第四章 4
“キッチン・ブルドック”廃業後は、記者で、 パチンコをネタに連載したり、ちいさな記事を書くことで、ギャラを貰っていた。
この百八十度の転身に、カホルは、美容室を経営(やり)ながら、さすがに驚愕していた。
パチンコの連載が、終盤にさしかかってきたので、私は「H」氏に、今後のアドバイスを貰うための相談をした。
「原稿用紙で、飯を食うのか? 楽じゃないぞ」
「覚悟しています」
「フリーライターで行く他ないな。いくつかの週刊誌を出している編集部を紹介してやるから、そこで仕事をしてみろ」
「ありがとうございます」
週刊現代(講談社)や、プレイボーイ(集英社)で仕事を貰った。
週刊誌の記者というのは、データマンという足軽記者と、アンカーマンという、データマンが取材してきた、知識人や、有名人のコメントなどを編集の意向に沿った形で、記事をまとめて書いてゆく、将校のような役目とで、成立しているのである。
一本の記事には、タイトル会議というのが、社員である編集部で開かれて、決定される。
ものごとには、肯定と否定がある訳だが、タイトルという目的のはっきりしたものに対して、イエスならイエスのコメントや、事柄だけを集めて行き、アンカーマンの意にそくした記事を書いて行くのである。
それは徹底していた。
そのための裏も取っていくのである。
データマンのペイは、人によって異なるのだが、新聞社から紹介ということで、ペラ一枚五百であった。
私は、その仕事をしながら、夕刊フジでの原稿を一冊に、まとめていた。
出版社から、一冊にしたいという依頼があったのである。
それと同事に、パチンコを題材にして、「釘師」という小説を書いて、「F」という出版に持ち込んでいた。
この頃になると、編集部に持ち込むにも、度胸がついていた。
やがて,「パチンコ入門」という本が発行された。
初めての本であった。 嬉しかった。
私生活にも大きな変化があった。
子供が生れたのである。長男であった。
貰った印税で、新宿に、すき焼を食べにいった。
赤ん坊を傍らに寝かせて、すき焼きに舌鼓を打った。
「美味いか?」
「うん。とっても。それに、なんだか、とっても嬉しい」
カホルが微笑した。
二人して幸福であった。
(人生に、こういうプレゼントが、たまにはあっても良いだろう)
と思った。
「もっと倖せにしてあげるよ。これからだから」
「あたし、思ったよ。お父さんは、何をやっても出来るんだって。絶対、作家になれるよ」
「ありがとう。必ずなるよ。お母さん」
子供が生れたことで、呼び方が、「お父さん」「お母さん」に変っていた。
まだまだ貧乏だったが、二人は、その貧乏に負けないだけの、若さと、貧乏に耐える力があった。
事実、もっと醜い環境にも、耐えてきているのであった。
講談社の、すぐ脇にある、喫茶店の三階で、タイトル会議がある間、待っていた。
講談社で、保っているような喫茶店であったから、どんなに長い時間、ネバっていても、一切、文句がなかった。
そんなある日、突然、声を掛けられた。
「私、少年マガジンのMという者です。副編集長をやっています」
「はあ...私、週現で、ライターでお世話になっている、牛次郎という者です。ペンネームですけど...この間、こんな本を出しました」
「知っています。全部読みました。で、時間がないので、単刀直入に、お話しします。パチンコで、漫画を描いてみませんか」
「え?...」
私は不器用ではないと思うが、さすがに、
「漫画...描けません」
「そうじゃないんですよ。漫画の、今では劇画といってますが、ストーリーを書くんです」
「ああ。脚本みたいなものですか」
「そう解釈されてもいいですよ」
「この間、『釘師』という題で、小説を書いて、F社に持っていったんです」
「それで...」
「預からせてくれというので、渡してきてしまったんですが」
「すぐに取り返してください。読みたい。すぐに読みたいですね」
と、熱意をこめて、言われたので、そのMさんの熱意に負けて、F社から『釘師』を返してもらって、週刊少年マガジンのMさんに渡した。
Mさんは、直ぐに読んだらしく、一週間後に、池袋の有名な喫茶店で会うことになった。
会うなり、Mさんは、
「面白かったです。実に劇画的ですよ。で、お願いがあるのですが、その小説を一度、メチャメチャに、こわして下さい。媒体は、漫画ですから、読者がワクワクして、早く次が読みたい、というものにしたいのです。私のいってること、判りますか」
