第一章 2

火炎の海のただ中を逃げ迷っていた被災者たちは、その瞬間に一斉に天空を見上げて、

「日の丸だぞ」

「日本の戦闘機だ!」

「万歳!」

と両手を高々と挙げ歓呼した。

私たち家族七人も、その中にいた。

五才であった私も、ハッキリと記憶している。

しかし、例によって、そこがどこであったかは、判然としない。

何度も述べて恐縮だが、五才児の記憶とは、こんなものである。断片的なのである。

当時の日本と米国とでは、残念ながら、飛行機の性能の差が、雲泥の差で異なっていたのであろう。

しばらくの間は、互いに機関砲を撃ち合っていたが、常に、上空にいるのは、ロッキードの方であった。

やがて、ロッキードは曲芸的な宙返りを見せると、機体を日本機の後方に付けた。

これも後に知ったことであるが、空中戦では、後方につけられた時点で、敗北なのだという。

その通りで、日本機は、後方から銃撃されて、無残にも墜落していった。

地上で、一斉に落胆の溜息が上った。

この大空襲の、せめてもの、一矢報いる、という期待を、誰もが抱いたのに違いなかった。

その期待も、無残に、打ち砕かれた、瞬間であった。

国力というのは、こうしたところにも、如実に現われるものなのであろう。


この直後に、もう一つ記憶していることがある。

消防車が、サイレンを鳴らして走ってきた。

この時代でも、消防車は赤い色であった。当然、目立つ。

敵機が降下してき、爆弾を落下した。

狙いは違わずに、消防自動車は、粉々に砕け散っていった。

もっとも、消防車一台で、この紅蓮の炎だらけになっている街の、どこを消火しようというのだろう。

記憶の中には、そこまでは残っていない。


感動的な記憶が、鮮明に残っている。

その場に、居合せた者は、だれもが慟哭した。

その学校の名は、判らない。

しかし、女学校であったことは、記憶している。

その女学校の、校長先生であった。

校舎が、燃えていた。

もう、手のほどこしようがない程に、たくさんの赤い舌に、舐め尽くされていた。

その校門には、日の丸と、校旗が合掌で組まれていた。

校長は、右足を脚のつけ根から失っていた。ために、二本の松葉杖で歩いていた。

校門の前で、姿勢をただすと、校舎に向かって敬礼した。

そして、校長は、一歩ずつ、不自由な足で、燃え盛る、校舎の中へ、身を没していったのである

嗚咽が、周囲に広がっていった。

校長の行為を、誰も止めようとはしなかった。覚悟の上の、自決だったのである。

が、次の瞬間に、女性の大声が響きわたった。

「泥棒!...」

という声であった。

米袋を、盗すまれたのである。

(こんなときに... )

と誰もが思った。

「火事場泥棒」という話は聞く。

しかし、大空襲で、誰もが逃げ場を失っているときに、泥棒をするという魂胆は、同じ泥棒でも、見上げたものであった。

いまは、米袋よりも、この地獄のような、火炎の海から、どうやって命を守るかの方が、先であろうと思うのであるが、こんなときにでも、米泥棒という犯罪を犯かす者がいるのだという、人間の“業”の深さを、思わずにはいられなかった。

もっとも、五才の私には、例によって、何も判るものではない。

後になって、そのことを考えるようになったのである。

しかし、私のトラウマになっている、と言ってもよい。

私の原点であり、断片的ではあるが、私の原風なのである。

人は、人を信じなくては、とてもではないが、生きていけるものではない。

だが、究極といっても良い、切刃詰まった場面でも、いや、切刃詰まっているからこそ、人間の本性である、裏切り行為が出るのかもしれない。

校長の崇高なる行為も、人間の行為だし、逆に、究極の場面での米泥棒も、まさしく、人間の行為以外の何ものでもないのである。

と、いうことで、どちらも否定することのできない、人間の行為であり、事実なのである。

仏教の始祖である、釈迦牟尼仏陀は、根本の教えとして、「三毒」の教えを説いておられる。

所謂、「貪・ジン・痴」である。

この大空襲の中において、敵も、味方も、何が貪であり、どれを指してジン、痴なのか、言うも愚魯であろう。

人は、いかにも、御し難いものである。


ところで、先に焼夷弾のことに触れている。

焼夷弾は、長さ六十センチ位で、直径は二十センチ検討である。六角形をしている。

焼夷弾自体が、激しく燃えることはない。発火装置弾とでもいうべきものである。 私たち家族は、日暮里で、二度目の空襲にあって、「もう駄目」と思いながら、京成電鉄の、ガード下に避難して、命拾いをしたのであったが、それは落下してくるのが、爆弾ではなくて、焼夷弾だったからである。

焼夷弾は、弾自体が激しく燃焼するのではなくて、薪に火をつける、マッチの役目だったのである。

落下した場所に、燃料がなければ、マッチの火が消えてゆくように、消えて、 ただの六角形の筒でしか、なくなってしまうのである。

ガード下に住んでいると、線路に焼夷弾が、落下することがあった。

落下するときに、カランカランと、人を小馬鹿にしたような音が響いて、安物の花火のように、すぐに燃え尽きてしまうのであった。

「こんな物で、東京中を焼野原にしやがったのか」

大人たちが、用済の焼夷弾を見て、歯軋をして言訪い

アメリカは、東京を徹底的に研究して、空襲したのである。

空襲の前に何辺も、偵察機が、超低空で飛来して、空撮をしていった。

そのときには、すでに、日本の空の制空権は、アメリカに奪われていたのである。

第二次世界大戦では、特に太平洋戦争では、航空機こそが、主戦武器になっていたのである。

戦艦(バトルシップ )対戦艦の戦争は、日清、日露戰爭で終っていたのである。

必要だったのは、航空機(戦闘機)や、艦載機と航空母艦(キャリアーシップ)こそが、戦力として、有効だったのである。

巡洋艦(クルーザー)や、駆逐艦(デストロイヤー)が何隻あっても、制空権を奪われたら、もう、それは敗北に等しいのである。

それを知っていた当時の、日本の職業軍人は、山本五十六だけだったのではあるまいか。

山本五十六は、ハワイのパールハーバー奇襲のために、連合艦隊を、エトロフ島の単冠(ヒトカップ)湾に集結させたときから、百も承知していのであろう。

近代戦は、国同士の総力戦であり、国力戦である。

山本は、日米の彼我の差を知り抜いていたのではあるまいか。

しかし、日本は、敗戦直前に、なんと、巨艦、戦艦大和を進水させたのである。

一大時代錯誤の産物である。

浪漫で、戦争に勝てる訳はないのである。

戦線拡大をして、勝利した国は、どこにもない。

大英帝国、ナポレオン、トルコ、ドイツ (ナチス)、そして軍国主義日本。

特に、日本の戦線拡大は、無残なまでに広大である。

それらの先例を、教訓としない大国がある。

しかし、運命は、敗戦日本に近いのではあるいか。

そうしたときには、決まって、不思議に、言論の封殺を始める。

日本にも“特高”という、特別の組織があった。

何やら、南西諸島にキナ臭いものが、漂い始めていると感じるのは、私だけであろうか。


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