第三章 5
私も、カオルも若かった。
若くなかったら、急にバンドマンに成るなどという、冒険的な転身はしなかったであろう。
ここで、筆を休めるような、愚論を述べる。
ここまででも、ご理解がえるように、私の人生は、転身につぐ転身、転職の連続であった。
小三の時の新聞配這を皮切りに、常に働いてきた。
学業は、決して嫌いではなかった。
ただし、中三のときの英語の時間は、嫌いであった。
英語が嫌うだったのではない。
教師が、喧嘩をしたくなるほど、大嫌いだったのである。
金持ちの子供と、貧乏人の子供を明白(ハッキリ)と区分して接していた。
その姿勢が、たまらなく嫌だったのである。
読書が好きだった。
どのような本でも、楽しく読めた。乱読であった。
古本屋で安い本を購入した。
熱海には、古本屋一、二軒しかなかった。
仕舞いには、古本屋の棚にある本を殆ど記憶してしまった。
若いときの記憶力というのは、素晴しいものである。
そして、若いときに読んだ本は、記憶に残っているものである。
私は、イマ風に言うとミュージシャンということになるのであろうが、三十才手前までやっていた。
しかし、オヤジが結核になったので、自然解散となった。
(さて、どうする? )
生活が掛かっていた。
ベースはどうにか、音にはなっていたが、感覚だけで弾いていた。
コードネームだけで、弾くことはできたので、ジャズのコンボバンドでなら、仕事が出来るかもしれないという気持ちはあったが、これまで、家族バンドで、ナアナアでやってきたのである。
今後は、他人だらけの中で、やっていかなくてはならないのである。
とても、自信はなかった。
しかし、折角、苦労して覚えたベースを捨てるのも躊躇された。
カホルとも相談したが「あなたが好きな道を選んだ方が良いよ」と言うばかりで、結論はでなかった。
そんなときに、以前から「M」というカウンターだけの小さな喫茶店のマスターと知りあいになっていて、何気付く、バンドが解散になって、次に行くバンドのあてがないことを呟くようにいうと、マスターが驚くようなことを言った。
実はね。ボクは、熱海でこの喫茶店を始める直前まで、東京で、ベースを弾いていたんだよ...」
「え?本当ですか?なんていうバンドですか?」
「東京キューバンボーイズだよ」
「え?超一流じゃないですか。そこを辞めるなんて、勿体ない」
「うん。でも、ちょっと内臓をこわしてね、プレイが出来なくなったんだよ...」
「知っての通り、熱海なんて、こんな小さな町ですからね。バンドの数なんて限られていくから...」
「それは、そうだね。東京でよかったら、訊いてあげるよ」
「ありがとうございます!」
それから一週間後に、マスターから、
「一つあったよ。君に向いてそうなとこ。川崎なんだけどね。ダンスホールの専属バンドで、タンゴバンドなんだ。勉強になると思うよ」
と天から降ってきたような話しが、舞い込んできたのである。
その話をカホルにすると、
だったら、あたし、東京の祐天寺のオバさんに、相談してみようか?美容室をやっているから、使ってくれるかもしれないしね。アパートを二階でやってるから、そこに住めるかもしれない」
と言って、電話でオバさんに相談した。
オヤジさんは、すでに故人になっていた。
オバさんは、ケイコちゃんに連絡をとってくれた。
ケイコちゃんが、あらましのことを、 説明してくれて、
「まさか、お父ちゃんが、病気になるなんて、考えもしてなかったからね。牛ちゃんは、お父ちゃんに、強引にベースをさせられたからねえ。牛ちゃん、自分でベースの仕事を見つけたんだ...」
「うちも、美容師がいなくて、困ってたんだょ。カオちゃんが来てくれるんなら、大助かりだよ。丁度、アパートの二階に、部屋が一つ空いてるから、大丈夫よ。牛ちゃんが来たって」
と話がトントン調子で決まった。
大きなベースと、最低の荷物を持って、東京の祐天寺に引っ越した。
アパートは四畳半で、トイレも、水屋も共同であった。
それで、オバさんは、私の分までの食事付で、迎え入れてくれることになった。
問題は、私のベースの腕である。
タンゴバンドは、ジャズのコンボと違って、オ-ル譜面で演奏するということであった。
しかし、私は、まったく譜面が読めなかった。
しかも、ボーイングといって、弓で演奏する部分が多いことであった。
折角、ベースの仕事があったという“幸運”に恵まれたというのに...
