第五章 3


私にとっては、初めての仏教であった。

(嘘だろ...)

という思いが先に立った。

しかし、スコラ社の社長Tさんは、本気であった。

「いわゆる、僧侶の書いた『般若心経』本は、ゴマンとある。しかし、お説教臭くて、面白くも、なんともない。煩悩まみれの、官能作家、牛次郎が書くから、面白いんだよ」

「少し考えさせてくれ。 書くにしたって、何も知らなきゃ書きようがない。勉強しなきゃならない」

社長のTさんは、講談社出身であった。

スコラ社は、講談社の子会社であった。

しかも、高校の門を入っただけで、勝手に出てきてしまったが、都立上野経由東大卒で、柔道部出身であった。

「私は、除籍処分だから」

と告白しているのに、「先輩」と、揶揄(からかう)のである。

その揶揄の中に、親みがこもっていたのであるが。

そのTさんよりも、実は、私の方が心の中に深く喰い込んでくるものがあった。

「般若心経」の企画がである。

そのTさんの話が、切っ掛けになって、私は、仏教の勉強を始めたのである。

もっとも、経典の読誦は、祖母の言いつけで、子供の項から、させられていたというのは、先に述べている通りである。

仏教に関する本で、「これは」と思う本は、すぐに買い込んで“乱読”を始めた。

このころ、私は、東京に出てくると、赤坂のワンルームマンションに住んでいた。

部屋を二つ買って、一つを寝室にして、もう一つを仕事場に使っていた。

その赤坂の本屋で、いつもだったら絶対に買わないような、織田仏教用語辞典を買ってしまった。

なにげなく、ふいっと買ってしまったのである。完全な衝動買いである。

買ってしまったので、読まない訳にはいかない。

しかし、辞典である。

頭から読むこともないので、これも何気なく、開き易いところから、机の上に、ぱさりと開いた。

開いた、その頁を見て驚いた。

私の本名が戴っていたのである。

私の名前は「記」、一字なのである。

発音は「キ」である。

日本人で、こんな名の人は、滅多にいないであろう。

子供の頃には、この名前で、必ず揶揄された。

(なんで、「記」なのであろうか?)

名前に関する疑問は、常にあった。

両親に訊いても、教えてくれない。

両親にも、判らないのである。

それというのも、こういう事なのである。

私の誕生したときのことである。

母親の産道を出て来るときに、足から出てきたのである。

殆んどが、難産になるようである。

私の場合も、例外ではなかったようである。

しかも、私の場合は、私の首に臍の緒が二重に巻いていて、産声を上げなかった。

(これは死産かな?)

と助産婦は思ったようである。

けれども、私の足を持って、吊り上げると、激しく揺さぶって、尻を平手で叩いて、水の中に入れたりして、やっと産声を発したというのである。

こういう子供は、「袈裟かけ子」と呼ぶのだそうで、僧侶になると良いと言われているそうである。

それで、名前を僧侶に付けてもらったところ、「記」と付いて来たのである。

「名前の意味は?」

両親が訊いたが、僧侶は、

「言ったところで判らん。だが、赤ん坊は元気に育つ」

と答えという。

長じて、私なりに調べたが、丸で判らなかった。

どの辞書を引いても、 「書くこと」「日記」「書記」というようなことしか記していなかった。

恥ずかしながら、四十才すぎても、自分の名前の意味が判らなかったのである。

「まあ、作家には向いている名前かな」

と思ったりした。

他に思いようがなかったのである。

ところが、件の辞典のポンと開いてきたところに、おもむろに現れたのが、「記」だったのである。

そこには、簡単な方から言えば、①経典の脚注とある。

そして、

②仏、仏陀が弟子たちに、悟ったか、否か、判定を与えることである、というのである。

それが「記」なのである。

驚愕の他なかった。

さらに、私の手の指先のことがあった。両手の指十本の指紋が、全て渦巻に、巻いていたのである。

一本も“流れ”はない。

このことを、友達の密教(真言宗)の僧侶に告げた。

密教には、真言の他にも、台密と呼ばれる天台宗の密教や、雑密(ぞうみつ)と呼ばれる系統立っていない密教がある。

空海は、入唐する以前に、この雑密を相当に修行し、学んでいたに違いないと言われている。

その殆どを、山岳系の荒修行で、自己を鍛練して、旅から、旅の日々を送っており、あらゆる真言(マントラ)、陀羅尼(ダラニ)、印相(ムドラー)を具足していたと思われるのである。

空海の素質と、具足している密教三密(コビット19の三密ではない。口密「くみつ」、身密「しんみつ」、意密「いみつ」の意味意味の深さと、広さを見抜いて、 後に、入唐(にっとう)後、恵果阿闍梨の門に入るが、阿闍梨は、私度僧の身分で入唐した空海に、伝法灌頂を受けさせたのである。

恵果は、自分の死後は、皇帝から、仏教は、壊滅的な迫害を受けることを、充分に予測し、承知をしていたのであろう。

だからこそ、東海(当時は、日本のことを、そのように、呼んでいた)の小島の国(唐からすれば)に、大量の仏具、曼荼羅、経典等々を、空海に託して、逃がしたのであろう。

そして、恵果の読みは、的中して、大迫害が起こったが、密教は、日本で大輪の花を、万朶と咲き誇らせて、空海密教は今日に至るまで、その法灯を灯しているのである。

ところで、友達の真言の僧侶は、密教占法を熟知していた。

密教占法は、空海が、ときの天皇に差し出した「御請来目録」の中にも見える。

タイトルは、莫迦々々しく長いので、割愛するが、真言僧の中には、これに通じている者は多い。

彼(友人)は、指紋の渦巻の事を告げると、

「それは、僧侶の相だ。修行をしたら、とんでもない霊感の持ち主になる」

「祖母も、母も、霊媒師だった」

「だろう...何宗に行くか判らないが、いずれは、出家得度を受けるな」

と予見した。

その後、その通りになった。

しかし、まだ得度は受けていない。

けれども、例の「記」の謎が解けて以来、

「これは、とんでもないことだ」

というので、仏教の猛勉強を始めた。

しかし、後に判るのだが、仏教は、学問ではない。

実践であり、「宗教」なのである。

釈迦牟尼佛が、紀元前五、六世紀に、創唱した教えを信じて、己の糧として生きるためのもので、文字や思想や、のものではないのである。

禅の世界には、「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がある。

文字など不要であるといっているのではない。

文字は便利であり、日用から、芸術まで、その用途は、広く、深い。

しかし、禅という、特有の世界では、教えの真髄は、文字以外の、日常の何気ないところに、存在しているものなのである、ということを教えている言葉なのである。

従って、いくら文字面のことだけを追って、勉学に励んでみても、それは、 室町時代に盛ん言われた「作家(さっけ)」であって、知ったかぶり、ペダンティズムにすぎないのである。

しかし、私は、作家(ものかき)である。

目下(その時の)の私には、書籍に頼る他はなかった。

知れば、執筆したくなるのは、作家(ものかき)の業(ごう)である。

俄然、執筆したくなって、スコラの「般若心経」を書き終ると、「観音経」の準備に取り掛かった。

「観音経」は、法華経の二十五で、普門品のことである。

相変らず、漫画原作も、小説も執筆していた。

これで宗教書まで入れると、二刀流だったものが三刀流になった。

硬軟ごちゃまぜであった。

「よくも、頭が混乱しないわね」

と、お母さんが、感心して首を振った。

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