第三章 3

私服に着がえて、三人の女性と深夜まで営業しているバーに、呑みにいった。

しかし、私は、下戸といって良いくらい、お酒(アルコール)に弱かった。

「そんなにお酒に弱いの? つまんない男だねえ」

ケイコさんが言った。

「体質だから、仕方ないじゃない」

カオルさんが、かばった。

それでも、ウイスキーの水割を二杯、飲んでいた。

それだけで、顔も、体も真ッ赤になっていた。

「ケイコさんは、ジョージさんと、おつきあいは長いんですか?」

「そうねえ、関係はなかったけど、“クラブアタミ”でボーイをしていたときから、知ってたのよ。深い付きあいになったのは、一年ぐらい前かな」

「ケイコちゃんは、カッと燃えて、スッと冷めるから。ジョージとも、いつまで続くかな」

「そんなことは、神様が知っているだけだよ。その後、カオちゃんは、出来ないねえ。二十三才だろ。もったいない青春だねえ...」

「そんなことないわよ。女と男なんて縁だからさ。美容師って、お客さんが、女ばかりでしょ。出会いがないのよ」

とカオルさんが、カウンター席に並んでいたのだけれど、私は、カオルさんと、真理さんの間に腰かけていた。

カオルさんが、カウンターの下で、そっと、手を握ってきた。

(えっ?)

