第四章 2

私は、二十六か七才になっていた。カオルは三十位であった。

「牛ちゃん。やっと堅気の仕事になれたね」

とカホルがいって、嬉し涙をこぼした。

「泣くなよ。苦労かけてごめんな。区役所に婚姻届け出しに行こう」

「うん。良かった。何にも苦労なんか、してないよ」

やっと新婚家庭らしくなった。

テレビと、冷蔵庫も買った。

やっと台所のある家に住めるようになったのである。


それにしても、またしても、転身であった。

今度の恩人は、新聞広告と、音楽であった。

二十万円の給料取りであった。

それに同額位の残業代があった。

社長の意向で、音楽の練習が、六時、十時まで続いたのである。

それが連日であった。

これでは、そういう額になっても、仕方がなかった。

その分、体もくたくたになってくる。

それよりも、入社して驚いたことがあった。

「(株)西陣」という社名から、センイ関係の会社かなと思っていた。

それが、なんと、パチンコの台、つまり機械を造っている会社で、都内のシェアーは、八割という、トップメーカーだったのだ。

楽団を作るというのは、社長の趣味と、税金対策だったのである。

「西陣」には、三年間程勤務したが、社長が会長に退き、やがて他界したので、音楽関係で入社した者は、居ずらい雰囲気となって、次々と退社した。

こういうこともあるかとって、私は、カホルと相談して、アパートの二階の一部を特別契約をして、美容室に造り変えて、カホルに「L美容室 」として、営業させておいたのである。

入社一年目に、このことは実行していた。

カホルは、私の行動力の早さに驚いていたが、私は、

「いいか。オレたちには、東京に頼れる者なんて、誰もいないんだ。なにごとも、二人だけで、切り拓いていく他はないんだ。会社だって、社長が会長に退いた。会長は三十貫以上もある、相撲取りのような巨体なんだ。絶対に糖尿病 があるよ。いつか倒れる。そのときには、音楽関係で入社した者は、成績に関係なく、居づらくなる。そうなる前の用心で、美容室をやっておく。カホルだって、自分の店を一度は持ちたかったんだろう」

「うん。おカアちゃんを呼んで、見せてやりたい。牛ちゃんは、本当は凄い男で、ベースだって、あの歳から初めて、とうとうNHKのラジオ番組で、生ギターとバイオリンとベースという、難しいトリオで演奏したんだもの、普通は出来ないよ。それで、作曲家の先生のところに、編曲まで、勉強にいって、実際に、ジャズのフルバンドのアレンジまでやって、その上、美容室まで造っちゃうなんて、偉いよ。本当は、牛ちゃん、大丈夫かなって、心配していたんだよ。祐天寺のオバさんもね。でも、日比谷の野外での演奏を聴いて、よくあんな難しい音楽弾けるねって、感心してくれたけど...凄いよ」

と、いきなり抱きついてきた。

涙をにじませていた。そして、

「あたし、一度失敗してるから、二度目は、絶対に失敗したくなかった。牛ちゃんが、ヤクザになっていたら、別れていたよ。でも、この人は大丈夫だって信じていたもの」

と言った。

私が、冗談で、

「これからだって、ヤクザに成れるぞ。この顔の傷なんだから」

言った途端、「莫迦!」と言って、私の衣類を脱がせ始めた。

「倖せか?...」

「うん。とっても...」


美容室を開店すると、熱海からおカアちゃんが、一人でやって来た。

店を見て、「良い店だねぇ。カホちゃんには勿体ないくらいだよ...」

早くも、お客が二人入っていた。

東北出身と八丈島出身の十代の見習いの女の子が入店して、カホルのアシスタントをしていた。

新聞で募集した、住み込みの子たちであった。

運良く、アパートの一室が空いたので、素早く、そこを借りた。

「牛ちゃん。ありがとね」

私が会社から帰ると、おカアちゃんに、そう言われた。

「いえ。カホルには、今まで、いやという程、苦労を掛けたから、それに、人生、なにが起るか判らないから、お店の一つぐらいもってないと。東京では、誰も救けてなんか、くれないから」

「そういう考えであれば、怪我はしないよ...」

「はい...」


確かに、人生、何があるか判らない。

若いときの苦労は、「苦」にならない。

「楽」も同居しているからであった。

しかし、晩年に至っての苦労は、「生苦」になる。

次に来るのは、「老苦」と「病苦」であった。

「死苦」で、釈尊の説かれた「四苦」となるのであったが、さて、「死」は「苦」なのだが、八十才の私には、諦かでなくなってきた。

「死」の先は、寝ているのと変わらない気が、なくもないからである。

故人を供養するのは、生きている者たち、故人を思い出し、偲んあげることである。

自分が生きて来た、その隣りに、一緒に生きて来た人をなおざりにせず、悪口を言わず、一緒に生きて来たことを「ありがとう」と思う。

しかし、それは死者には、判らないかもしれない。

が、生きている者たちは、そうせずにはいられない。

人としての道なのである。

故人を供養するのは、故人のためではなく、供養する人のためなのである。

供養する人が安緒して、納得するためなのである。

納得は一段階の悟りなのである。

本当の苦は、生きているときに、次々に来るのである。

老い、病い、仕事の苦労、人間関係の苦労、遂に、孤独の苦、愛別離苦、枚挙に遑がない。

それが、「生、老、病」の「三苦」なのである。

「死」は、臨終を境に「三苦」から解放されることである。

「本当に楽か?」と死者に訊いてみることである。

若い内の苦労は、考え方しだいだが、挽回出来る。

野球の初回から三回位までの失点は、挽回できる。

八十才となると、九回裏である。

そこで七点はなされていたら辛い。


私たち二人、夫婦は、まだ若かった。

私は、美容室開店後、二年間勤務したが、会長が亡くなり、楽団は解散した。

音楽で入社したものは、居ずらくなって、次々と退社していった。

私も、退社した。

(さて、どうする? ...)

私にとって、何度目の転身であろう。

正直、私自身、巨大な力で、弄ばれている気持ちになった。

昇ったと思ったら、次の瞬間に突き落されてきた。

何度、流転したら、この巨大な力は、私を許してくれるのだろうと、真剣に思った。

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