第五章 1

私は、筆の遅い方ではないと思う。

バリバリとフルドーザーのように書いてゆく。

このときの、私の月収が、どれぐらいだったのかは、自分でも判らない。

経理は、お母さんに、任せていた。

そのお母さんが、

「もう、私には無理です。経理士の先生を探しましょう」

と音を上げてきた。

銀行は練馬(西武池袋線)の駅前の三井銀行であった。

電話をかけて、

「本当は銀行にお伺いしたのですが、とても時間が取れないので、ご相談いたしたいことがあるのですが、どなたか来ていただけませんでしょうか?」

と、お母さんでは無理なので、私自身が、電話を掛けた。

すると、担当者と支店長が訪ねてきた。

家の中は、編集者だらけなので、執筆室の私の部屋に通したが、声が筒抜けになってしまうので、二階に通した。

もともとアパートの設計の家を改良したので、とても使いづらい家であった。

「他に移ろうと思っているのですが、時間がなくて。こんなところで、すみません」

「イヤ、収入から、想像していたのですが、階下にいるのは...」

「皆んな、私の原稿を待っている編集の人たちです。一步も外に出られません」

「イヤー、大変だ。これでは、月収が億単位なのは当然だ。経理士は、ご紹介致します。ご家族の家だけでも、別になさったらどうですか。本当は駅前にビルを建てた方が良いんですけどね」

「いや、それは恐いです。私の仕事は人気仕事です。人気がなくなったら、一気に潮が引くように引いて、誰も来なくなります。流行歌手と同じですよ。今だけです。こんなことは。ですから、そういうことも理解してくれる経理士の先生ですと、ありがたいのですが。原稿料の支払いの計算者は、一枚は私の所にきますが、もう一枚は、直接、税務所に行きます。そして、全て銀行振り込み ですから、支払書と振り込みがピタリと合ってなければいけません。ですから、支出を正確にしないとならないので、問題は、それだけです」

「判りました。そういう先生を紹介します。家も富見台に建売りですが、三井林業がやっている、間違いのないものにします。ローンは、やめた方がいいです。実は銀行は儲かりますけどね」

といって、税理士のAさんを紹介してくれた。

富見台の家も、よくできた家で、気に入った。


しかし、またしても、運の神さまは、とんでもないものをプレゼントしてくれた。

一人息子の病気である。

小児喘息であった。

ともかく咳が酷い。

幼稚園(南蔵寺幼雅園)を卒業したばかりであった。

咳込むと、障子の破れ目から、北風が吹き込んで来るようで、とても、親としては聞いていられなかった。

練馬のこの地区は、十三間道路、環状七号線、及び八号線、新青梅街道に、四方を囲まれていて、お天気が良いと、光化学スモッグの警報のサイレンが鳴るという地区であった。

小児科のお医者さんは、

「空気の良い所に転地療養するのが一番良いんですがね」

と、無理を承知で言っているという雰囲気だったので、私は、咄嗟に、

「熱海なんかでは、どうでしょうか?」

「熱海なら理想的ですよ」

というので、全ての家を売り払って、熱海の水口に、中古の一軒家を購入して、そこに住んだ。

私はホテルを借りて、仕事をした。

しかし、まだケータイもないころだったので、連絡先がないのは困るので、赤坂七丁目に売り出されたマンションを二部屋購入して、一室を寝室、もう一室を仕事場にした。

嫌なときには、イヤなことが重なるもので、そのときに「包丁人味平」が終了した。

「釘師サブやん」が約三年、「包丁人味平」が約五年続いた。

合計で八年間だったが、あっという間の八年間であった。

週刊誌で、毎週々々締切りに追われていた。

殆ど、時間的な余裕というものが無かった。

よく、体を毀さないでやってきたものだと、自分でも思った。

これが一番の幸運だったのではあるまいか、と思った。

体を毀していたら、どんなに、人気のある作品を書いても、それで終りなのである。

どんな仕事に就いても、健康を害したら、そこで終りである。

それは、作家でも、歌手でも、役者でも、政治家でも、実業家でも、まったく違いはない。

健康であることが、たとえば、人気を維持することの源泉であったし、再起をはかることの根源であった。

幸い私は、健康であった。これといった病院やクリニックにも通っていなかった。

ただ、八年間で体重が四十八キロになるまで痩せていた。

それだけ、体力も落ちていた。

(少し休もう)

と思った。

少年誌を少し休んだ。

すでに、四十才に手の届く年齢になっていた。

休みながらも、青年週刊誌の仕事は続けていた。

マンサン(漫画サンデー)で、「鯨魂」を、漫画ゴラクで「パチンカー人別帳」を、他にも小学館のビックコミック・オリジナルで「傘もささずに」など、ちょっと思い出せない数の連載を持っていた。

