第4話
さて、どうしたものか。
「主任、行きたいところあるんですか?好みのお店とかブランドとか」
「ねこかめさん、その、主任って言うのやめてもらえないでしょうか…一応プライベートなので」
そうだった。まったく気が利かない。自分のこういうところが嫌いだ。
「えっと、じゃあ、なんて…」
「名前でいいですよ。普通に名字でも」
「そっか、そうですよね」
話ながら、足は自然と駅へと向かう。
通勤通学の流れに逆らうようにホームへたどり着くと、急に二人きりになった。
ホームの端に引かれた線に沿って、並んで立つ。
こんなに背が高かっただろうか。
私の身長なんて、彼の肩ぐらい、いや脇の下ぐらいまでだろうか。
「ねこかめさん、どこか眼鏡買えるところって知ってます?特に行きたい店とかなくて」
「じゃあ、ららぽーとに行きましょうか。あそこなら眼鏡屋さんも何件か入ってるし、レンズの在庫さえあればすぐ出来ますよ」
「え!眼鏡が?すぐに出来るの?最近のお店はすごいなぁ」
「最近って…その眼鏡何年買い換えてないんですか…」
「高校生の頃作ったから、10年以上」
頭が痛い。
前途ある20代の若者がこんなことでいいのだろうか。嘆かわしいにも程がある。20代後半から30代前半なんて、男も女も着飾って輝いていていいはずだ。まして独身ならば自由恋愛、もっと、こう、今この瞬間を楽しむオーラのようなものがあって然るべきではないか。
私は一人、言語化できないモヤモヤを感じていた。
無頓着すぎる。
もったいない、まだ若いのに。
若さなど、あっという間に消えて無くなるのに。
2駅先まで電車に揺られながら、話を聞けば聞くほど彼は何も知らなかった。
その日のうちに眼鏡が出来ることも、お店のほとんどが10時に開店することも、そのために今時間調節が必要なことも、彼にはピンと来ない。
経験がないからわからないのだ。
大丈夫か、この人は。
一緒に来てよかったのだろうか、一抹の不安がよぎる。
開店までの時間潰しに入ったドトールで、メニューを前に立ち止まる。
慣れた様子でカフェラテを注文する彼の隣で、私は数年振りだということに気付いた。
そうか、私は一人でドトールに行く自由もなかったんだ。
何を頼んだらいいのかわからない私は、おすすめだというタピオカにした。
世間知らずだがドトールでカフェラテを頼むことはできる彼と、それすら数年振りの私がテーブルを挟んで向き合う。
危なっかしい。私はこの状況を円滑に楽しめるほど大人だろうか。
私の心配をよそに、にこにこ微笑む彼からなんとなく目を反らしてタピオカに口を付けた。
「美味しい…」
思わず声が漏れる。
自分のために用意された甘い飲み物のなんと優しいことか。子供のためのジュースではない、私のためだけのタピオカ。
結婚前は、デートで横浜中華街に行っては必ずタピオカを飲んだっけ。そんなことすら忘れていた。
「ねこかめさん、もしかしてタピオカはじめてですか?」
私を見つめながら彼がクスリと笑う。
「まさか、そんなわけないですよ。いくつ年上だと思ってるんですか」
言いながら無意味にストローでかき混ぜる。
まったくこの若者は何を言っているんだろう。私を誰だと思ってるんだ。こう見えても若い頃はそこそこモテて、遊ぶのに困らないぐらいには相手がいたし、ねだれば大体の物は手に入った。たかがタピオカを数年振りに飲んだぐらいで、まるでまともな恋愛経験もないように見られるなんて心外だ。タピオカごときで。
いや、そんなふうには誰も見ていない。ただタピオカはじめてですか?と言われただけだ。それなのになぜ私は無性に腹が立つのだろう。
私の目の前で、タピオカがぐるぐる回っていた。
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