第一章 5

戦争は絶対にやるものではない。

私は、身に染みて判っている。

たとえ、やむを得ず、戦争になったとしても、最低限、敗戦するものでない。

敗戦は、実にみじめである。

戦後の焼野原の中で育ってきた身としては、あの空腹と、飢餓の日常は、二度と経験したくないはない。

食料が何にもなかった。

自分たちで焼土を耕作して、畑を作った。

あとは配給と、ララ物質で飢えをしのいだ。

配給といっても、腹が満ちる程の物は、給られない。

そこで、近隣の農家に、買い出しに行くのだが、当時は, 食管法が施行されていて、買い出しは、闇行為になるので、警察の臨検に引っ掛かると、買って来た食料は、すべて没入されたのである。

私の家は、日暮里の駅の近くであったので、 警察に追われて、逃げてきた女性たちをよく押し入れなどにかくまってやったものであった。

警察も知合いであったから

「女の人が逃げてこなかったかね?」

と警察が聞いてきたが、

「さあ? 三丁目の方に行ったんじゃないのかね?」

うちは、四丁目であった。

警官が去ったのを見計って、

「もう、大丈夫だよ」

と押入れから出してやった。

何度助けたか知れなかった。

警察が弱い者いじめをしているようにしか見えたかった。

「食料管理法」という、現在では考えられない法律があったのである。

警官も職務で行っていたのであろうが、余りほめられた法律ではない。

法令なのか、判らないが。

人間は、どんなことをしても、食べなくてはならない。

がんとして、配給だけで、闇は一切食べないで、餓死をしたという検事の話 が、新聞に載ったことがあった。

褒められるべきかどうか、首を傾けざるを得ない。

それと、もう一つ。“パンパン狩り”というのがあった。

米兵を相手にしていた売春婦たちの手入れであった。

どういう罪になるのかは、少年の私には判らたかったが、これも逃げてきた女性を押入れに隠まってやった。

これも、彼女たちは、やりたくてパンパンガールをやっていた訳ではあるまい。

裸一つになった女性が、仕方なく、そういう行為で、生活の道を選んだのであろう。

人間の生活が、どん底に落ちた時というのは、食料と、性に如実に現われてくるものもであった。

私たち少年も、米兵相手に、最初に覚えた言葉は、「ギブミーチョコレート」であった。

食い気である。

しかし、なんと言われようと、生きなければならないのであった。

米兵相手に、「へーイ、バラー...OK?」と女性たちを紹介して、小遣いを稼いだりもした。

しかし、暗い気持ではなかった。

半分遊びで、明るく小遣いを稼いだのであった。

こういう状況のときというのは、子供たちも、たくましくなるものなのであった。

このことは、なにかの短篇小説に書いた記憶がある。タイトルは失念した。

ともかく、あらゆる物がなかった。

しかし、戦争がなくなり、平和になったというのが、国民への、何よりもの贈物であった。

空襲警報を気にしないで、外で遊べるというのが、子供たちには、何よりもの歓びであった。

こういう安心を獲得するために、何万人の血が、犠牲になったのだろう。


京成のガード下で、避難生活をしていた頃であった。

大人たちが「重大な放送がある」というので、一台のカマボコ型のラジオの前に集まった。

それが、後で知ったのだが、「玉音放送」であった。

五才であった。

私たち子供たちには、なにごとであったのか、何も判らなかった。

ただ、大人たちが、がっくりと膝を突いて、男女ともが泣いていた。

ものすごく、よく晴れた日であったのを記憶している。

夏であった。

蝉の声が方々で聞こえていた。


私の記憶の中で、明白(あきらか)に時間が錯誤している。

自分でも判っているのだが、時系列を追って、筆を進められいのである。

机の上や周辺には、一切の参考資料は、置いていない。

頼りにしているのは、私自身の記憶だけである。

その方が、仮に錯誤があったとしても、リアリティーはあると思うのである。


この頃の私の頭の中には、連合国という認識はない。

敵は、すべてアメリカであり、米軍及び米国である。

例えば先に、簡単に「ララ物資」のことを述べたが、ララ物資は、外国から援助されているものである、と先生から教わった。

外国イコール、アメリカであった。

そして、戦後、一番親切にしてくれたのは、 敵だったはずのGI(兵隊のことで、私は、カッコつけて、そう呼んでいた)だったのである。