プレイボーで「走れ、イダテンキング」という連載もやっていた。

とても休める数の連載数ではなかった。

それでも、少年誌をやらない期間は、例の「なにが良かったか」アンケートで、尻を叩かれないだけ、精神的に気がゆるんだ。

青年誌は、少年誌よりも、人気アンケート第一主義ではなかった。

その間に、TBSの「セーラー服通り」や、フジテレビの「消しゴムおあき」など、テレビの脚本の仕事にも、手を染めていた。

テレビは、テレビなりに、視聴率があって、激烈なものがあった。

しかし、それは、それで勉強になるものであった。


歴史の違いなのであろうか、小説雑誌には、そういう読者の人気レースというものがなかった。

もっとも、漫画雑誌ほどの、読者からの読後の反応というものも、余りないようであった。

出版媒体における、歴史の古さや芸術性という面で、漫画を上から目線で見て、まったく異うものだという思いが、小説雑誌側の方にあったのかも知れない。

しかし、今(現在)や、漫画雑誌と、小説雑誌では、書籍コーナー(たとえば、コンビニの)に行けば、現状は、一目瞭然であろう。

しかも、現在では、IT、AI全盛である。

全ては,スマホの中にあるのである。

ニュース、お天気、地図、買いもの、電車の時刻表、食もの屋、LINE、電話、電話帳...その中に、電子書籍がある。

もっぱら、漫画である。小説は読まれない。

そして、ゲームであり、ツイッター、ユーチューブでも、匿名投稿である。

アメリカの大統領までが利用している。

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌は、オールドメディアと呼ばれている。

全てが、スマホの中で完結していくのである。

政府までが、スマホを利用せざるを得ない形態をとっているのである。

そうした中で、作家は、どのように活動していけばよいのか、深く考えざるを得ない。

私は、原稿を四百字詰原稿用紙に、パイロットのブイコーンペンで書いている。

今ごろであったら、PCのワードなどで、打って行くのだろう。

そうすれば、データとして色々なブルートウースで渡したり、アイコンで飛ばしたりも出来るのである。

しかし、私のようなオールドな執筆法だと編集が、面倒なだけである。

判っているのに、手書きで執筆している。

仕方のない爺さん作家である。

この原稿をもう一度、打ちなおすのかもしれない。

以前は文字を植字の人が拾っていたこともあった。

文化が科学や、化学と共に、変貌していくのである。

医学の分野、それも基礎医学となったら、コンピューターがなければ、どうにもならないだろう。

現在、中共製コロナ、コビット19で、世界中が命がけで、テンヤワンヤである。

ワクチンの製造に各国が、一直線で競っているのである。

治療方も開発しているのだろうが、一時は、これでもう大丈夫だろうと思われた「アビガン」なども、プツンと切れて、いっさい音沙汰なしである。

開発に成功したのか、失敗したのか、マスコミも、まるで報道してくれない。

専ら、手洗い、うがい、マスク、人との距離を取る。

こればっかりである。

経済的には、バカの一つ覚えのように、ポイント、ポイントで、これも、要スマホである。

買いものと、旅行で、泊り賃がポイントで安くなるというのである。

なんともはや、つまらないことに、社会が踊らされている。

私は、現在、伊豆地方の伊豆高原に住んでいるが、令和二年の七月の四連休に入っているので、来るわ、来るわ、下り車線は、他県ナンバーの車ばかりである。

この下り車線の何パーセントが保菌者なのであろうか。

なんで、凝っとしていられないのであろうか。

これで確実に、コロナ菌は、大量にバラまかれるだろう。

攻めて来られる方は、実に怖い。

そうかといって、伊豆は、観光立市である。

観光以外の産業は、まったくないのである。

来るわ、来るわの他県ナンバーさんたちが、来てくれないことには、伊豆の経済は廻らないのである。

痛し、痒し、という他に言葉がない。

この状態は、いつまで続くのであろうか。


このコロナを発生させておきながら、インド国境の紛争、南シナ海の人工島に軍事基地を造るは、東シナ海での尖閣諸島への領海、領空の侵犯、軍備の異常な増強。八重山列島の漁民、漁船への威嚇、香港で暴動、ネパールでも、国境を巡って、揉めている。さらに、モンゴルでも、モンゴル語使うなと言うので、騒動が起きていうという。香港では、勝手な法律の制定と、英国との五十年間の一国二制度の世界ルールの破棄、数々の言論弾圧、中共は一体、何様の積りなのか。

まだ、中共コロナは、終焉していないのである。

こんなことをしている中共に、良い結果は、もたらされないだろう。中国の、四方八方で、騒動が、起きているのである。

地球は、この瞬間だけで終るのではない。

日本は一日も早く、憲法の改正で第九条の第二項を改訂しなければならない。それと自衛隊の増強と、軍事費の国民総生産の一%から、二%ないし三%へのステップ アップ。

そして、常に核の持てる準備、ならびに用意。

日本に対して、これ以上の横車を押すときには、迷うことなく、台湾と協力して、三峡ダムの爆撃、破壊の宣告をすべし。

戦争を行ってはならない。

戦争は、愚か者の所行であり、所業なのである。

賞賛に価するものはなにもない。

生産行為ではなく、破壊行為であり、人生を奪う行為である。

賞賛されることは、塵一つ分もない。

しかし、いかにして相手がアタックしてくる前に、積極ディフェンスを取るか。

戦争をしないための心構えであり、ミリタリーバランスである。

家に強盗が侵入してきて、拳銃を構えても、撃てない拳銃では、無意味である。

日本の外国製憲法は、常に拳銃に鍵をかけている。

これでは、積極攻撃を仕掛けている、ヤバイ国には、良いように侮められる。

日本にはスパイ法もない。

ゆえに、我が国に侵入している工作員の、無数さを冷静に考慮してみたまえ。

日本は、育てなおしではなく、造り直しが必要なのである。

もっと賢者の住むのに、相応しい国にしなければならない。

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