と思ったけれど、素知らぬ振りをしていた。

そして、そっと手を握り返した。

そうしなければ、ルール違反であるように思えた。

握られたのは、左手であった。

しばらく、凝っとしていた。

私は、自分でも、思ってもいなかった行動を咄嗟に取っていた。

握っていたカオルさんの手を静かに、しかし素早く、私の股間に引き込んだのだ。

そこには、 私の屹立したものがあった。

その硬度は、ズボンの上からでも、充分に判別がつくはずであった。

二人の間に、ある意思の疎通が交わされたと言ってよかった。

カオルさんは、握ったものに、更に力を込めてきた。

アルコールに強くない私は、ウイスキーの水割を五杯も呑んでしまった。

すでに、深夜の二時半を過ぎていた。

「困ったなあ。宿舎にこんな時間に帰ったら、先輩に叱られそう...」

「だったら、うちの店に泊っていきなよ」

とケイコさんに言われた。

「そうすればいいわ」

とカオルさんも言った。

「ただし、小いさな部屋だから、雑魚寝だよ」

「すみません 」

というので、店の休憩室の三畳の部屋に、泊まることになった。


布団は三枚を敷いて、頭の方から見て、左から、カオルさん、私、真理さん、ケイコさんの順で、肌を寄せ合うようにして寝た。

カオルさんの体温が、強く伝わってきた。

私の心臓が、早鐘のように鳴っていた。

カオルさんの鼓動も伝わってきた。

カオルさんは、私の方に向いていたが、私は真理さんの方に向いていた。

最初から、カオルさんの方に向いて寝るのは、躊躇われたのである。

私の尻が、カオルさんの下腹部に接触する体形になった。

二人の呼吸が、容易に感じられるようになった。

四人で三畳の小部屋に、三枚の布団を敷いて、雑魚寝をしているのである。

四人とも、相当に呑んでいたので、ケイコさんと真理さんは、熟睡を始めていた。

私とカオルさんは、接触している部分の呼吸が、次第に荒くなっていくのが判った。

昂揚していくのが、互いに判った。

昂揚に耐えられなくなって、私は、カオルさんの方に寝返りを打った。

そのはずみと言えなくはないが、カオルさんが待っていたように、唇があわさってしまった。

声は出せない。

二人は、唇を合わせたまま、凝っとしていた。

が、やがてカオルさんの方から、舌を差し入れてきた。

舌と舌を絡めて、吸った。


翌朝は、ケイコさんの美容室に出た。

店名は、「ケイ(K)美容室」といった。


後に、東京の練馬で、キッチン「ブルドック」を開業したとき、上階に、美容室を造った。

実は、美容室の方を先に造ったので、美容室の下に、キッチンを造ったという方が、正しい。

美容室の名を「エル(L)」と付けた。

「アルファベットで「K」の次が、「L」だったからである。

カオルの店である。


先に結論を書いてしまったようであるが、ともかく、私が、早朝に、店を出るときに、カオルさんが、見送ってくれた。

手を握り、軽く接吻して、店を出た。

先輩は、朝帰りになった私に、何もおこごとは言わなかった。

ただ、ニヤニヤとはしていた。


私と、カオルさんは、昼間、度々、喫茶店などで、デートをするようになった。

いつしか、「牛ちゃん」「カオちゃん 」と呼ぶようになっていた。

ケイコさんのことも、「ケイコちゃん」と呼ぶようになった。

ケイコちゃんからも、

「店に遊びにおいでよ。芸者さんやなんかで、 女ばかりで、恥かしいかもしれないけどさ」

と誘われていたので、図々しく、遊びに行った。

ケイコちゃんは、薄々、二人のことを感付いていた、というより、先刻ご承知であった。


熱海は、溫泉街であるが、一面、花柳界の街でもあった。

日本髪に準じた髪を洋髪で結うのが、ケイコちゃんと、カオちゃんの特技であった。

お母さんが、地髪で日本髪が結える、熱海でも、たった一人の人であったから、自然と洋髪の人たちも、夜会巻のような、日本髪を洋髪の間に結う芸者衆が多かった。

お母さんは、かつらも結うので、結ったかつらを置屋さんに、届けてやるのだが、遊びに行っているうちに、それを役目で引き受けてやった。

それで、店からも重宝がられるようになってしまった。

そうこうしているうちに、「牛ちゃん」で、名が通り、置屋の男衆(おとこし)のようになってしまった。

おしろいを首の後側に塗ってやったり、帯をぐいっと力強く結ぶのは、男の力の方が、しっかりと締まったりするのであった。


そんな時に、しばらくぶりで、初子ママのところに、電話を掛けなければならない用事が出来てしまった。

キッチンのマスターが、店を抛り出して、夜逃げをするという噂がでたのである。

チーフ以下の従業員たちも、「まさか...」という思いであった。

初子ママに、そのことを告げると、

「連絡てくれてありがとう。わたしの方は、手を打ってあるから大丈夫よ。それよりも、牛ちゃんは、本当に真面目に仕事をしているっていう噂が、わたしの耳にも入っているわよ。とても嬉しかった...久しぶりに、わたしの部屋に来る?... お寿司とっておくわ」

ということであった。

カオちゃんのことが、頭をよぎったが、初子ママの肌を思い出していた。

初子ママとのことが終わった後に、

「これ一回だけよ。牛ちゃんに、恋人ができたっていう噂も聞いているんだから。熱海は、狭いからね。倖せになるのよ。女性を幸福にするのは、男の器量だからね。泣かすんじゃないよ」

「はい...ママに頂いた五十万円、封筒ごと、お守りのように、手つかずで持っています」

「そう。嬉しいわ。で、キッチンの従業員は?落ち着かないでしょう」

「チーフが、臨時休業で、皆んなの給料をマスターに掛け合ってくれています」

「そう。良く教えてくれたわ。私が貸したのは、一千万円。店の権利書と、実印、印鑑証明、貰ってあるから、私は大丈夫よ...はい。これは、お小遣い。少ないけどね。貴重な情報をありがとう」

と十万円を私の手に握らせた。

「え?そ、そんなつもりじゃ...」

「良いよ。今日は。恋人に悪いから。フフフ」

結局、マスターは、店を出た。

私は、失業した。

そのことをカオちゃんに話した。

「で、マスターは夜逃げ?」

「うん。オレたちの給料も踏み倒してね」

「酷いわね。で、どうするのよ。次の仕事」

「次のお店、探すよ。今度は、バーテンダーは全部出来るから...」

その話を聞いて、

「丁受良い。俺のバンドに来い。いくつだ?」

「二十才になったばかり...」

「立ちん棒からやっても、すぐに、弾けるようになる。ベースならな」

そう言ったのは、カオちゃんの父さんだった。

四人編成のバンドで、市内のホテルに、専属バンドとして入っていたのであった。

その中のベースシストが、辞めると言い出したのである。

父親は、ヴァイオリン、トランペット、ピアノを弾く。

長男がドラムスで、次男が、テナーサックスを吹いた。

そして、ときどき、カオちゃんが歌を唄った。

一家でバンドをやっていたのであるが、ベースだけが、他人であった。

そのべースが、辞めると言い出したのであった。

「これで全部、身内になる」

「え? 身内って...」

「バカ。一緒になるんだろ...お母ちゃんから、聞いてるぞ」

「あ...」

とカオちゃんが驚いた。

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