第五章 5

落慶法要以後、更に五年が掛かって、遂に、文科省文化庁の単立寺院の「宗教法人『願行寺』」の認証が降りた。

名実ともに、一本どっこで、寺が出来た。

みんな、認証される訳がないと思っていたので、驚愕していた。

「管長さんじゃないですか」

と冷やかし半分で、祝ってくれた。

私は、禅宗系単立寺院という呼び方をした。


更に、三年経過して、「墓地納骨堂の経営許可」が降りた。

それまでは、信者しか作れなかったのが、檀家を作り、お墓を建てることが、出来るようになったのである。

宗教法人は、文化庁の所管であったが、墓地は、厚生労働省の管轄で、地方では、保健所の管轄(当時は)だったのである。

これで、やっと、人並みの寺院になれたのであった。

認証、許可関係で、十年以上掛った計算になった。

短気な人や、飽きっぽい人には、まず無理であろう。

設計を始めて、建築関係の許可まで入れたら、幾つの役所をクリアしなければならないか。

これでは寺院など造る人はいない筈である。

全ての許認可を取り終えて、そう思った。

寺院の建築には、一定の規矩がある。

宗派によって異なるが、禅宗法式を取り入れた。

寺院には、教えである法輪と、寺院を経営していくための食輪(じきりん)とがある。

寺院は、えてして、食輪に振り回されて、法輪を忘れてしまいそうになってしまうのである。

通夜、葬式、忌日法要、その他の儀式の規矩も大切な法輪の一つであるが、更に深まって禅とは何か?もっといえば、仏教、仏道とはなんなのか、その理論を、きっちりと学ぶことこそが、大切なことであるが、そこをもっと勉強して、行かなくては、僧侶とは言えないのではないか。

パソコンと計算器(電卓)で、利益ばかりを追及している僧侶のなんと多いことか。

仏道の本道を、もっと声高に叫ぶ僧侶が、沢山いてもよいのではないか。

理論の勉学を教相という。

現在、人の死にまつわることが、大きく変化している。

葬儀も、家族葬となり、通夜が省かれ、本旨の葬儀も行わず、いきなり、齊場(火葬場) に遺体を運んで、荼毘に付す「直葬(じきそう)」というのが、稀ではなくなっている。

「直葬」が、当然であるとなったとき、日本及び日本人が、営々と築き上げてきた文化は、どこに消えてゆくのだろう。

折角、僧侶になり、一山一寺の住職となり、管長にも成ったのである。

日本の死の文化、死の民俗学の終焉を、この両の目で、確認してみたい。


たまさか、中共を発生とする、コロナの世界的なパンデミックを見、体験している。

生命か、経済か、という岐路に、日本(世界)の政府、地方自治体、各国の国民が立たされている。

死体を巨大な墓穴を掘り、その中に投げ入れている様子は、さながら、この世における餓鬼道を見るが如しである。

経済とは、煎じ詰めれば、金銭の世界である。

貨幣経済であるから、金銭が一文もなくなれば、食料に窮して、帰するところは、餓死となる。

直接的な生命か、経済か、究極的な二者択一を迫られているのである。

その上に、世界は、自由主義陣営か、共産主義(全体主義)陣営かの択一も迫られて、米中を主軸にした、険悪な雰囲気となっている。

アメリカの大統選の前辺りに、南シナ海及び、東シナ海の台湾海峡や、尖閣諸島近辺の日本の領海、領空あるいは、日本の南西諸島の宮古島と、沖縄本島と、宮古海峡辺りで、米中の海戦、空戦が勃発する可能性がある。

戦争は絶対に、やってはいけないのであるが、駄目だ、駄目だと、いっていても、相手の国(中国)が、横暴なことを仕掛けてきても、「遺憾である」ばかりでは、国土を横領されて、国民が凌辱されてしまうことになりかねないのである。

敗戦国の惨めさは、敗戦直後の焼け跡で、いやという程、味あわされている。

敗戦で、最初に酷い目にあうのは、女性、子供、老人である。

敵が攻めてくる前に、日本の自衛隊の力をデモンストレーションするべきである。

それには、日本の現行憲法では、何も出来ない。

憲法の九条、第二項は、改訂して然るべきなのである。

「専守防衛」でなにができるのか。冷静に考慮する必要があると思う。

それも、早急に、改訂しければ、間に合わない。

日本が武力をもって、積極的に攻撃していくことは出来ない。

核武装も、常に出来る支度をしておくだけで、相手は、核を使わなくなるのである。

今、こんな素人の、老人が言う程、米中は、緊迫した状況にある。

米国は、英国、印度、豪州、カナダ、そして、日本と台湾を含めて、連合体制を取っている。

すでにキャリアーシップ(空母)の艦隊を二個、南シナ海に送って演習中である。

これに、ベトナム、フィリピンが参加している。

米国の本気度を見て、中国は、急に怯えだしてはいるが、まだ、尖閣にチョッカイを出している。

日本が憲法を改正して、核も持てる国になったら、絶対に中共も手を出さなくなるだろう。

スパイ法の制定も喫緊である。

さらに、防衛費をGNPの2%乃至3%まで上げる必要がある。

自衛隊員の増員は、当然のことである。

火の粉は、すぐそこまで、飛んで来ているのである。

もう「遺憾砲」では、無理というものである。

この緒戦に、日本が躊躇したら、連合の信用は、がた落ちになるだろう。

ロシアは参戦しない。静観していて、勝馬にのって、漁夫の利をえるのが、ロシアの古来からの戦略である。

かなり、攻撃的なことを述べたが、矛盾しているようだが、戦争は絶対反対なのである。

戦争を避けるため、ミリタリー・ベランスをとれと言っているのである。

言葉だけで、理解しあえるのなら、これまでの世界史の中に、戦争の文字は出てこないはずである。

話し合っても、理解しあえないのが人間なのである。

人は、誰でも、心の中に毒を持っている。

それが、「心毒」なのである。

そして、心毒の海を渡っているのが、人生なのである。

戦争とは限らない。

私自身、ずっと、「心毒の海」で溺れながら、渡ってきた気がするのである。

いや、今も渡っている最中なのである。

色々なことに、追われてきた。

そして、気がついたら六十九歳から、七十歳になろうとしていたときに、人生、最大のピンチが、不意に訪れた。

朝、七時半。起床した。

その時に、步けなくなったのである。

(変だ)

ベットの上に、立ったままで、自著のタイトルを声を出して読んだ。

読めないのである。

言葉にならないのだ。

(やられた!)

救急車を呼んだ。

脳出血である。

それは、そのまま脳梗塞となった。

左脳の側頭葉と、前頭葉を失なった。

言語野を二ヶ所ともやられていたのである。

作家で、僧侶である。

言語を失ったら、絶望的である。

二週間の入院の上、あとは、リハビリ生活である。

(ここで、こうなるとは)

と、しみじみ思った。

(今までが、調子良すぎたんだな)

売り食いの生活が、始まった。無収入である。

多少の印税は、入ったが、それでやれるものではなかった。

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