第一章 3

ずっと、戦争の話が、続いたので、気分を変えたい。

戦災の話は、再度触れることになるかもしれないが、少し、話を先に進めたい。


祖母のことに触れよう。

祖母と母は、戦後に、当時“おがみや”さんといわれた摩訶不思議なことを始めていた。

母は祖母の弟子のようなことで、相方を勤めていた。

現代では、「霊媒師」というカテゴリに入るのかもしれないが、死んだ人の霊を、この世に呼び戻したり、不吉な出来事の相談に乗ったりしていたのである。

占い師でも、僧侶でもない、しいていえば祈祷師の分野にでも入るようなことをしていた。

ときおり、母と共に、“道場”と呼んでいた場所に、出掛けていたが、まだ幼い私には、そこがどんな場所なのかは、一切教えてくれなかった。

「まだ早い」

というのが理由であった。

それにしても、祖母には、不思議な力があった。

その力は、母よりも数倍強かった。

その不思議な力の例を挙げてみると、日暮里に家を建て住み始めたのは、勿論、戦後のことである。

家といっても、焼けトタンを張ったバラックである。

それまでは浅草に住んでいたので、日暮里のことは、知り合いも少なく、あまり良く判らなかった。

そこへ、「是非とも、おうかがいしたいのですが」と、まったく知らない、女性が、訊ねてきたのである。

「それでまでは、地方に疎開していましたが、 戦爭も終ったので、以前から住んでいた日暮里に帰ってきました。以前に住んでいた家は焼かれて、そこに、まったく別の家が建っていて、見知らぬ人が住んでいたのです」

