第四章 1

「歴史」というのは、専門の学問になっている。

歴史の中心に、日本だと天皇を据えるものもある。

たとえば、日本史の基礎資料の一つである「大日本史料(東京大学史料編纂所・東京大学出版会刊)は、仏教の「大正新脩大蔵経(大正新脩大蔵経刊行会発行・大蔵出版発売)と並んで長尺発行物であるが、この「大日本史料」は、天皇別に、研究班も編成されていて、研究、編纂もされている。

帝国大学の時代から刊行されていて、「東京大学」となった今日も、研究、編纂は終了していない。

刊行中なのである。

先ずもって、気の長い刊行物である。

目的時代の記事を探すのも容易ではない。

今、無作為に自分の書庫から抜いてきた一冊は、「第二編之二十、後一條天皇、自 治安三年十二月 至 萬壽元年十一月」とある。

全て、後一條天皇の一日々々の御日常を記事にしてある。

気が遠くなる刊行物である。

これを神田神保町の某古書店から購入した。

私もどうかしている。

まだ、刊行中なのである。

しばらくの間は、購入を続けていたが、自分の年齢、八十歳というのを考えて、購入を中止した。

「歴史」の“ 歴”は、「出来事」である。「史」は、その出来事を「記録する」ことを指す。

両者を合成して、「歴史」というのである。

だが、「歴」は、種々なことがあるはずである。

「大日本史料」は別にして、他の史料類は、大旨(おおむね)、戦さ、戦争の記録に終始している。

もしくは宗教、仏教、神道の記述なのである。

ならばと、「大正新脩大蔵経」を手に入れて、読もうとしたが、すべて漢文の、しかも白文である。

「国訳一切経」(大正新脩大蔵経の中のものでも訳されていないものもある)と合わせて読むことにした。

この「国訳一切経」も、大部のもので、引き方を勉強しないと、目的に辿り着けない。

先ず、梵(インド) 、漢(中国)、和(日本)讃のいずれなのか、から始まって、次に経典のブロック別となる。

経・律・論に分れ、経部では、各経典の年代順に分類されている。

たとえば、般若部、法華部といったものなのだが、不思議に“浄土経部”は、「大正新脩大蔵経」にも、「国訳一切経」にも入っていない。

私には、理由が不明である。

例によって、書庫から無作為に一冊、抜き出してきた。

「和漢撰述83、論疏部九、瑜伽論」(大東出版蔵版)とあるが、新たに版をおこしたものではなくて、写真製版なので、文字が欠けていたり、頁全体がぼやけていて、大変に読み難い。

私には、虫眼鏡が必要である。

しかも、当然だが、全て旧字である。

「皈命」とあるのは「帰命(きみょう)」である。

机の脇に、角川中漢和辞典、字源、大字源を置いておかないと、新制教育を受けてきた者には、チンプンカンプンである。

ちなみに、目次の一部を引くと、瑜伽論記(ゆがろんき)解題(加藤精神訳)、瑜伽論記(釈道倫集撰)

「本書は、『婆沙論(ばさろん)』二百巻『智度論(ちどろん)』百巻と共に、仏教基礎学として、最も重要なる根本論典たる...」

とあって、普通の人は、原本(国訳一切経)を見ただけで、頭が痛くなる。

偶然にこの本を抜いてきたが、論書(経典の解説書)である。「智度論」は「大智度論」のことを指していて、大智度論は、仏教の百科辞典とも言われている論書のことである。

漢訳者は、“竜樹”で、鳩摩羅什(くまらじゅう)も訳している筈である。

二人とも、“菩薩”とも呼ばれる、三蔵(経・律・論の蔵)法師である。

と、行きがかり上、やたらに堅いことを書いてしまった。

申し訳ない。


「歴史」のことであった。

その殆どが、戦記で充満していて、たまに、仏教や神道が登場するもの、と定義づけたくなるのである。

また、歴史ものは、戦記ものだから、多くの人に、愛読されるのである。

官能小説はきわものであるから、飽きられるが、歴史小説は、ロングセラー書になるのである。

舞台が、昔だから、古くなることがないのである。

ものごとには、“不易と流行”という言葉がある。

不変のもので、変えてはならないもの、変えようがないものが、不易である。

対して、“流行”は変化していくものであり、状況に合わせて変化していくものなのである。

「不変と変化」によって、ものごとは出来ているのである。


私は、川崎でバンドマンをやっていた。

音楽が、魅力的なものであるというのは、不易で、不変的なものである。

しかし、音楽の分野や、演奏法というのは、激しく、流行的なものであった。

音楽の、たとえば、私が仕事として演奏していたベースに、例を取れば、クラッシック、アルゼンチンタンゴ、ラテン音楽、コンチネンタルタンゴ、ジャズ、歌謡曲と、それは枚挙に遑がないほどである。

