、もう、完全に産まれていたんだが、家が貧しくて育てられない。臍の緒が付いたまま、桑畑の穴に捨てた。当然、死んだだろうと思っていたんが、三日後に、ズルズルと這い出してきたっていう話だよね」
「キャーッ!」
また、女性編集者だ。相当の怖がり屋であった。
もう、誰も振り向かなかった。
「棺の中から、地上に、息付き竹という節を扱いた竹を一本、出しておくのが、長年の風習になっているんだよ」
「成程...」
「池や井戸を埋戻すときにも、同じことをやっておかないと、縁起の悪いことが起るっていうよ...」
「そうなんですか。それを使えますねえ」
Sさん、お化け屋敷のプロデューサーに向いているかもしれない。
人を怖がらせるのに生き甲斐を感じるタイプかもしれない。
「恐怖ものでは、日野さんや、ウメズさんが得意としているでしょう。漫画では」
私が言うと、
あの二人は、原作ものはやりませんからね」
「いや、そういう意味ではなくてさ。漫画は誰かいるよ。ヒットすれば、画はどんどん、それらしくなるもんなんだよ」
こんな、雑談から、ヒット作が、誕生することは、多々あるものであった。
私は、次に「墓地埋葬法に関する研究」という、およそ、硬いものを上梓した。
そして、90度変えて、「霊魂の書」という、怪しい業界本とでもいうものを執筆、出版した。
漫画原作で十年、小説で十年と考えていた。
人気稼業の限界であろうと思ったのである。
しかし、漫画原作は思ったよりも長続きしていた。
小説も書き下ろしを書けば、どこかの出版社が持って行って、上梓してくれたのである。
ありがたいことであった。
十年単位の世界に棲んでいるのだな、というのは、私の勝手な思い込みであった。
しかし、そうした覚悟は必要な世界でもあったのである。
私は、そうした覚悟を持っていたからなのか、依頼してきた仕事は、どんな出版社からの仕事でも引き受けた。
数多くいる作家の中から、私を指名して、仕事をくれたのだ、と思うと、とても断わることができなかった。
けれども、例外はある。
どぎついことをいうようであるが、ノーギャラの仕事は、引き受けなかった。
どんなボランティアの仕事でも、ギャラの発生のないものは、仕事ではない、と割り切っていた。
私には、出版社に一流も三流もなかった。
現に、今、仕事をさせてくれている出版こそが、一流の出版社なのだという、強い思いがあった。
その思いは、私の過去の、飯も喰えなかった、失業同然の、その日暮らしの流転と無関係ではない気がする。
根っからの貧乏性なのであろう。
だから、どんなジャンルの仕事をしていても、また終るに違いない、と常に心の隅で思っていたのである。
(所詮、人気仕事だ。人気が落ちない訳はない)
それが、私に、仕事を十年単位の仕事である、と思わせていたのかもしれない。
私は、四十代に突入していった。
その間に、作家として、名前の消えていった人もいた。
残っている方が幸運なのだ。
ただ、お母さんは、余りの環境の変化に、驚愕していたのに、違いなかった。
特に、収入の厖大な増え方には、戸惑っていたのに違いなかった。
約二十才で一緒になって、食乏のどん底から、這い上ってきた。
私は、どんな仕事でも、懸命に働くことしか考えていなかった。
身を粉にして働くことが、私にあたえられた運命なのだ、とさえ思ってきた。
よく言われる言葉だが、
「宿命は変えられないが、運命は変えられる」
と。
その運命のターニングポイントが、再度、訪れてきたのである。
突如(といっても、予兆はあったのであるが)、出家得度を決心したのであった。
四十四、五歳の時であろうか、熱海の臨済宗妙心派の「善逝山医王寺寺」で、住職、高田定信師について、出家得度をしたのであった。
多くの知人、友人が出席してくれて、私の得度式が、挙行された。
恩人のMさんも出席してくれた。嬉しかった。
医王寺本堂で得度式は行われたが、その後で祝宴を催した。
本堂の階下は、畳敷の大広間になっていたためである。
「師匠。祝宴のときには、芸者さんを呼んだ方が良いですかね?」
「そうだな。賑やかな方が良いだろう」
信師匠は、七歳の時から小坊主になって、七十年以上も僧侶をやっている人である。
粋も甘いも、噛み分けていた。
おカァちゃんと、ケイコちゃんのコネで、十人程の芸妓さんを入れてもらい、祝いの踊も踊ってもらった。
僧侶としての威義(服装のこと)も、一式、京都の法衣屋さんから、取り寄せてもらった。
出家得度式は、無事に済んだ。
法諱(ほうき) は、「覚心」と付けられた。
心地覚心という名僧が、かつていた。「法灯派」の開山禅師である。
師匠の師匠は、「釋大眉」で、高岡市の国泰寺僧堂の師家である。
弟子が、十三人いた。
師匠の兄弟子の一人が、鎌倉の建長寺の師家で、中川貫道老師であった。
私は、建長僧堂に掛塔(かとう・入門)する予定であったが、掛搭直前になって落飾されたので、話がご破算になってしまった。
釈大眉の師匠が、釈宗演で、鎌倉の建長寺と円覚寺、両山の師家であり、管長でもある。
その宗演から、演の一字を拝借して、覚演としたのが、私の弟子で、現在、願行寺の二世住職になっているのである。
養女にもなっている。
願行寺は、私が建立して、開山し、文科省の文化庁から、単立の認証を頂いたのである。
中川貫道老師の落飾で、僧堂に掛搭するのが、難しくなって、師匠にどうする?と訊かれて、私は、
「大丈夫です。自分で大小は関係なしに、山寺でも建立して、文科省の文化庁から、単立寺院を認証してもらいます」
と、軽く答えた。
「ええっ?―――」
さすがの師匠も驚愕して、戸惑った。
「や、やめろ。そんな、無茶なこと」
「道場(専門僧堂)に掛塔出来ない分だけ、自分で寺院を建立すれば...冗談じゃない。自分で一から土地も買って、寺を建て、役所の認証を得るなんて、道場の修行の何十倍も、修行になる。土台、臨済宗では、明治以後、つまり、チョンマゲ時代以後で、自分一人の力で、寺院を建立した者など一人もいないぞ。それをやろうってか。わざわざ、苦労を買うようものだぞ。悪いこ とは言わない。止めておけ」
と、師匠は、医王寺を建てかえたときの苦労を語ってくれた。
「それだけで、血の小便が出たぞ...それを単立の認証を、知事認証ではなく、文化庁の認証だなんて、本山の仕事だぞ」
「はい。判っています。ただ、そこまでやれば、他の僧侶の方から、文句は出ませんよね」
「あたりまえだ。一本どっこなんだからな」
私は、それを伊東市の富戸で始めた。
土地は、無目的で千三百坪ほどを買ってあったので、そこを使うことにした。
伊豆の第二種の国立公園の中であったので、高さ制限があり、建蔽率も二〇%であった。
六年後の平成元年に、本堂を竣工した。
元年には、昭和天皇の御大葬があったので、祝事は不謹慎ということで、翌二年に落慶法要を遂行した。
開山禅師は、師匠にお願いした。
臨済宗寺院が、伊東に誕生した。
伊東には、臨済宗寺院は、一か寺もなかったのである。
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