第四章 3
(注:新たに推理小説「クリティカルな球体」をスタートさせました。いま、3話目です。合わせて、ご愛読をお願いいたします。 牛次郎)
退社した後、もう一度、ベーシストで稼ごうという気にはなれなかった。
美容室の階下が空いていた。
何の店舗であったかは、失念したが、お店店をやっていた。
表通りに面していた。
通りの向いには、巨大な団地が建っていた。
人口は、二千世帯ぐらいはあると思われた。
誰もが、人口数を見込んで、寿司屋、そば屋が、すでにオープンしていた。
建築が丁度、終わった段階であった。
まだ、団地の棟にも、人は入っていなかった。
そこで、
「ここで洋食屋を開こう!名前は『キッチン・ブルドック』にしよう」
というので、信用金庫に飛び込んだ。
開店資金を借りるためである。
信用金庫には、何度も足を運んだ。
多少の貯金も出来ていたので、その金で口座もつくった。
こちらの誠意が伝わったのか、融資してもらえることになって、カウンターが四人で、テーブル席が四人がけで五つという規模の店であった。
勇躍して、キッチンをオープンした。
しかし、半年で、店をやりたいという人が現われて、私は、迷うことなく、その人に店を居抜きで売った。
なぜ、半年で辞めたのか。
理由は、客筋が、あまりにも悪かったのである。
団地を当てにしてオープンしたが、その団地に、入居してきたのは、その年は、オリンピックの前で、山手線、京浜東北のガード下で、ダンボールハウスで生活していたような人たちを、オリンピックのために、街の景観が悪いというので、彼らを入居させるために建てた、都営団地だったのである。
いくら人口があっても、入居者の質が、箸にも棒にも掛からなかったのである。
私は、すぐに、辞めることを考えた。
一日でも早く辞めたかった。
営業すればする程、赤字が増えていくことが、勘で判った。
ズルズルやったら危ぶないと思ったのである。
新築営業中の店である。
信用金庫に相談にいった。
「体調が悪く、病院に入院しなければならなくなったので、開店半年目で、本当に残念なのですが、誰か、キッチンをやりたいという人がいたら、紹介していただけませんか?」
練馬区である。
土地成金の農家が、沢山いた。
そうした農家の中に、息子がコックをやっていて、独立したがっているという人がいた。
渡りに舟のような話であった。
事実、開店半年目なのである。
私の言い値で、息子のために即金で買ってくれのたである。
正直にいって、造ったときよりも高値で売れた。
半年分の赤字も消えて、借金は、全て返せて、利益が出た。
カオルは、「牛ちゃん。あんた、商売人だね」と感心した。
「見切りが大事なんだよ。ズルズルやってたら、蟻地獄に、はまるところだったんだよ」
と、舌を出して、お互いに笑った。
しかし、次に何をやれば良いのか?
このまま、失業という訳にはいかないのである。
本当に、商売程、当たれば凄いが、外れたときは怖い。
いける、駄目だは、始めてすぐに、勘で判る部分があった。
辞めるときには、絶対に、未練を持たないことであった。
一週間ほど、ブラブラとしていた。
駅前の喫茶店で、新聞を読んでいた。
産経新聞であった。
「西陣」のときと同じで、またしても、新聞に救われた、
いや、救われる予感がしたのである。
それは、一種の広告であった。
一面の、かなり目立つ所に、割合い大きなスペースで、「まったく新しいサラリーマンのためのタブロイド版で、夕刊紙、登場」とあった。
內容は、政治・経済・社会・スポーツ・芸能情報とあって、ここまでで私が目を奪われるものは、なしであった。
しかし、その後で、競馬・競輪・麻雀情報満載とあった。
このギャンブル系の記事が、私の視界に、強く飛び込んできたのである。
発行、発売は、産経新聞社であるという。
新聞の名前は、「夕刊フジ」であった。
ギャンブルの俗諺に、立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿は馬(車)券買いというのがあった。
まさしく、かつての私の父親の姿をたとえたようなものであった。
私自身は、父親の背中が、反面教師となったのであろう。
ギャンブルと名のつくものは、一切やらなかった。
パチンコも、機械を売って歩いた(退社の頃は、営業部にいた)が、自分でやることはなかった。
機械の営業をやっていたら、勝てるか勝てないかは、嫌でも判る。
土台、あの騒音が、たまらなく嫌であった。
しかし、それとは別に、パチンコに関する知識は、豊富に持っていた。
持っていなければ、営業は出来ない。
「夕刊フジ」のギャンブル面には、ある意味で、ギャンブルの王者である、パチンコが載っていなかったのである。
喫茶店に頼んで、その産経新聞を売ってもらった。
夕方だったので、記事(広告)の出ている朝刊は、もう売っていたかったのである。
「サービスです。どうぞ。もう夕刊もきてますから差し上げますよ」
とマスターが呉れたので、お礼を言って、 ァパートに帰った。
店をドアのガラス戸越しに、美容室を覗くと、カホルが、お客さんの髪を真剣に結っていた。
部屋で、再度、例の広告を読んで、真剣に考えた。
駅近くの文具店で、原稿用(四百字づめ)と、ノートを買ってきた。
(何故、パチンコが抜けているんだ?)