私は運が良のか、悪いのか?
この場合は不運のせいにしてはいけない。
私のベース腕が、水準以下であったからなのだ。
ミュージャンは、ああも、こうもない。実力の世界なのである。
折角、「M」のマスターという“天使”にめぐり会えて、仕事を得たというのに、幸運のテッペンから、急転直下で地獄行きであった。
自分で、「嘘だろう?」というのが、“私の人生”であった。
ともかく浮き沈みが、激しかった。
山の頂きに、幸運にして登ったと思った途端に、次の瞬間には、谷底に突き落とされていた。
どちらかというと、谷から這い上がろうとして、もがいている期間の方が長かった。
殆んど、楽であった期間は、なかったように思えてならない。
バンドリーダーに、近くの喫茶店に呼ばれた。
(クビだな...)
と覚悟した。
そうなっても仕方のない状況であった。
「今迄、ご面倒お掛けしました」
と頭を下げた。
「どこか、行けるバンドあるのか?」
「いえ...ありません」
「うん。本当はクビのパターンなんだけどさ...」
「はい」
「面白いことに、ピアノSさんも、バイオリンTちゃんも、バンドネオンのKさんもさ。良いじゃないの、メモリーでジャズナンバーやれば、音は唸るように弾いてくる。ただ、アルタン(アルゼンチンタンゴ)の経験がないってことと、譜面が読めないだけなんだよ。慣れたら、良いベースになると思うよ。バンドボーイ兼用で入れておきなよ。年齢も若いしさ。大丈夫だよって言ってくるんだよね。そういう訳だからさ。努力して、皆んなのいうこと聞いて、勉強してみるか」
「っていうことは...バンドにいられるんですか?...」
「そういうこと。君の人間性が良いってことだよね。好かれているんだよ。不思議だな。この世界じゃ、滅多にないことだよ」
と肩をポンと叩かれて、
「元気だしてな...」
と励まされた。
控え室に帰ってから、一人々々に御礼を述べて廻った。
「うん。がんばれよ」
と言ってくれた。
首の皮一枚残して、バンドに生き残れたのであった。
私自身のことであり、心配をかけるのが、可哀想だったので、バンドのことは、一切、カホルには告げなかった。
しかし、カホルと同棲して以来、苦労の掛け続けであった。
口には出さなかったが、心の中では(ごめんな)と、いつも思っていた。
そして、カホルは、一切、愚痴はこぼさなかった。
「わたしは、一度失敗しているからね。二度目は、何が何でも別れないよ。死ぬまで一緒にいるよ。ずっと、連いていくんだ。若い時に稼げないのは、当然なんだよ。でも、二人で力を合わせれば、絶対にやっていけるよ」
カホルは、最初の同棲にこりていた。
「わたしは、二人だけが良い。どんなに貧乏でも、親の家に転がり込むことは、絶対にイヤ」
最初の同棲の時に、親と一緒に棲んで、徹底的に姑に嫁いじめを喰らったらしい。
そのことは、余程、心の傷になったのか、あまり話したがらなかった。
私も、聞きたくなかった。
以前の男の話を聞いて、気分の良い男性というのは、滅多にいないだろう。
過去には、フタをするが一番であった。
ともかく、(駄目だ...)と観念したベーシストの仕事が、思わぬ形で、首がつながった。
みんなに感謝する他はなかった。
運という独特の世界は、良い結果を生むのか、悪い結末になってしまうのかは、誰にも判らない。
本人にも、不明なものなのである。
だから、出来るだけ”運”には、頼らないように、誰もがするのである。
しかし、この未来の世界を仕事にしている者がいる。
日本だけではない。世界に居るといっても良い。
占い師である。
占いのため、学問も、占星術やら、鹿の角や、亀の甲羅を焼いて、そのひびの割れ方で、吉凶を占うのである。
これらは、古代の戦争のときにも、用いられた。
「この戦さは、勝てるか?負けるか?」
「出陣の日は、いつが良いのか?」
一軍を率いる将や、皇帝であっても、いざ戦いとなったら、心に迷いが生じるのである。
その迷いを払拭するためにも、軍師の中に、占術師を専属で置いたのである。
占いで戦さに勝てるのなら、世話はない。
戦略も、戦術も、戦闘も、要らないのである。
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