「何んとなくですが、なんで、ここで終わるんだ。みたいなことかな。世界も、パチンコから、大幅に飛び出していいんですよね」
「そう。その通りです。熱の冷めないうちに、第一回目を書いて下さい。それから、漫画は, 登場人物たちのキャラクターです。背景も含めてね」
家に帰るときに、池袋の本屋で、漫画週刊誌を買えるだけ買った。
少年マガジン、ぼくらマガジン(後に休刊する)、少年サンデー、少年チャンピオン、少年キング(後に休刊)、少年ジャンプの六誌が出ていた。
家に帰るなり、むさぼるように、読んだ。
どの作品も、終わり方に苦労しているのが判った。
子供の頃の紙芝居を思い起こした。
どうしても、明日も観たくなるように、終わらせていたのだ。
「あれだな...」
と、思わず呟やかされた。
第一回目を夢中で書き切った。
小說は、Mさんの言う通りに、換骨奪胎して、キャラクター第一主義に徹底した。
第一回目の原稿をMさんに渡した。
原稿を目の前で読まれた。
その、つまり読れている間、とてつもなく緊張した。
Mさんの顔は真剣そのものであった。
私は、口から心臓が飛び出そうになっていた。
読み了えた。
「...」
「...」
Mさんは、何もいわない。
私も、何も言えなかった。
が、――(どんなダメを出されるのだろう)
口がカラカラになった。
喫茶店で会ったので、目の前に水はあるのだが、飲めなかった。
と、――
「よく考えましたね。出だしが秀逸だ」
漫画は、ビッグ錠であった。彼が考えてきた、主人公、ライバル、脇役には、一本取られた。
特に、ライバルの美球一心が、任侠もののように着流しスタイルだったのには、(負けた)
と正直に言って、思った。
しかし、漫画には、まだなっていない。
「引きもいいですよ」
「どこか、ヤバイとこないですか?」
「題材が、パチンコということですよ。一大欠点にも、一大長所にもなります。編集会議でもめると思いますけどね。面白かったら勝ちです。全員が反対しても、押し通します」
連載が始ってから、毎回、色々なことを教わった。
劇画原作をしていく上での最大の恩人であった。
牛次郎の生みの親であった。間違いなく。
タイトルは「釘師サブやん」で、これは、私がつけた。
その「釘師サブやん」は、第一回目から、ドカンと、音の鳴るような評判を呼んだ。
少年誌では、意表を衝くものだったのである。
その評判は、二回、三回と、回を重ねるうちに、ドンドンと“お得意さま”が増えてきた。
Mさんが、「思った通りでしたね」と、ニコニコしていった。
私は、(原稿料っていくらぐらいなのかな...) と思っていたが、口に出せることではなかった。
まったくの新人なのである。
(週刊誌のアンカー分ぐらいは、くれるだろう)
と勝手に見積っていた。
ところが、銀行口座に、振り込まれた金額を見て、驚愕した。
アンカーどころの金額ではなかった。
その、十数倍の金額が、振り込まれていたのである。
美容室の売上の、十倍以上になっていたのである。
私は、お母さんと、
「手が震えるよ」
と、貯金通帳の金額を、何回も見直していた。
「どうする?」
「どうするって?...」
「この金額が、毎月、入ってくるんだぞ」
「だよね。お父さん...」
ところが、Mさんが、
「牛さん、もう一本、書いてくれないですか?...」
と注文して来てくれたのである。
エイトマンで知られている、桑田次郎さんと組んでくれというのである。
「カワリ大いに笑う」というタイトルで、連載が始まったのである。
原稿料の方は、「釘師サブやん」がヒットしていたので、黙っていても、上がっていた。
しかも、二本だったのである。
倍々ゲームであった。
子供も生まれたので、子育てのために、美容室の方は、やりたいという人がいたので、その人に売って、東伏見のマンションに引っ込した。
西武電車が、マンションのすぐ脇を通っていたので、電車の音が煩くて、
「これは執筆できないなあ」
というのと、大家さんは、いい人だったのだけれども、趣味で、蜜蜂を飼っていたので、蜂が飛んでくる。
子供は、やっと立って歩けるという頃だったので、蜂をよけることはできなかった。
「これは危ないよ。引っ越すか?」
ということになった。
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