G1たちは、たいていが子供好きであった。チョコレートも、チューインガムも、彼らから貰って、その味を覚えたのである。

ただ、年頃の女性は、絶対に一人で歩いてはいけないと、徹底的に注意さていた。 強姦事件が、やたらと多かったのである。

日本の警官がいても、何も出来なかった。

日暮里の駅前から、上野駅まで、バラックづくりの闇市のマーケットが、びっしりと軒並べていた。そこへ、GIがジープで乗りつけてくるのである。

マーケット裏の空地に、ジープを止めて、四人のGIが十代の女性を強姦、輪姦をしていたのである。

女性は、抗って、悲鳴を上げていたが、誰も助けてやることは、出来なかった。GIは、ピストルを抜いているのである。

日本の警官では、どうしてやることも出来なかった。

女性が犯された後で、MP(ミリタリーポリス)が駆けつけてきた。

昼間のことである。

MPが四人のGIに手錠を掛けて、連れ去っていった。

恐らく女性は泣き寝入りであろう。敗戦とは、こういうことなのだと、誰もが腹の底まで痛感させられたことであった。

戦争と、性犯罪とは、殆ど付きものなのであろう。

占領地における性犯罪とは、悲しいかな、そういうものなのであろう

子供であったが、私は一部始終を目撃していた

ショックキングな出来事であったから、現在でも脳裏に焼きついている。

夜間ではない、昼間の出来事だったのである。

そのときに、誰もが思ったに違いない。

「ああ、日本は、負けたのだ」と。


現在、日本と韓国との間で、性で被害を受けた女性たちのことが、問題になっている。

これだけ騒がれれば、嫌でも耳に入っている。

しかし、日和る訳ではないが、私は、そのことを一切、論評するつもりはない。

戦争は、七十、八十の爺さんたちが、鉄砲を担いで戦闘している訳ではない。

血気盛んな若者たちが、争っているのである。

戦いがないときには、精力があふれているのであろう。

湧きでてくる勢力の水は、どこかに、あふれでる。

いくら軍律を厳しくしところで、若者たちの団体である。軽く破られてしまう。

性欲は、食欲、睡眼欲、排泄欲等々と共に、生物の本能である。

理性で抑制するのにも限界がある。

戦争における犯罪の、大きなものの一つであろう。

世界の軍隊で、性犯罪を一つも犯していない軍隊など、あるであろうか。

太陽に輝くのを止めろと言っているのに等しい。

戦前の軍隊について、謝罪しろ、賠償と、いまだに息巻いているようであるが、韓国がベトナムで起こしてきた乱暴狼藉である「ライダイハン」は、どのように結着をつけるのか。

いまだに、謝罪も賠償もしていない。言えることは、卑怯で、最悪の国とい うことである。

私がこのように言えるのは、戦争直後の焼跡で、疲弊している日本に、朝鮮人は、必ず団体になって、「日本は敗戦の五等国だろう!何もいう権利なんかないよ。我々は、戦勝国民!何をするのも自由だ!」と言って、マーケットの一等地を奪い、乱暴狼藉をいいように行ってきたのを少年ながら、この目で見、この耳で聞いてきたからで、彼の国の者たちが、乱暴者で、卑怯者であるのは、いやという程、経験させられている。

だから、今更、彼の国が、ゴールポストを動かしたり、世界ルールを破り、 自分たちがやった悪行に、頬被りをしても、何も驚かない。

それが彼の国の国民性というのは、子供の頃から、承知をしていることだからである。

論評でない。七十二、三年前に経酸させられた「事実」であり、 忘れられない記憶である。

すこしは反省しろと言っても、彼らには馬の耳に念仏である。


さらに、これも忘れられないので、記述しておく。

日暮里や、鶯谷のマーケットを縄張にしていたのは、“坂部組”や“神田小唄”といった任侠団体であった。

彼の国の在日連中の、目に余る無法ぶりに、堪忍袋の緒が切れて、一大抗争事件が、勃発したことがあった。

双方とも、機関銃を持ち出しての抗争であった。

どちらが勝ったのか負けたのかは、子供であった私には、その決着の見当も付かない。

たしか、同様のことは、新橋のマーケットでも勃発したはずである。

MPをはじめとする米軍が出動して、警察と協力をして、ことを解決したと噂では聞いている。

子供は、想像以上に、世間のことに敏感なのである。


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