終戦直後には、よくある話であった。珍しいことではない。

依頼人の女性は、

「土地代は別にして、建っている家は、買い取って、無事に住めるようになったのですが」

と言ってから急に、苦い薬でも飲んだような、難渋した顔になって、

「その家に住むようになってから...」

と言葉を濁らせた。

「その先が問題なんでしょう。病人でも出たんですか」

祖母、ずけりと問題の核心を突くように言って、ぐいっと相手の眼を見た。

そういう時の祖母の眼は、実に鋭く、その視線を、相手に射込むのであった。

その女性も、思わず凍りついて、

「は、はい。む、娘が...」

「お医者さんでも、原因が判らぬということかな」

「は、はい...」

「体の上半身だな」

「え、ええ...言いにくいんですけれども」

「頭か」

「疎開先では、何んでもなかったたんです」

「それが、今の家に引越してから」

「はい。何んで、そんなに判るんですか?」

「そんなことより、状態は?」

「狂ったとしか思えません。そして、ときおり、頭が猛烈に痛くなって...上から押えこまれるように痛くなるんです」

「訊いてみるか」

と祖母は祭壇に向って、低声で呪文を唱え始めて、三十分程で呪文を止めると、

「天井裏、または軒先、玄関の上...板をはぐってみなさい。」

そう言われて、三日後に件(くだん)の女性が、前よりも蒼白な表情で、再び現われた。

「あ、あんなものが張られていただなんて」

と全身を顫(ふる)わせていた。

祖母に言われて、天井板をはがしたところ、 屋根のトタン板と、下地板が姿を見せた。

問題は、その板である。

そこには、細い板が、隙間なく、屋根全体に張られていたのである。

細い板には、筆で、文字が書かれてあったというのだ。

「塔婆だな」

「はい...」

「今、東京には材木も、釘も、建築資材はなにもない。あっても高い。

苦肉の策で六尺の塔婆を張ったんだな...魂の憑っている板だよ。一枚々々がな」

「は、はい」

「早くしないと、もっと狂うぞ。娘さんがな...寄り憑かれているんだから。苦しんでいるぞ。 可哀想だろうが」

祖母が厳しい声で、命令するように言った。

「塔婆の供養は、お坊さんに頼みなされ, わたしの役目ではないよ。はがすのも、丁寧にな...全て終わったら、娘さんを連れてきなさい」

「はい、判りました...これ、お布施です」

と白い封筒を置いて、小走りで帰っていった。

娘を連れてきたときは、すでに娘は元気になっていた。

私のところは、せまいバラックである。いやでも、全ては判ってしまう。

一部始終を見ていた私は、

「おばあちゃん、なにが見えたんだ?」

「そのうち、 お前も判るよ」

それ以上は言わなかった。


別の日に、再び、別の見知らぬ人が訪ねてきた。

矢張、中年の女性であった。

「今の家に引っ越してきてから、嫌なことばかりがあるんです」

「例えば」

と祖母が水を向けた。

訪ねてくる者は、全てを相談しようと思ってくるのだが、いざとなると、言いよどんだ。

それだけ、根が深い上に、第三者に知られると、都合の悪い話しばかりなのであった。


相談者は、不思議に女性が多く、男性相談者というのは、滅多にこなかった。

それだけ、世俗の悩みというのは、女性の方が多いということなのかも知れない。

流産や堕胎という水子の相談も多かった。

水子をミズコと発音する人のほうが多いようであるが、ミズコは“見ず子”と考える人もいるけれど、僧侶は、水子を“スイシ”と発音するものである。

祖母と母は、この水子の供養を依頼されることが多かった。

祖母は、「女の業」だなといって引受けたが、サラリと供養をして、お地蔵さまだの、風車だのを売りつけたりはしなかった。

お地蔵さまだの、風車だのを、売りつけるようになったのは、もっと後年のことで、水子供養を流行らせて、お地蔵さまや、風車を、功徳があるといって、新興宗教もどきに、売りつけるのを流行らせたのは、千葉県方面の、「H」という政治家の、入れ智恵だ、というのを聞いたことがある。

こんなことで金を稼ぐのは、よろしくない。

政治家ではなく、性事家の間違いであろう。

私がお預かりしている伊豆の山寺にも、遠方から、水子供養の相談に見えることがある。

私は、水子供養そのものが、元々好きではなかったので、歓迎はしないのだが、行法を知らない訳ではないので、折角、遠方からお見えになったことでもあるので、供養をしてさしあげるが、私は、水子そのものより、母体を案じて、定められた経を読むようにしている。

中には、ご夫婦で見えられる方もある。

そういう方には、「ご縁がなかったのです。大丈夫。必ず授かりますよ」と、やさしく声をかけるように、心掛けている。

水子から、夫婦の愛は、更に強くなってゆくのに違いないのである。


祖母の許に、更に別の訪問者があった。老婦人である。

戦後、間もないころである。

老婦人は、

「一人息子のことでございます。旭日旗からとって、旭(あきら)と主人が名付けました。希望通り、海軍に入隊いたしました」

とか細い声で、用件を訴え始めた。

「戦死なされましたな」

祖母の言葉に、老婦人は「はっ」となって、顔を上げた。

両の目尻から、深い皺沿に、光るものが尾を引いていた。

当時六才位の私には、このような修飾的な語をまじえての記憶などあろうはずがない。

現在の私が、大因(おおもと)の記憶をネタに、多分に修飾(もって)いるのである。しかし、出来事は、事実である。

これまでも、これからも同様であるが、大因にフィクションはない。

「なぜ戦死のことを?...」

「さもありなんことだからですよ。どちらで戦死を」

「ニューギニアの沖合とのことでした。輸送船の乗組員で、船は沈没してしまったそうです」

「遺骨は届いたかね」

途端に、老婦人は、その場に突っ伏して、火が点いたように泣き出した。

喉の奥から、絞り出したような泣き声であった。

「誰か。砂糖水を持ってきておあげ」

祖母はそう言ったが、当時、砂糖は貴重品であった。

依頼人の誰かが持ってきてくれた砂糖があったので、それで砂糖水を作って、姉が運んできた。それを老婦人に飲ませた。

糖分は、直ぐに脳に廻ってゆくので、気分が落着くのであると、祖母が言ったことがあった。 

「戦死を、知らせに来てくれた人がいたのですが、骨壺を持って来てくれたんです」

「骨壺の中は、紙一枚だった」

「はい。死体は海の底で...」

「海軍の戦死はそうなんだよ」

「醜い...遺骨がないなんて」

「それで、わたしに、どうして欲しいんだい」

「旭を...息子を呼び出して欲しいんです」

「判りました」

と祖母と母が、並んで経を唱え始めた。

小一時間、読経をしていたが、ピタリと読経を止めると、祖母が、

「居ないな」

と、ぶっきら棒に言った。

「えっ?」

「あの世に居ないんだよ」

「あの...迷っているということですか」

「違うねえ...死んでいないんだよ。帰ってくるねえ。旭さんは...」

「まさか...」

老婦人は、絶句して、体を氷のように、コチンコチンにした。


数年後。

老婦人が、一人の青年を伴って、祖母のもとを訪れてきた。

青年が、不動の姿勢で敬礼をして、

「旭です」

軍人らしい挙措で名乗りを上げた。

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