それが大きなヒントであった。
原稿用紙のはじめに、「パチンコ必勝法」と書いた。
「パチンコで、 何故勝てないかのか? その謎を解くのが、この欄の一大死命である。勝ちたいと思う方は、この連載を欠かさずに読んで下さい。パチンコの真実の姿を次々と暴露して参ります。第一に、無数に打たれている釘ですが、一本として、無意味な釘はありません。たとえば、ストレートと呼ばれている、両側の釘ですが、ハカマの両側の釘の位置と、穴の真上の両方の釘は、はじめから、工場で製作されるときから、図のように、ずれているのです。(と図を自分で描いて)。玉は、直径十一ミリです。入らない訳がお判りでしょう。この図面をゲージ表といって、パチンコホールの秘中の秘なので...云々」
と第一回目の原稿を書いた。
これに、ノートの方に、二回目からのタイトルと、その要点を書いていった。
これを持って、
「早い方が良いだろう」
というので、翌日、産経新聞の大手町に向った。
(普通の格好では、印象に残らないな)
と思って、Tシャツに、ジーパン。素足に、 いつも履いている下駄でいった。
ビルの中で、下駄の音が大きく響いた。
入口で、守衛に止められたが、
「夕刊フジの著者です」
と堂々といった。
ついで、編集部の場所を訊ねた。
(さて、誰に言うか?)
編集部に着いて、思った。
(真ん中の偉そうな人にいっちゃえ)
と報道の札の下がっているブロックの大きな机の前に座っている人にぶつかっていった。
(ダメモトだからな)
という気持であった。
「あのう...夕刊フジには、キャンブル面がありますね。なんでパチンコが無いんですか?」
単刀直入に言った。
「書ける人、いませんよね 」
「その通りだ。パチンコの裏側なんで...」
「書けます。西陣という機械メーカーにいましたから...これです。原稿...」
「オーイ、ギャンブル班、助けてくれ。変なのが来たぞーッ!」
と叫んだのが、報道部長の「H」氏であった。
残念ながら、数年前に、癌で亡くなられた。
文字を書いて、それを職業にするとになった。
第一番目恩人であった。
叫びながら、原稿に目を通していた。
超のつく速読であった。
これがプロなのだだろうな、と思わされた。
「これだけか?」
「あとは、これです」
とノートを開いて出した。
これも、素早く、目を通して、
「面白いよ...で、文章は? ...」
「初めて書きました。これを見て」
と例の広告の載っている古新聞の広告面を見せた。
そこへ、ギャンブル班の親分の「M」さんが来た。
産経三筆の一人といわれる、文章の達人だった。
勿論、後から知ったのである。
その「M」さんが、付きっ切りで、文章の“てにをは”から、教えてくれたのであった。
新聞の中面の方には、ことば(流行語)。“ひるめし”等々の細かい記事が数々載っている上に、ターミナルという町々の面白い話が載っている。
大抵、ペラ(原稿用紙四百字の半ペラ)で二百字のことであるが、一枚でまとめてある。
小さい記事だし、他の記者たちは、だれも書きたがらなかった。
私は、「ここだ」と思って、“ことば”では、バントマン用語をたとえば、女性を“ナオンちゃん”タクシーを“オートン”という具合いに、ペラ一枚で、どんどん作文していった。
青山通りには、いつも新しい店がオープンしていたので、紹介したし、新宿二丁目の店や、ショーパブのショーを紹介したり、ときには、カレー屋と、そば屋も、“ひるめに”で紹介した。
それらの原稿を束にして、「H」氏のところに、タイミングを見て、提出した。
すると、「H」さんが、
「ほう、目の付けどころが良いね。ペラ一枚の原稿は、なかなか書きたがらないだろうから、それを一手販売でか。うん、Mちゃんのお陰で、文章も、読めるようになってきたな。いいか、やってはいけないこと。先ず、駄下を履くな」
「はい。スニーカーにしました。赤ですが、コンバースです。ジーパンには、 赤のコンバースと白のTシャツです。タウンに書きました。十才、若く見えるって」
「それでも稼いだのか」
爆笑した。そのあとで、
「短かい原稿を何枚も書けば、かならず上手くなる。基本なんだ。作家は誰が好きだ?」
「はい。志賀直哉の短編と、松本清張の短篇です。殆んど読んでます。川瑞康成と、三島由紀夫は、飾りが多すぎて、好きになれません」
「成程。しかし、続むだけじゃ駄目。好きな作家の書き取りをしろ。一番勉強になるぞ、頑張れ」
「はい。時間のある限り、書き取りをします」
「お前の書いたペラ原稿の枚数、経理に伝えておく。金が必要な時は、経理に行け」
「はい」
「ぺラ、もっと書け。新聞だ。創作するなよ」
「はい。事実を書きます」
「あ、それからな。パチンコの連載、面白いよ。編集部にファンがいるぞ」
「え?誰ですか?」
「編集長だよ。あの人、パチンコ好きなんだよ。判らんなあ」
「判りませんでした」
「連載、伸ばせ」
「ありがとうございます」
お蔭で、 パチンコの連載と、小間物記事の執筆で、中堅記者なみの収入になった。
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