第5話

 キコキコキコキコ

 音を立ててタピオカを混ぜ続ける私をにこにこ眺めながら

「楽しみだなぁ、女性とショッピングなんて何年振りかなぁ」

 夢見るように彼が言う。

 かねてから彼女はいないと聞いていたが、そんな久しぶりのショッピングの相手が私でいいのだろうか。

「私もこんなふうに出掛けるのなんて、何年振りかわからないぐらいですよ」

 私が言うと、彼はしばらく考えるように黙ったあと、突然

「いやーん、どうしようアタシ緊張してきちゃった」

 と顔を赤らめて笑いだした。


 乙女か。

 ピュアな。


 そういえば、この人は仕事中やオフィシャルな場では私や僕と言うが、休憩中などリラックスすると一人称がアタシになるんだった、と思い出す。

 ということはきっと、彼は今リラックスして楽しんでいるのだろう。そう思うと私も少し緊張が解けた。


「そろそろ行きます?開店時間過ぎたし」

 そう切り出してららぽーとへと歩く。


 3年ぐらい前だったろうか、近くにららぽーとが出来たと聞いて、次の休みに行ってみようと夫に言ったら「はあ?行っても何もないし、高いよ。第一、あなたが何を買うの?」と嗤われたことを思い出す。

 あれから離婚までの間に、うちには見慣れぬショップの紙袋が増えて行った。買い物してきたの?と夫に聞くと「別に」とだけ言って、スマホを持ってシャワーを浴びに行く。

 今思えば、怪しいことばかりだ。

 当時だってそのことに気付かなかったわけではない。ただ単に、向き合うのが面倒だっただけだ。夫とも、自分自身とも。


「ねこかめさん、眼鏡屋さんってどこにあるかわかる?」

「わかんない、どこだったっけ」

「そうか、えーと…」

 二人でしばらくフロアマップを見つめたあと

「こっちかな」

 そう言って彼は左を、私は右を指差した。

「え、右?」

「え、左?」

「ねこかめさん、もしかして方向音痴ですか?」

 図星だ。

 おぉ神よ、どうして私に地図が読めないという称号をお与えになったのですか。おかげで私はこの年齢になってもなおショッピングセンターで迷子になってしまうのです。

「すみません、左ですね」

「だと思います」

 そう言ったあと、片手で眼鏡のブリッジをクイッと上げて彼は小さくため息をついた。


 怒らせてしまっただろうか、それとも呆れ果ててしまったか、いずれにせよ男のため息なんて私にとって良いことなはずがない。毎日、毎晩、夫に馬鹿にされ続けた日々が走馬灯のようによぎり、全身を駆け巡る。

 早く話題を変えなければ。

 何か面白いことを言わなければ。

 男の機嫌を損ねたら、また辱しめられる。

 震える指を握りしめながら何か冗談を言おうと必死に唇を開いたその時、消え入りそうな小さな声で彼が呟いた。


「…かわいい…」

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