ジャズにしても、デキシージャズ、 スイングジャス、ゴスペル、モダンジャズと、さまざまであった。

日本人に入ってきてない分野の方が少ないであろう。

その中で、私は、アルゼンチンタンゴのバンドに、入ってしまったのである。

このアルタンバンドで、私は、三年間位いて、ともかく基礎的なベース奏法を身につけなければ、身動きが、取れなかったのである。

三年間の間に、譜面は、初見(初めて見た譜面で、すかさず演奏すること)でも、相当難しい譜面でも、演奏できるようになっていた。

そして、音程が正確になると、他の楽器と共鳴をするので、音量が大きくなるのである。

ボーイング(アルコともいう)も、リズム系から、長い、メロディックな音までが、ビブラートをかけて、弾けるようになっていたのであった。

三年間、毎日、練習もして、ステージで演奏してきたのである。

そうなって、当然であった。

あるとき、ピアノの「S」さんが、退団することになった。

辞めていく日に、

「牛ちゃん、お前本当に、上手くなったよ。お世辞じゃないぞ。どこに行っても通用するぞ」

と言ってくれた。

こんなに嬉しい言葉はなかった。

思わず涙がこぼれそうになった。

私の月給は、最低であった。二万五千円であった。

休憩時間にたべる食事は、三年間、一皿二十五円の焼そばと、水であった。

これに、祐天寺からの定期代が掛かった。

一切の贅沢は言えないのであった。

貰った月給は、全てカホルに渡していた。

カホルは、愚痴もいわずに「ご苦労様です」といって、袋ごと受けとった。

そんなときに、日比谷の野音(野外音楽堂)で、アンゼチンタンゴのバンドが、数組出演することになった。

タンゴの夕べ的な催しだった。

チケットを二枚貰ったので、カオルと祐天寺のオバさんに渡した。

「ぜひ、観にきてよ。藤沢嵐子も歌うよ」

とチケットを渡した。

私たちのバンドは、前座のようなものだったが、拍手が湧いて、次のバンドが出演した。

それでも、四、五曲は演奏した。

どのバンドも、うちより上手であった。

楽屋で、楽器を仕舞っているとき、長身の男性が近寄ってきた。

名刺を出してきた。

「N」氏で、オルケスタ・ティピカ・アルヘンティーナというアルタンバンドのリーダーであった。

私も名前を告げた。

「君のベースの腕、聴かせて貰ったよ。川崎で弾いているのは勿体ないね。うちに来ないか?丁度、ベースが辞めるんでね。テストは、今日の演奏で充分だよ」

「え?...」

「バンドマンは、腕に見合ったグループにいかないと、上達しないよ。ギャラは、五万(ゲーマン)でどうかね?その気になったら、名刺のところに電話くれる。早い方が良いよ。候補は、何人かいるから。じゃあ...」

と足早に去っていった。

(これって、スカウトされたってことか?)

私は、カホルに、このことを伝えた。

「月給が倍になるんだったら、良いんじゃないの」

といった。そして、

「今日、初めて牛ちゃんのベース聴いたけど、凄く、ブンブン唸ってたよ。オバちゃんも、牛ちゃん、上手いんだねって、感心していたよ」

と微笑した。

オシャレをしたせいか、カホルが綺麗に見えた。

祐天寺から、新宿に通うようになった。

新しく移ったバンドが、新宿の、歌舞伎のコマ劇場の、前の広場に面した、ビルの八階で、ムーラン・ルージュという大きなキャバレーの専属バンドだったからである。

川崎とでは、まるで雰囲気が違っていた。

川崎のバンドを辞めるときに、ちょっと、言いだし難かったけど、思い切って事情を言ったら、

「そうか、スカウトされたのか。よかったな。頑張れよ」

と明るく送り出してくれたので、ホットした。

新宿には四年いて、分野違いの、ジャズのフルバンドに移ったり、コンボに移ったりしていたが、ふと、バンドマンの将来性を考えたりするようになっていた。

そんなときに、喫茶店で読んでいた新聞で、「西陣」という会社が、「音楽家を募集します」という広告を見て、「うん?なんなんだ」と思って、応募してみることにした。

社長の自宅が、麹町にあって、そこで、テストの演奏をさせられて、「合格」となった。

「社長が、若い時に、音楽が好きで、ミュージシャンになりたかったんだけど、家業を継いで、工場をやってきて、現在の『西陣』という会社で成功した。そこで、昔の夢がふくらんで、社内に、本格的な楽団を作ろうと思い立ってね。社員に音楽家を、という発想になったんだよ。音楽の練習のときは、残業代も出ます。勿論、賞与も出ます。他の一般社員と同じようにね」

というのが、バンジョーを弾いているSさんの説明であった。

合格の後で、私の身辺調査などもあったらしい。

出社する前に、支度金で「三十万円」が出た。

初任給二十万円が出た。

カホルに、「オレ。音楽は、ノンプロになるよ」

とこれまでの経緯を話した。

「これで、オバさんのアパートの四畳半から出られるな。もっとまともなアパートが借りられるよ。美容師から、専業主婦に、なっていられるな」

と練馬の上石神井に、二間のアパートを借りた。


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